第7話 昔語りを
冴え渡った青空の下、本日は正午から町外れの墓地で葬儀が行われていた。神官より死後の安寧を祈られるのは、既に土の下に眠るあの商店で襲撃を受けた犠牲者達である。急遽作られた墓の周りの多くには、平日に関わらずそれなりの人が集まっている。
粛々と進められるその様子を、ムステトは遠く離れた木陰から見つめていた。
一通りが終わった後、人の波を掻き分け一人の子供が駆けて来る。黒のワンピース姿のカラーナは、転ばぬようにか足元に目を配りながら、じれったそうに近寄ってきた。
「軍人さん、待たせてごめんね。つまんなくなかった?」
「ご心配なく。お気になさらずとも、ここで好きに過ごしていましたから。」
「あ。ほんとだ。なんかいっぱい作ってるね」
座ってくつろいだ様子のムステトの周りには、氷によって生み出された小さな動物達が点々と転がっていた。以前作り出されたような兎もあれば、犬や猫、馬や羊など、幾つか種類が増えている。
彼女はそれらの邪魔にならない場所に適当に座ると、その一つを手に取り、また元の位置へと戻した。
「あのね、今日は色がダメっておばさんに、大きさ合わないやつ履かされたの。見て、この靴ね、すごいぶかぶかで転んじゃうかと思った。」
「おや、大丈夫ですか。」
「こうやって走んなければだいじょーぶ。」
今の彼女は氷の動物よりも、話を聞いてもらいたい気分らしい。
足首をぷらぷらとさせながら、「ねぇ、軍人さん」とカラーナは笑った。
「私、ちゃんとご葬儀出てきたよ。」
「ご感想は?」
「やっぱり…、よくわかんなかった。」
カラーナは困ったように頬を掻いて、元いた墓地へと視線を滑らす。
「あのさぁ、軍人さん。みんな人が死んだらああやって、天国に行けますようにって神様にお祈りするじゃない? でもね私、やっぱりわかんないんだよね。どうしてみんながそんなに神様を信じられるのか。もっかいくらい出れば、ちょっとはわかるかな、って思ったんだけど。
前にお父さんとお母さんが死んじゃった時もご葬儀はやったけど、その時もね、今日みたいに神様や天使様は降りてこなかったよ。何もなかったよ。死んだ日だってそうだった。神様は何もしてくれないのに、何でみんなは信じてられるんだろ?」
その顔に悲壮感情などは窺えない。ただ純粋に、カラーナは疑問に思っているようだけのようだ。
「さぁ…信仰というのは人それぞれですから。カラーナは神を信じたいのですか。」
「うーん、わかんない。…そもそも、神様っているのかな。」
ムステトは彼女の呟いた言葉に肩を竦ませ、「そこからですか。」と笑って返した。
その反応はカラーナにとって満足いかないものだったらしく、彼女はだってさー、と頬を膨らませる。
「確かにね、もしかしたら神様っているのかもしれないよ。見えないだけでお空にいるのかもしれない。私たちのこと上からいっつも見てるのかもしれない。だけどさ、その肝心の神様は私たちには見えないんだったら、いるのかだってわからないよね? …そうなると、最初に神様がいるって言い出した人は神様が見えたのかな。どうなんだろ。」
カラーナが「軍人さんは見たことある?」と首を傾げて尋ねてくる。
ムステトは顎に手を掛け、少し昔を思い出しながらぽつりと答えた。
「あると言えばあるかもしれません。」
「え、そうなの!?」
「ええ。ただ、神といっても死神でしたが。」
「………えっと。しにがみ、って何?」
カラーナは困惑したように眉をひそめた。この辺りは一神教であるから死神の概念がないのだろう。ムステトはなんだか懐かしくなって、己の体験談を語り始めた。
───
ムステトの故郷は、冬になると孤立するような場所にひっそりとあった。
そこは地形の関係で交通の便が悪く、何世代も前に帝国の支配下に置かれたにも関わらず、未だ独自の風習が色濃く残る地域でもある。
その風習の中に、『
それは死人が出た際に家の前で籠を吊るすという風習で、魂籠とはその吊るされた物を指す。
これは地元の『死んだ人間の魂は鳥になる』という考えに基づいており、身体から抜け出た魂があの世から迎えに来た死神が来るまでに迷子になってしまわぬよう、留めておくための借宿とされる。
魂籠は長くて一ヶ月吊るしておき、それ以上過ぎると外されるのが通例である。吊るす際の紐には予め切れ込みを入れておくのが一般的であった。
籠が地面に落ちていると、地元の老人は「迎えが来た」と言い、反対に期限中に落ちなかった魂籠については「迎えが来なかった」だとか、「そもそも魂籠から抜け出していて迷子になった」などと好き勝手言われる。
だが、大概は一ヶ月待つより先に紐が切れることが殆どで、魂籠が落ちぬことは滅多になかった。ムステト自身、今まで人の手によって外された魂籠を目にしたことは一度もない。
しかし、その“迎え”の瞬間ならば一度だけ、ムステトは目の前で体験したことがあった。
それはなんて事のない、とある冬のことだった。
幼い頃のムステトが帰宅するまでの雪道を一人ぷらぷらと歩いていると、ふと、とある家の魂籠が目に入る。普段のムステトなら素通りするところを、いつもとは違う道順なのもあって立ち止まった。そこは当時、近所でちょっとした噂になっている家でもあった。
なんでもその家では一週間程前に産まれたばかりの赤子が死んでしまい、別れを惜しんだ若い夫婦が、その魂籠を不適切な程太い紐で吊るしたのだという。
近所の何人かはその行動に苦言を呈しに行ったたらしいが、嫁が頑として受け入れず、それどころか雪まで投げて抵抗してきたために、あの家の嫁は伝統に煩い連中から目をつけられているらしい。
そんな噂で持ちきりでだったその家の周囲は、ムステトが立ち止まった時無人であった。
ムステトが面白半分に近寄ってみると、その魂籠には本来ならば不用であるはずの鈴がつけられており、紐は話に聞いた通り随分頑丈そうな太さである。紐にはもちろん、何処にも切れ込みが入っていない。
あと三週間と少しでこれは本当に落ちるんだろうか。
当時のムステトは疑問に思い、忍耐強くその魂籠をじっと見つめることにした。
だがしばらくすれば、そんな行動にも飽きてくる。
その日は酷く天候が穏やかで、ほんの微かな風もなかった。鈴の音ぐらいは聞けるかと思ったのに一向に少しも揺れないのだ。家の周りは静寂が包み、周囲の環境音さえ聞こえてこない。
触るつもりはなかったが、試してみるとどれだけ手を伸ばそうと身長的に届かないことが分かる。
つまらなくなってきたムステトは、もう帰ろうと踵を返す。
そんな時になって、雪を踏みしめる音に紛れ、チリ…、と高い鈴の音が聞こえた気がした。
おや。
やっと吹いたらしい小さな風が、あの魂籠を揺らしたのだろうか。
上手く聞き取れなかったその音色に、幼いムステトはもう一度揺れてくれないものかと背後の魂籠を振り返った。
しかし、振り返ったその時には既に魂籠は落下途中。
当時のムステトは、それが落ちて行くのをただ眺めるより他になかった。
雪の上に落ちた時、一際大きな金属音がその場に響いた。
チリンッ、と。
ムステトは急いで魂籠に駆け寄った。
見てみれば、あの頑丈そうな紐はぷっつりと切れており、それらは籠と雪の上に散らばっていた。手に取って眺めれば、結び目は解けておらずしっかりと堅い。
それはまるで、鋭い刃物で切られたような美しい切り口であった。子供が見ても分かるほど、自然に切れたのではあり得ない形状をそれはしていた。
目に映らなかっただけで、死神が近くにいるのかもしれない。
そう思ったムステトは近くを満遍なく見渡したが、周りに残るのは他より小さい自分の足跡のみで、新しい痕跡は特にない。
あの頃は不思議だなあと、深く感心したものであった。
…しかしその後、音を聞きつけたらしい例の嫁が飛び出してきて『お前がこの子を落としたのか!』と詰め寄られたことは未だ解せない。
その頃には能力が開花していたムステトは、地元では異端児として既に有名だったために、その分嫁からのあたりも強かった。
ムステトはやっていない、そもそも自分は魂籠に手が届かなかったと弁明をしたが、まるで聞き入れてもらえずに異能でやったんだろうと決めつけられた。
結局。女からの誤解は解けずに、ムステトは成長してからもその家の者に睨まれるという結果となっている。
───
そんな話を所々掻い摘んで少女に話すと、聞き終えたカラーナは興味深そうに、「へぇ〜。」と何度も頷いていた。
「面白いね。死神様って足ないのかな?」
「さぁ、どうでしょう。何せ自分の目には映りませんでしたから。」
「ふぅん。でも、少なくともここでみんなが信じてる神様よりはいるっぽいね。私、見てるだけの神様より、そっちの死神様の方が好きだなぁ。働き者っぽいから。」
「おや、そうですか。」
「ね、軍人さん。軍人さんはどっちの方の神様が好きなの?」
ムステトはその問いに「…そうですね。」と少し頭を巡らせ言葉を選んだ。
「…まぁ、敢えて言うなら死神の方です。ですが、自分は貴方と違って魔法師ですので。地元では異能を使う者の魂は、死んだらそもそも鳥にならないというのが通説なんです。ですから……、ッ」
そこまで言ってムステトは、思わず言葉を詰まらせる。
「…ですから、自分は死神のお世話にならないかもしれませんね。」
少女に気にした様子がない事を良いことに、ムステトは自分自身を誤魔化すよう、周りに散らばる氷像の一つを手に取った。
「……。」
見てみれば、右手に納まったそれは奇しくも鳥の形を為している。
ムステトは無言で、その鳥の表面を指でなぞった。
…何故だろう。
らしくなく、昔語りなどしたためだろうか。
『人の心もない、子供の皮を被った化け物め!』
あの魂籠の、我が子の魂を想って怒り狂う女の姿がムステトの脳裏にちらついた。
あの嫁は冬の寒い中、顔を真っ赤にさせながらムステトの胸ぐらを強く掴み上げた。
女は子供のつま先を浮き上げらせてまで、許さない、許さない、よくもあの子を、と幼いムステトに繰り返す。抵抗すれば余計面倒に繋がることは分かっていたため、当時は不満を覚えながらも嵐が過ぎ去るのを待つより他になかった。
女があんまりにも騒ぐので、その声を聞きつけた者たちが流石に止めに出る中、女の行動全てを、呼び出されたムステトの母は止めなかった。
ああ、同じ“母”でも、どうしてこんなに違うものか。
今まで忘れ気味だったというのに、そう思ったことは意外と記憶の中に残っている。
『お前のような化け物に、人でなしに! 死後の魂の導きを得られると思うなあ!』
母が同意するよう、小さく頷くのが視界に隅に映りこんだ。
嗚呼、本当にらしくない。
ムステトは自嘲気味に、俯きながら少し笑った。
「ふーん。じゃあ軍人さんは、死んだら新しい死神様になるのかもしれないね。」
そこでカラーナが言い放った言葉に、ムステトは思わず目を剥いた。
勢い良く顔を上げれば言った本人は呑気に手元の氷像で遊ぶばかりで、こちらを見ている素振りは全くない。先程の言葉がなんとなしに言っただろうことが分かり、それが余計にムステトの動揺を強く誘った。
「……。」
ムステトは何も言わずにカラーナを見つめる。
表情を取り繕う余裕さえなくなり、そこには感情を削ぎ落としたような顔だけが残った。
「…?」
急にムステトが黙り込んだのが気になったのだろう。
振り返ったカラーナは、ムステトの笑顔以外の表情に物珍しそうな顔をする。
「…カラーナ。貴方、何故そのように思ったんです。」
「え? だって、軍人さんまほーし?だから、死んでも魂が鳥にならないかもしれないんでしょ? だったら軍人さんの魂が死神様の形になったっておかしくないじゃん。」
「……。」
「あっ、でも、軍人さんは死ぬ時一応、魂籠用意しといた方がいいと思うよ。もしかしたら見えないだけで鳥になるかもしれないんだし、先に周りの人に頼んどいた方がいいんじゃないかな。」
…なるほど。
度肝を抜かれるとはこういうことか。
「………あは、あはっ、あはははははははは!」
そこから先、ムステトは大口を開けて盛大に笑った。
ムステトは背を大きくのけぞらせ、勢いのまま草地にごろんと横になる。木陰に転がっても、その男は腹を抱えてしばらく笑い続けた。
そんな突飛な言動に、今度はカラーナの方が酷くびっくりしたようだ。彼女は口をぽかんと開けてムステトのことを凝視している。
「…えーと、軍人さん。私、そんなに変なこと言ったかな。」
「はー…、いえ。大変素晴らしい考えだと思いましてね。素晴らし過ぎて、思わず笑ってしまっただけですよ。」
「…そうなの?」
「ええ。先程は、自分の視野が如何に狭かったか思い知らされた次第です。変にこだわっていた自分が馬鹿みたいですね。」
「?」
寝転がったままのムステトに、少女はよく分からなそうに首を傾げた。
「ねぇ、カラーナ。貴方はこの町に愛着など持ってたりします?」
「うーん? 別にないけど。」
「ならば自分と共に、ここを出る気はございませんか。」
二人の間を清涼な風が通り抜けていく。
穏やかな木々のざわめきが響く中、カラーナは不思議そうな顔で、ムステトのことをきょとんと見つめるばかりだった。
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