第6話 あわない

 翌朝。軍服を着こみ、ムステトは再び番頭の家を訪れていた。戸を軽く叩けば、昨晩も見た中年の女が顔を出す。番頭の妻はムステトの姿を見とめると、どこか恐れた様子で一歩下がった。


 はて。

 昨日のあの僅かな間に、自分は怯えられるような真似を溢しただろうか。ムステトは内心首を捻りつつ、疑問をいつもの笑みで隠して普通に挨拶を試みた。


「おはようございます。昨晩はどうも。朝早くにすみません。」

「え、ええ…。おはようございます。軍人さんが、一体うちに何の御用でしょうか…? すいませんが、主人は既に家を出た後でして…。」

「ああ、いえ。本日はご主人ではなく、先日お送りしたお嬢さんに所用がありましてね。不躾ですが、カラーナさんは今いらっしゃるでしょうか。」


「それは、その、いますけど…。」と妻は歯切れ悪そうに口籠る。


「…あの、昨日はあの子、氷を持って帰ってきたんです。ここらじゃあんまりにも珍しくて、旦那様のお店でも滅多に取り扱わなかったのに…。それで、聞いたらあの子、貴方がこの氷で兎を作ってくれたんだって言っていて…。」


 女が目を逸らしながら答えるその辿々しい言葉を聞いて、ムステトは遅れながらもようやく合点がいった。番頭の妻はただ、目の前の男が異能を使えるのだという事実に気づき、恐れ、怯えているのだった。


 別に、カラーナが話した内容自体に問題はない。

 元々交わした“約束”の内容の中にムステトの氷のことは含まれていなかったし、ムステト自身、そこは言いふらされても問題はなかった。既にの依頼は済ませているため町からは今すぐにでも出れるのだし、もし町中に広まったとしても、ムステトにはあまり関係がない。


 しかしこの女のように、周りはそうもいかないのだろう。


 そもそも、カラーナにあの小兎を送った時点でこうなることは既に決まっていた。ムステトは自身で氷を生み出すことが常であり麻痺していたが、都会と田舎では氷の扱いはまるで違う。

 そして、そんなものを子供が持ち帰り、話を聞かされて自ずとムステトの正体がわかってしまった女は怯えているのだ。引き取った子供がそんな男と関わりを持ったことにも、自分と接点が出来たことにも。



「その、大変素晴らしいものをカラーナは頂いたようで、とても感謝しております。代金なら、代金ならあたしが代わりに払いますからっ、どうか、カラーナには…!」


 どうやら、金を強請りに来たと思われているらしい。あの兎を盾にして。

 ムステトは咄嗟に口許に力を入れる。あともう少しで吹き出してしまうところだった。


 先日はこの家の者らが強請られることのないようカラーナととも“遊んだ”というのに、女はそれも知らずに、逆にムステトを金をせびりに来た相手だと勘違いしている。


 あの小兎はムステトにとって特に大したことのないものだ。いつだって作れるし、その気になればあれより繊細な装飾もできる。これからも暇があれば制御訓練の一貫として続けようかと考えているくらいの代物であった。

 そんな程度のものの代金を目の前の女は必死になって払おうとし、これ以上ムステトをカラーナに近づけまいとしている。


 それも、“可哀想な”カラーナの身代わりに。


 番頭の妻は健気に、そして酷く滑稽にムステトに映った。

 ────あの子供に『可哀想』などという同情の言葉は、とてもじゃないが似合わないというのに。



 番頭の妻はムステトが半歩踏み出すだけで、一歩二歩後ずさる。それでいて、次に何をするつもりだとこちらの行動を深く注視していた。

 それらを見ていたムステトの胸の内より、ちょっとした悪戯心が疼いてくる。


「…いえいえ、奥様。お代など結構ですよ。あれは既にお嬢さんに差し上げたものですし、子供にせびるような真似を自分がするはずがないではありませんか。」

「…え?」

「それに、あの氷は特に他愛もないものです。いつでも作り出せるからこそ、自分はお嬢さんに差し上げたのですから。例えばほら、こうやって…」

「……っ!」


 ムステトは軽く手を振った。まだ魔法など使ってはいないのに、それだけで女は一々肩をびくつかせる。


 そしてムステトはふと思いついた風を装って、「そうだ。」とわざとらしく呟き、ぐいっとその場から半歩踏み出した。


「ひっ…!」


 背の低い番頭の妻を、ムステトは笑顔で覗き込む。急な動きに後ずされなかった番頭の妻は、芝居がかってゆっくりと差し出されたその手を、今にも倒れそうな顔で凝視した。


「せっかくですし、奥様にも一つこの場でお作りしましょうか。…知ってますか? 氷って、とても美しいものなんですよ。」



 その途端、二人を中心にバシンっ、という音が響いた。



「け、結構です!」

「ははは、それは残念。」


 響いた音は、ムステトが強く拒否された結果だった。番頭の妻は自分で手を払った行為に、次第に顔を白くさせていく。反射で手が出るほど嫌だったのだろうか。

 調子に乗って親と変わらぬくらいの大人を揶揄ったが、そこまで面白くはない。

 

 さて、ここからどう切り込もうかとムステトが考えていると、前触れもなくひょっこりと、カラーナ本人が顔を出した。女の後ろから目が合うと、カラーナは驚きと歓喜を滲ませ「わぁ、軍人さんだ!」と歓声を上げる。


「こら! 中に入ってなさい!」


 会わせる気のなかった番頭の妻は慌てて背中で隠そうとするが、そんなこと知ったこっちゃない様子のカラーナは、するりと小さな身体を滑り込ませてムステトの前に向かい立った。

 ムステトは少し屈んで彼女の視界に近くすると、にこやかに「おはようございます。」と挨拶をした。それにカラーナもにっこりと笑う。


「おはよーございます、軍人さん。今日は朝からどうしたの?」

「ええ。本日は貴方にある物をお届けに。朝から訪ねるのは失礼だとは思ったのですが、お嬢さんには少しでも早い方が良いかと思いましてね。入れ違いになっても困りますし。」

「? どういうこと?」


 ムステトが更に言葉を続けようとしたところで、それは女からの「カラーナちゃん、その人なんかと話しちゃ駄目よ!」という悲鳴のような声で遮られた。

 少し揶揄っただけで随分な嫌われようだと、ムステトはほんの少しの苦笑を洩らす。

 女の言動にカラーナはうんざりしたように顔を顰めると、迷惑そうに「何で?」と聞き返していた。


「何でって、あたしは貴方を心配して言ってるの…! 昨日の夜も、関わっちゃ駄目って言ったでしょう…!?」

「言われたけどさ、何で駄目なの? この軍人さんはお店で私を見つけてくれた人だよ。」

「そんなの関係ないっ、関わっちゃ駄目なの…!」

「……。」


 カラーナは無言の後、「理由を聞いてるんだけどなー…。」と小さく呟くと、ムステトの左手を手に取った。ムステトは手袋越しにも伝わるその小ささに少し驚く。


「行こ、軍人さん。他のとこ案内するよ。」

「おや。よろしいのですか。」


 その問いにカラーナは「だってここじゃ落ち着いて話せないもの。」と淡々と返す。

 ムステトは別に移動しなくとも構わなかったが、彼女の後ろでは女が今も騒いでいる。確かに煩わしいことに違いない。

 

「おばさん。私たち噴水のところに行ってくるから。そんなに心配なら着いてきてもいいけど、うるさくしないでね。」


 カラーナは番頭の妻にそれだけ言い残すと、ムステトの手を引いて歩き出した。







 ────

 ───────────



 結局、番頭の妻は着いては来なかった。


 二人は広場に設置されたちっぽけな噴水に辿り着くと、共に縁へと腰掛ける。装飾さえない噴水からは頼りないながらも水の音がし、涼やかなそれが、この場に少しばかりの清涼感を生み出している。

 その姿は昨日と同じく周りからは大分浮いて映ったが、既に気にすることはどちらもない。


「軍人さん、なんかすごい嫌われてるのね。昔おばさんに嫌な事でもしたの?」

「今朝はする分にはしましたが、お会いしたのはお嬢さんをお送りした昨日が初めてですよ。初対面と言っても過言ではありませんが、嫌われてしまったのなら仕方ありませんよね。」

「ふーん。」


 カラーナは自分から尋ねたのにも関わらず、興味なさげな相槌を打った。


「ま、いいや。それで、軍人さんは何を持ってきてくれたの?」

「おや、おばさんについてはもう良いのですか。もう少しぐらい聞かれるかと思っていたのですが。」

「だって、軍人さんがわざわざ家に届けにきてくれるくらいの物なんでしょ? 軍人さんってそういうめんどくさそうなの嫌がりそうなのに。だったら私、そっちの方が気になるよ。」

「ふむ、そうですか。では勿体ぶらずにさっさと出しますかね。」


 するとムステトは、懐からとある革袋を取り出した。茶色の袋からは、ちゃらちゃらと金属の擦れる音がする。カラーナが促されるままに中身を確認すると、その袋の中には大銅貨が一枚、小銅貨が七枚、入っていた。


「これって…。」


 カラーナが呆気にとられた様子でムステトを見返す。

 ムステトはその視線ににこやかに答えた。


「実は、先日の“あれ”を憲兵所に届けるついでに確認をとりましたら、盗った犯人が発覚し、面会するまでに至りまして。お話し合いの末、本人の意思をもって快く返してくださいましたよ。それと…。」


 ムステトは軍服からもう一つ、中身のない、折り畳まれた状態の緑の袋を取り出した。袋は一目見ただけで酷く草臥れた様子がよくわかり、生地などは所々変色していた。

 カラーナはそれに目を見開く。


「あ! それ、私の袋!」

「その反応を見るに、お嬢さんの物で間違っていなかったようで。

 この袋は犯人を取り押さえた際に一緒になって傷つけられてしまったらしく、穴が空いている状態で押収されました。自分で持ってきておいてなんですが、正直もう使えないかと。」

「…いや、穴が空いててもちゃんと返ってきてくれただけで嬉しいよ。もう返ってこないと思ってた。自分のお給料で買った、死んじゃった見習いのみんなともお揃いの刺繍のやつだったの。

 …軍人さん、二つとも持ってきてくれてありがとう!」


 受け取った袋の二つを、彼女はぎゅっ、と抱きしめる。その横顔には、深い安堵の表情が浮かんでいた。

 その反応を見たムステトに、なんだか感慨深いものがこみ上げてくる。



 カラーナには常々、利己的な部分が強い傾向が見受けられるとムステトは思っていた。年齢からくるものも勿論あるだろうが、それ以上に、カラーナには本質的に関心があるもの、無いものとの感情の落差が非常に大きい。


 例を挙げるならば、彼女の『関心の無いもの』の中には、他人の死や殺人行為などといった非人道的な事柄が含まれている。それらを前にしても、カラーナがこれといった感情の波を顕にすることは殆どなかった。

 事件現場で従業員たちの末路を伝えた際も彼女の反応はあっさりとしたもので、その時もカラーナは顔色一つ変えずにいた。店の通路にはそれなりに損傷の激しい死体が点在しており、その中には子供の死体の山もあったが、それらを見てもカラーナの反応は物を眺めるかのようにとても薄いものであった。



 また一方で、カラーナは“仕事”という概念に固執している一面も持っている。これは不思議なことに、彼女の『関心のあるもの』の中で一番顕著だったものである。


 ある時はムステトに対し、彼女は『仕事と情は別であり、自分の業務外の行動はしない』という自論を展開させることもあった。店の復讐をしない理由がこれだというのだから、既に異常であることが窺える。

 今回ムステトが返してやった金だって、あの時賊の身を剥ぐなりすれば最も手っ取り早く済んものをそれは『仕事でなくそれは泥棒だから』と頑なに拒否して、カラーナはその行為に及ぼうとはしなかった。


 独自に定めたのルールの中で、仕事で『ある』か『ない』かで行動を決める。そんな異質な子供がカラーナなのだと、ムステトは彼女を認識していた。



 …そんな少女が、形見の品を胸元に抱いて喜んでいる。

 なんだか感慨深い、というのは失礼な話、故人との思い出を大切にするような心の機微がこの少女にもあったのか、という感慨であった。そのあたりの感情が欠落している訳ではなかったらしい。


 しかし、こんなに感激してもらえるなら、偶然ながら見つけた甲斐があったというもの。

 正直ここまでの反応は予想外だったムステトは、珍しくお節介の真似事をした己自身を少しだけ褒めてやりたくなった。



「軍人さんもなんだか嬉しそうだね。」


 ひと満足したらしいカラーナが、斜め下よりムステトの顔を覗き込む。

 確かに機嫌は良かったが、そこまで分かりやすかっただろうかとムステトは内心苦笑した。子供に気取られるなど、少々小っ恥ずかしいものがある。


「そう見えますか。」

「うん、見えるよ。軍人さんいつも笑ってるけど、今はちょっと笑い方が違うもの。」

「へぇ、どのあたりが違うんです?」

「どのあたりっていうか、雰囲気がね。お面が半分くらい割れて、人間のお顔が半分くらいのぞいてるみたいな感じだったよ。」

「ふむ。お面ですか…。」

「あ。今、被り直したでしょ〜。」


 カラーナは足をばたつかせてきゃらきゃらと笑った。

 かと思えば、彼女がふと思いついた様子で噴水の縁より立ち上がる。彼女との視線が同じくらいの高さになると、ムステトはそうやって見るカラーナの顔がなんだか新鮮な気がした。


「そういえば今日ね、お昼からはみんなのお葬式があるの。軍人さん、それまで暇かな?」

「暇ですよ。本日は急な用件が入らない限り、ずっと空いている予定です。」

「あ、ならよかった。だったらさ、今日はずっと私とおしゃべりしてようよ。」


 カラーナは徐にムステトから数歩離れる。

 そしてくるりと振り返ると、無邪気な仕草で彼女は笑った。


「それとね、お嬢さんじゃなくって、もうカラーナって呼んでもいいよ!」


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