第5話 かえり道に

 カラーナを番頭の家まで送る帰り道、二人は大分暗くなってしまった町を並んで歩いた。

 足を進めながら、「こんなに遅く帰るの初めてだから怒られちゃうかな。」と困ったように語る彼女は、その実、怒られること自体はどうでも良いようにムステトに映った。

 カラーナの関心は相変わらず手の中の兎が奪っている。


「この兎、だいぶ溶けてきちゃった。手がびしょびしょ。」

「どうします? 作り直しますか。」


 ムステトが作り出した兎は魔法により形成された氷だったため、これでもよくもっている方だった。耳の原型は残っているものの、目の凹凸などは既に溶けて分からなくなっている。もうすぐこの兎はただの氷の塊へと姿を変えるのだろう。

 ムステトはそのくらいなら再現してみせることなど他愛もないと、良かれと思い申し入れた提案であったが、彼女はそれに首を横に振った。


「私はこの兎が好きだから、このままでいいや。全部溶けるまで見守ってあげることにする。」


 そう言ってカラーナは、大事に大事にそれを掌で包み込んだ。



「あ、そういえば。軍人さん。」

「はい、どうしましたか。」

「軍人さんの名前、何て言うの? 聞いてなかった。」

「ああ、そういえばそうでしたね。ムステトです。ムステト・タルージュ。」

「…なんか、あんま聞いたことのない名前だね。」


 少し首を傾げながら言うカラーナに、そうかもしれません、とムステトは返した。


「自分の故郷は同じ帝国内にあると言えど、ここからは大分距離がありますから。この辺りでは珍しい部類でしょうね。」

「ふーん。そうなんだ。で、何て呼んだら良いかな。ムステトさん? タルージュさん?」

「お好きなように呼んでもらって構いませんよ。」

「うーん…。」


 少女が唸る。

 長考の末、彼女が絞り出した言葉は「…じゃあ、軍人さんで。」だった。

 結局変わらない、とムステトは笑った。


「せっかく教えたのに。薄情ですね。」

「…だって、どっちもなんか違うなーと思ったんだもの。」


 カラーナが決まり悪そうにぶすっと答えた。

 挙げた例に違和感があったのは実はムステトも同じである。しかし、だからと言って別の案も浮かばないムステトは、本名で呼ばれないことに何処とない寂しさを感じつつも、現状維持で妥協することにした。




 程なくして、二人は目的地までたどり着く。

 戸を叩く音に顔を出したのは相変わらず萎びたかぶのような番頭の姿。番頭は暗い中 玄関前に佇む軍人の姿に目を剥いたが、その影に隠れるように立つカラーナに気づくと、ひと心地ついた様子で息を吐く。


「カラーナ、無事でよかった…。帰りが遅いから、何かあったんじゃないかと…。」

「遅くなってごめんなさい、番頭さん。」

「それに貴方は、事件の時いらっしゃってた…。」


 そこでムステトはぱっと背筋を正し、敬礼の姿勢をとって名乗りを上げた。


「は、ムステト・タルージュ中尉です。すみません、自分はこの町に来たばかりでして、お嬢さんを案内に付き合わせていたらこんな時刻になってしまいました。大変申し訳ございません。」

「い、いえいえ、とんでもない。昼間カラーナが中尉さんと歩いてたのは、他の者から話には聞いてました。むしろ、カラーナをここまで送ってくださってありがとうございます。」


 嘘は言っていない。盗賊の残党を釣るために散々それらしい場所を歩き回り、ムステトたちが町を見て回ったのは本当だった。

 まさか釣りをし始めて早々に仕掛けてくるとは思わなかったが、本日中に片付くとはとても良い意味で誤算である。それ程までにあちらも切羽詰まっていたのだろうか。


 ムステトが下げていた頭を元に戻すと、番頭の後ろからは怪訝そうな面持ちでこちらを窺っている女の姿がちらりと見えた。あれがカラーナが愚痴にあげていた『おばさん』だろう。目が合ったため、軽い会釈をした。


「では、自分はまだ仕事がありますので、これで失礼させていただきます。」

「軍人さん、今日は遊んでくれてありがとね。また会おうね。」


 扉の前に立ったカラーナが、兎を持ちながら空いた片手で手を振った。

 それにムステトも笑みを浮かべながら小さく振り返し、「ええ、また。」と和やかに告げる。



 彼女がくるりと背中を向けると、軋んだ音とともに扉が閉まった。


「……。」


 明かりが漏れる扉を僅かに見つめてから、ムステトはその場を後にした。


 軍靴が向かう先は、男達が氷漬けになって放置されたままの路地裏である。

 既に辺りは暗くなり、氷像は人通りのない袋小路にあるとはいえ、万が一偶然通りかかった一般住民に見つかったら面倒になることは確実である。なるべく迅速に処理しなければならない。


 少女と共に歩いた道順を辿りながら、ムステトは一人、黙々と今日のことを振り返った。


 残党は当初、彼女が言い出すまで金庫の鍵をカラーナが所持しているとは想定していなかったようだった。

 当然である。

 店の者が皆殺しになった元凶を、あんな小さな少女が持ち歩いているとは普通の人間ならまず思わない。男が洩らしていたことを踏まえて考えるに、奴らはカラーナの身柄を人質に、もう一つの鍵の所有者である番頭を強請るつもりのようだった。


 実際、彼女は金庫の鍵など所持していなかった。


 あの時自信満々にカラーナは握り拳を掲げて見せたが、その実中身はそこらで拾ったただの木の棒。ほんの少しだけ中身が見えるように握ると良い、と助言したムステトの言葉に素直に頷き、そっくりそのままはったりをかました胆力には、幼いながらにして目を見張るものがある。


 元々、あの“遊び”自体が全て彼女の発案によるものだった。作戦が酷くありきたりで、子供が用もない筈の袋小路に入り込んでいく不自然さなどが生まれたのもそのためである。


 番頭の家とも離れた路地裏を選んだのはムステトにとって都合が良かったから。憲兵所に程近く、この距離ならば引き摺って歩いても苦労が然程ない。これで釣れなければまた明日などと、ムステトは気長に構えていた。

 だが、本日中にあの残党らが現れたことでその考えは変わった。


 昼間、あの道端でムステトと偶然出くわさなければ、カラーナもあそこまで行動するつもりはなかったのかもしれない。

 しかしその一方で彼女が何もしなければ、あの男達はいつあの家に押しかけてもおかしくはなかった。仕掛けて早々、あの条件で誘き寄せられたのが良い証拠。今夜にでもあの二人は、番頭夫婦の家を襲うつもりだったのだろうか。



 ムステトは目を閉じ、あの家の扉を思い浮かべる。


 一体その時、彼女はどのように行動していたのだろう。




 ムステトは足を止めて空を見上げる。

 夜空には満月未満の不恰好な月が、まばらな雲と共に浮かんでいた。

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