第8話 似ている


 あまりにも唐突な言葉に、カラーナも困惑したのだろう。

 彼女はムステトへの視線を微塵も逸らさずに、次第に眉をひそめていった。


「…町を出る? 軍人さんと?」


 カラーナは呆然と呟き、首を傾げる。


「どうして?」




「仕事でもないのに。」


 その言葉に、ムステトの表情は笑みを深めた。

 結局のところ、彼女の行動理由は“そこ”に回帰するらしいと、カラーナの台詞を逆説的にとったのだ。

 ムステトは木陰からようやく身を起こして彼女の顔を覗き込む。


「では、仕事であれば良いと。」

「うーん。まぁ、そうなるかな。流石に報酬がなかったりしたら断ることもあるだろうけど。」

「無賃労働は嫌なんですね。」

「そんなのあたり前でしょ。」


 カラーナはさもおかしいことを聞いたかのようにクスクスと笑った。そんな仕草は子供らしい。肩を震わせるカラーナを見ながら、ムステトは核心へと踏み込んでいく。


「では、カラーナは仕事であれば人も厭わず殺すのですか。」

「そりゃあ、仕事だったらなんだって頑張るもの。」

「殺すんですね。」

「うん、殺すね。でも、ちゃんとできるかどうかは話が別になっちゃうかな。相手によって違うだろうし。」

「では、仕事に貴方自身の命がかかっていた場合はどうするんです? 仕事で死ねと言われたら、その通りに貴方は死ぬのですか。」

「そういう仕事は流石に断わるよ。」

「へぇ…、それは何故?」

「死んじゃったら次のお仕事できなくなっちゃうじゃん。死んじゃうかもしれない仕事で死ぬのならともかく、そんなんじゃ報酬も何ももらえないよ。それにね、私は仕事をやり切った後のすっきりした感じが好きだったりするんだよね。だから、死ぬこと自体がお仕事のやつをやりたくはないかな。」


 ムステトは自身の口角が吊り上がっていくのが分かった。

 カラーナは『死ぬことが嫌』なのではなく、『死んで仕事ができなくなることが嫌』なのだと主張している。死に恐怖を抱いておらず、だからといって生に無頓着な訳でもない。あくまでも“仕事”を第一に行動すると言っているのだ。


 カラーナは己と同じようにイカれている。思考の方向性は違くとも、彼女とは似た者同士だという事実がムステトには好ましく思えた。


「というか、軍人さんがこういう話をするってことは、つまり私にそういう仕事を依頼したいってこと?」

「そうですね…。あながち間違っていない、と言ったところでしょうか。」

「? どういうこと?」


 目の前の少女が首を傾げる。

 ムステトはそれににんまりと笑みを浮かべた。


「貴方には自分の下で、『教育を受ける』仕事をしてもらいたいと思っていまして。」


 今のような思考回路のまま成長すれば、カラーナはいずれ、己と同じ人でなしと呼ばれる部類の人間となるだろう。

 しかしながら、ムステトに彼女の歪みを正す気は毛頭ない。



「自分が貴方への報酬として提供するものは、衣食住の確保と学校などといった教育環境。そして、これからカラーナが身につけるだろう事柄の全てです。ただしこの話を受けた場合、自分は貴方に軍の道を勧めようと思っています。」


 異端には異端なりに、生きるべき場所があるとムステトは考える。

 依頼次第で手を汚し、仕事次第で人を殺す。そう答えたカラーナの歪さは場所によっては才能ともとれるもの。その道の一つへと、ムステトは導きの手を差し伸べるのみ。



「貴方のは酷く軍向きの性質だと思いますし、逆に言えば、向いていないなんてこともあるかもしれません。元々が自分の主観によるものが大きいので、その場合は将来別の職に就いてもらっても構いません。軽い訓練ぐらいは受けてもらうつもりではありますが、強制はしないと約束しましょう。」

「…そんな緩い条件で良いの?」

「ええ、良いのですよ。自分はあくまで勧めるだけ。貴方が本気で別の道を目指すのなら、止めるのは野暮というものです。なんでしたら養子に迎え、タルージュの姓も渡しましょうか。」


 軍職を選ばれなかった場合はムステトの誘導が足りなかったということであり、そこはムステトのやり方次第。何より未来のことなど誰にも分からないのだから、ここで変に彼女の将来を固定してしまうのは面白くない。


 尤も、この話はカラーナが頷かない限り始まらない。ムステトは目の前の少女へと言葉を続ける。


「どうです? この仕事、カラーナは受けてくださいますか。」


 黒い手袋に覆われた右手が差し出される。ムステトの提案を飲むか否かは、少女一人の意思に委ねられた。

 この誘いにカラーナは───────。









 ────

 ───────────



「お客さんらー。もうしばらくしたら出発だから、忘れもんとかないようにねー。」

「はーいっ、分かったよおじさん。」


 御者を相手に、カラーナが人当たりの良い返事をした。

 それに気を良くしたらしい御者の男は「お嬢ちゃん、馬車に乗んのは初めてなのかい?」と言葉を続ける。カラーナはそれに大きく頷いた。


「うん、だから楽しみなの。」


 この対人能力の高さは元来のものか、それとも客商売で身につけたものなのか。カラーナの対応に御者はにこにこと笑みを浮かべ、満足そうに頷いた。


「そうかい、そうかい。慣れない人は酔ったり舌を噛む人も多いからね、気をつけるんだよ。」

「はーいっ。気をつけまーす。」


 現在、ムステト及びカラーナは乗合馬車に乗車していた。他に利用する客はいないようで、今は二人だけが馬車の車内を独占している。

 御者台から覗かせていた首がようやく引っ込んだ時、ムステトは彼女に向け「よろしかったのですか。」と口を開いた。カラーナはそれに不思議そうに首を傾げる。


「なにが?」

「いえ、あまりに簡単に了承を得られたものですから。自分について来る選択をして良かったのかと聞いているんです。カラーナは騙されてこれから惨たらしい目に遭う可能性もある訳ですが…、そのあたりはどうお考えで?」

「とくになにも。あの時は軍人さんが嘘吐いてるようには見えなかったし。」


 ムステトは自分で聞いておきながら、少女の返答を鼻で笑った。


「ふ、自分が一つも嘘を吐かない人間だとでも?」

「いや、“あの時は”、って言ったでしょ、軍人さん。軍人さんはめんどくさがりだから、嫌なことをよけるためなら普通に嘘を吐ける人だよ。それに、他のところでは私の前で嘘吐いてたし。」


 ムステトはそれに明確な反応をしなかった。

 軍服の男は均一な笑みを浮かべ続け、その隣に座るカラーナは子供らしい声色で伸びやかに言葉を続けていく。


「返してくれたお金ってさ、あれ本当は私のじゃないでしょ。軍人さんは『本人の意思を持って』だとか、『快く返してもらった』だとか言ってたけど、泥棒さんたちはお金に困って泥棒してたんだから、泥棒さんたちが簡単に返してくれるわけがないんだよ。私の袋の方は刺繍も入ってたし、本物だったけど、あの大銅貨一枚と小銅貨七枚は別で用意したものなんじゃないの?

 …例えば、軍人さんが自腹で払ってくれたんだとか。」


 自由に考察を述べてみせる彼女に対し、ムステトは面白がるような視線を向けた。


「カラーナが思うならそうなのでは? では、あの時の分は自分の仕事を手伝ってくださった僅かばかりのお礼ということで。額が足りなかったので、後で大銅貨二枚程追加しておきますね。」

「待って、その感じだと間違ったんだね。その言い方だと自腹じゃなさそう。」


 カラーナは両腕を組んで「うーん、だったらどのあたりが嘘だったのかな…。」と、やけに楽しそうな表情で悩み出したが、ムステトはそれに、そもそも嘘を吐いていなかったという発想には至らないのか、という感想を抱く。


 彼女の推察通り、ムステトは飄々と嘘を吐けるタチの人間である。

 しかしそれ故に言葉が空虚となってしまわぬよう、ムステトは出来うる限りの虚偽は述べないようにしている。どうしても必要があるなら嘘は吐くが、精々が言葉を選んで濁す程度。

 確かにカラーナの言うあの時だけは ある一つの嘘を吐いていたのだが…、それを子供に察されるとは思わなかった。


「そも、貴方の部屋に入ったのは強盗だけではなかったということですよ。」

「うん…?」

「物を盗った時点でも泥棒であることに大した違いはないのですが…、まぁ、それはともかくとして。」


 ムステトは別にどうでも良いだろうと判断した話題を、横へ横へと流した。


「カラーナは知らない人間について行くなとは習わなかったのですか? 自分が言えたことではないですけど、そう易々と他所について行かれても困るのですが。」

「習ったけど…。あの時は仕事もらえてなくて求職中だったし、軍人さんは知らない人じゃなかったよ。それに、軍人さんは私にとって悪いことはしなかったし。」


 悪びれた様子なく屁理屈を並べてみせるカラーナに、この子供の危機感はどうなっているのかと少々心配になってきたムステト。

 彼女に駄目押しながら、「では、貴方にとっての悪いこととは何なんです?」と更に質問を重ねてみる。


「私の仕事を取ることだよ。今のところは副業するつもりもないし、軍人さんがダメって言うなら他の人の依頼は受けないつもりだから安心してね。」

「それは今の雇い主が自分だからですか。」

「? そうだよ。当たり前じゃん。」


 彼女の変わり映えない返答に、ムステトはもはや苦笑するほかない。


「私としては、軍人さんが私を雇ってくれたことが逆に意外なんだけど…、なんで私に依頼をくれたの?」

「そうですね…。敢えて言うなら似ているからでしょうか。」

「誰に?」

「自分に。」

「私が?」


 ムステトが頷くと、「ええ〜?」という声を発しながら、カラーナは納得いかなそうに首を捻った。


「私、軍人さんみたいに髪黒くないし、胡散臭い顔もしてないのに、一体私のどこが似てるの? それとも似てるっていうなら今はできないだけで、私もいつかは軍人さんみたいに氷を出せるようになったりするのかな?」

「残念ながらそれはありえませんね。」


 彼女の言葉に、ムステトは否定の台詞を即座に返す。

 何故なら彼女の魔力量は無いに等しく、魔法どころか魔術でさえもカラーナに扱えることはないだろう。しかしながらムステトは、特にそちらは求めていない。


「自分が似ていると言っているのは外見ではなく、人間性の部分ですよ。カラーナが“仕事”というものを大切にするように、自分も“狩り”という生きがいを大切にしているんです。貴方のも言い換えれば生きがいと呼べるのですし、そこが似ているとは思いませんか。」

「うーん…。よくわかんないけど、軍人さんがそう思うならそうなんじゃない?」


 カラーナはあまり理解する気が起きなかったのか、曖昧なままに頷いた。


「というか、『胡散臭い』ですか。自分の顔はそんな風に思われていたんですね。」

「あっ。」

「今のうちに露見出来て良かったです。」


 流石にまずいと思ったのか、カラーナがあからさまに顔を逸らした。やってしまった、と言わんばかりだ。ムステトはそれに追及をしない。ただじっと、いつもの貼り付けた笑みを彼女に送りつけるのみである。

 カラーナはそれに、余計気まずそうに肩を窄ませた。


「えーと、その…、ごめんなさい。」

「別に怒っていませんから、謝らなくとも良いんですけど。」

「えっと、軍人さん。あのさぁ、…………あ。」


 何かを言い出しかけたカラーナが、ふと思い出したように言葉を止める。


「どうしました。忘れ物ですか。」

「いや、そうじゃなくて。私、軍人さん家の子になるんなら、ずっと『軍人さん』って呼び方なのはおかしいよねって今気がついてさ。これからなんて呼んだらいいのかなって。」

「ああ、なるほど。そのことですか。」


 ムステトはほんの少しの間逡巡した。


「…ではムステトと。敬称はいらないので、呼び捨てにしてもらって構いませんよ。」

「分かった、ムステトね。よろしくムステト。」

「よろしく、カラーナ。」


 差し出された小さな手を、ムステトは手袋越しに軽く握った。カラーナはそれを、力いっぱいの手でか握り返す。





 …ここから、のちに「悪魔の親子」とも呼ばれる二人の歯車は噛み合い始めた。


 ムステトとカラーナは後世の大陸でも語り継がれる存在となり、残った記録から、研究者たちの間でも異端であったと評される彼ら。

 そんな二人がこれから何を成し、何を築き、どのようにして『アルカイル』なる人物を討ち取るのか。


 これは血の繋がらない親子の、過程を描いた物語。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る