第4話 氷の

「わぁ。おじさんたちカッチコチになっちゃった。軍人さんすごいねー。」


 コツコツコツ。

 カラーナが無邪気に氷に触れる。ペタペタと触っては、表面の冷たさに耐えきれないのか度々手を引っ込めている。その正面には男が二人、氷像となり果てた状態で沈黙していた。


「ねぇ軍人さん。このおじさんたちって死んじゃったの?」

「いえ、今はまだ生きていると思いますよ。ですが顔のあたりまで氷で覆ってしまったので、そのうち窒息して死ぬでしょうね。」

「出せないの?」

「おや。助けたいので? このお二人は貴方のお店の仇でしょうに。」

「いや、そうじゃなくて。」


 意地悪く笑いながら尋ねるムステトに、カラーナは表情も変えずにすっぱりと答えた。


「氷ってとっても珍しいから、割ったりして、ちょっとだけでも持って帰りたいなーって思ったの。でも、おじさんたちのところはいらないから、出したいなって。」

「ああ、なるほど。そういうことならあれとは別に自分が作りますよ。」

「えっ、いいの?!」

「構いませんよ。」


 ムステトはちょいちょい、と手招きをして、カラーナを近くに呼び寄せる。賊二人を瞬く間に放ったらかしにしたカラーナは、目を輝かせながらぱたぱたと近寄って来た。


「危ないので、手は出さないでくださいね。」


 一言注意して、ムステトは左の掌に集中し魔力を込め始める。

 子供の、しかもこんな年端もいかない少女の相手などまるで勝手がわからなかったが、とりあえずは一般的に可愛らしいと言われるものを作れば良いだろう。

 そうひとり結論付けたムステトは、片手一つで形成の操作に入っていった。これは酷く繊細な作業で、単純な氷を作り出すよりも些か時間がかかる。戦闘時に見栄えなど気にする必要がないため普段はここまでの制御は行わないのだが…、これもまた良い練習か。

 

 そうして遊び心も加えつつ、黒い手袋の上で生み出された物体にカラーナの目は釘付けとなる。それは氷でできた小さな手乗りの兎であった。


「わぁー、すっごーい!きれーい! ね、ね、もう触っても良い?」

「ええ。」

「ありがとー! ちっちゃくて可愛いー!冷たーい!」


 カラーナは受け取った兎に大はしゃぎで、それを上げたり下げたりしながら、何度も掌の角度を変えて鑑賞をしだした。そして「光に当てた方がもっと綺麗かも!」と言い出したかと思えば、薄暗い袋小路から元気よく駆け出して行く。


「わぁー、やっぱり! 夕陽でキラキラしてもっと綺麗〜!」


 夕陽に包まれながら笑う彼女はとても楽しそうで、その姿は、今まで見た中で一番子供らしい姿であった。


 ムステトはゆっくりと歩きながら、その小さな背中を追った。陽は先程よりも傾いており、辺りの影は濃くなってきている。

 頃合いを見計らいつつ、ムステトは少女に問いかける。


「お嬢さん。先程尋ねていた、お金の件はもうよろしいのですか?」

「え? 良いわけないよ。」


 カラーナはそこでやっと兎から視線を外し、ムステトの方へと顔を向けた。


「私のお金、返してほしいよ。大事だもの。でもあのおじさんたちは払いたくなかったらしいし、もう死んじゃうから、他の人に返してもらうことにする。」

「氷から出して服を漁れば、そのくらいの額はあるかもしれませんよ。」

「それはダメだよ。」


 少女から出た強い否定の言葉に、ムステトは少々面食った。

 カラーナと目が合う。そこには、子供ながらにも堅い意志が感じられる銀の瞳があった。


「…何故です?」


 疑問だった。この少女は身近な人間の無惨な死にも、目の前での殺人行為にも動じずにいたと認識している。だが、何故ここで拒絶するのか。理解出来なかった。


「私は、私が働いたお金を返してほしいだけだもん。死んじゃった人から取るのって、それって追い剥ぎでしょ? 泥棒でしょ? 仕事でもない。返してもらうのとは違うじゃん。」

「では、取られたままでも良いと?」

「それも違うよ。」


 ムステトの問いかけにカラーナは首を振って、むすっとしながら視線を兎へと戻した。


「私、明日も憲兵さんとこ行くつもり。今日軍人さんと会う前に行った時は会わせてもらえなかったけど、明日は捕まった人たちとちゃんとお話できるかもしれない。だからその人たちに返してもらうの。」


 なるほど、と思い、ムステトは低い位置にある彼女の横顔を観察した。

 この子には独自のルールが身の内で定められており、カラーナはその線引きの通りに動いているだけなのだろう。その中で、カラーナには殺人に対する忌避感などが全くない。断言できた。


「失礼、質問があるんですが。お嬢さんの中における殺人の定義とはなんですか。」

「…?」


 カラーナが髪を靡かせながら振り返る。


「てーぎって何?」

「決まり事のようなものです。何が良くて、何からが悪いのか。例えば、自分があの二人を殺したことは悪い事に入りますか。」

「入らないんじゃないかな。」


 即答であった。

 カラーナは少し考え込んだ上で、納得したように「…うん、やっぱり入らない。」と一人頷いている。


「それは何故です?」

「だって、それが軍人さんの仕事だもの。軍人さんは魔獣とか、人を殺すのがお仕事なんでしょ。仕事するのは良いことだよ。」

「では、店の人間が亡くなったことについては? 復讐しようとは思わなかったのですか。」

「んん? それって仕事じゃないよね。寂しいなってちょっと思ったりはするけど、“お店の復讐”は私の仕事じゃないからやらないよ。私の仕事は掃除と倉庫管理の手伝いと、頼まれた雑用だけって決まってるもの。あ、もちろん、仕事だったらちゃんとやるからね。」


 仕事か否か。それが全てだと言うように彼女は答える。


「なら、今回のこれは復讐には入らないと。」

「え、うん。入らないんじゃないかなぁ? だって、私のお金が盗られたのって、それってつまりは万引きと同じでしょ? お店の物を盗られたら、取り返すのは当たり前。でも、旦那様は『個人の問題は、店ではなく個人として解決しなさい』とも言ってたから、私はこうして私の力で取り返そうと頑張ってるんだよ。私のお金はお店の物、というか、売り物でもなかったしね。

 でもまぁ、ちゃんとした仕事でもなかったし、今日は軍人さんに手伝ってもらったり、かくれんぼとか鬼ごっこみたいにちょっと遊びながらやらせてもらったりはしたけど…。明日はもうちょっと真面目に頑張るつもりだよ!」


 彼女はその意気込みを示すよう、ぎゅっと右手で握り拳を作ってみせた。もう片方の手には、もちろん氷の兎が大事そうに持ち上げられたままである。

 ムステトはもはや愉快そうな感情を隠しもせずに、目を弓なりにしながら彼女に尋ねた。


「その遊びの中で、人が死んでも構わないのですね。」

「うーん。…別にどっちだっていいかな。いつもなら憲兵さん呼ばないとだし、呼ばれる側になるのも大変だからしないけど、さっきのは軍人さんが仕事をしただけで私には関係ないでしょ? 私は私が怒られないなら、別にどうだって良いかな。」


 ムステトは彼女が平然と宣う台詞にくすりと笑い、訂正をした。


「いえ、貴方が囮になって、盗賊の残党を釣った行為事態があまりよろしくないので、外で言ったら散々に怒られるでしょうね。」

「軍人さんが?」

「自分とお嬢さん、両方ともです。」

「ええー。やだー。」


 カラーナが不満そうな声を上げる。

 予想通りだったため、ムステトは「そこで。」と言葉を続ける。


「今日のこれは、お互い秘密にしましょう。幸いにして逃亡していた者はこれで最後。捕らえられた者からの情報に虚偽が無ければ、おそらくはこれ以上釣れることはないでしょうし。」

「囮のことも、氷のおじさんたちのことも内緒?」

「ええ。内緒の約束です。」


 互いに人差し指を口の前に持ってきて、違う高さの視線を合わせる。

 昼間のときのように悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女に、ムステトは口の端を歪めてみせた。


「出来ますか。」

「うん。できるよ。約束ね。」


 二人が浮かべ合うその表情は、少女の手の中の小さな兎だけが見つめていた。


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