第3話 ひそむ

 夕暮れの路地裏を一人、少女が誰も連れずに歩いていた。人気は少なく、他の子供の姿もどこにも見えない。それもそのはず。数日前に陰惨な事件があったばかりだ。商店を襲った強盗犯が全員捕まった訳ではなく、何名か取り逃したままだというのだから尚更であった。

 それでも一人、カラーナは路地裏を突き進んだ。何度も曲がり角に入り込むうちにその薄暗さは濃さを増し、ただでさえ少ない人影は皆無となる。

 カラーナが空を見上げれば、オレンジがかった薄い青が覗いていて、そこを度々、翼を広げた鴉がすぅっと横切る。


「カァカァカァ。…うーん。カァー、カァー?」


 カラーナの物真似の精度はそこそこであった。


 やがて、止まらないかに見えたカラーナの足取りはある地点でぴたりと止まる。視線の先はそれ以上道のない袋小路。行き止まりだと認識したのか少女が踵を返そうすると、退路を塞ぐように男が二人、カラーナの後ろに佇んでいた。


「おじさんたち、だぁれ?」


 カラーナが首を傾げながら問いかけるが、粗雑な風貌の男達がそれに答える様子はない。無言のまま、男達は少女へじりじり近づいて行く。目つきは鋭く、手にはナイフが握られていた。

 張り詰めた空気。

 それは意外にも、少女のたった一言によって乱される。


「鍵がほしいの?」


 それだけで、男達の動きがぴたりと止まった。


「私、持ってるよ。金庫の鍵のことでしょ」

「……嘘じゃねぇだろうな」

「ちょっと待ってね。…ほら!」


 彼女は徐に手を突っ込んで、ポケットから握り拳を掲げてみせた。小さな手からは黒い棒が確かに覗いている。


「私はいらないから、これ、おじさんたちにあげてもいいよ。でもね、代わりにおじさんたちに聞きたい事があるんだ。答えてくれたらちゃんとあげる。」

「……。」

「……。」


 その後。双方ともに無言の時間が続いたが、少女は腕を掲げて、ただにこにこと笑うのみ。

 しばらくすれば痺れを切らしたのか、男らの内、髭面の方が口を開いた。


「………分かった。何が聞きてぇんだ。」

「えっ、待てよお前、大人しくこのガキの言うこと聞くつもりか?」

「落ち着け、そのくらい大した手間じゃねぇだろ。それにコイツをカタに脅すより、ずっと楽な話になる。…おいガキ。聞いただろ。少しでも妙な真似してみろ、お前をすぐにでもぶった斬ってやっから、よぉく考えてから喋るんだな。」


 髭面の男がこれ見よがしにナイフをチラつかせるながら言うと、カラーナはそれに素直に頷いた。小さな拳を下げる一挙一動でさえも、男達は物欲に濡れた目でじっとりと見つめている。


「…で、何だって?」

「あのね、お金なんだけど。」

「ン?」

「おじさんたち、私のお金、知らないかな。子供の見習い部屋にあった、若葉みたいな色の袋に入ってたお金なんだけど。あれ、持っていったのおじさんたち?」

「……ハァ? 何だそりゃ。」


 またも意表をつかれた男達は素っ頓狂な声を上げて、互いに顔を見合わせる。


「お前、盗ったのか?」

「いや、俺じゃねぇ。他んヤツだ。」

「見習い部屋って…予定に入ってなかったとこだよな。わざわざあんなとこ漁るヤツなんていたんだな。」

「それぐらい がめつい野郎が混ざってたんだろ。」


 男らには本当に心当たりがないようだった。

 笑みをこぼしながらのやり取りに、カラーナは俯き気味に口を開く。


「…つまり、盗ったのはおじさんたちじゃないってこと?」

「あー、そうなるな。」


 男達がにやにやと笑った。

 嘲りを含んだその返答に、カラーナがすっ、と顔を上げる。その表情は先程とは違い真顔であった。


「ふーん、そっか。じゃ、返してくれないかな、私のお金。」

「は? なんでだ。」

「お前話聞いてたか? 俺らじゃねぇっつってんだろ。」


 男達の舐めた態度が一転し、一気に雲行きが悪くなる。

 凄まれるも、構うことなくカラーナは続ける。


「私のお金を盗ったのはおじさんたちじゃなくっても、お店を襲ったのは同じでしょ。だから私のお金を盗った人の代わりに、大銅貨一枚と小銅貨七枚、返してくれないかな。」

「…お前みたいなガキにゃ、ちと過ぎた額だな。」

「俺らがそんなもん払うわけねーだろが。舐めてんのか。」


 睨みつけられても、少女に怯えの色は一切ない。

 カラーナの首がこてんと傾げられる。それはどこか、人形地味た動きだった。


「払ってくれないの?」

「だから、何度も言わせんな。払わねぇっつってんだろ。

 そもそも、お前が言い出したのは『俺らが質問に答えること』。もう俺らは答えてやってんだ。殴られる前にさっさと鍵よこせよ。文句があんだったら、最初から金返せって言わなかったお前自身でも恨むんだな。」

「…それもそうだね。わかったよ。」


 再び深く俯いたカラーナが、意気消沈したように小さく呟く。鍵の方の腕を動かす様子を見せたカラーナに、男の一人が一歩踏み出した。





 と、ここでカラーナが勢いよく顔を上げる。そこには場に似つかわしくない満面の笑みが。それに伴い、少女が構えるだろう腕の動き。

 それら全てに、男達の背中に悪寒が走った。慌てて取り押さえようとするものの距離があり、次の一手は彼女の方が遥かに速かった。


「じゃ、鍵、あーげるっ!」


「あ゛っ、てんっめ!」

「こんっのクソガキ…!」


 少女の手の中にあったものが宙を舞う。

 男達は突然の暴挙に罵倒の言葉を口にした。


 それは出鱈目に投げられたわけではなかった。天高く放り投げられた物体は、くるくると回転しながら見事な放物線を描いて男らの方へと落ちていく。

 そうして飛行をやめたそれは、小さな音を立てて地面へ落ちる。落ちた先は二人の男の足の間。互いに拾える位置に、丁度転がる。

 …しかし、地面に落ちても、転がっても。男達がそれを拾うことはずっとなかった。


 何故か。

 それは男達が空宙に気を取られている間に冷気が満ちたかと思えば、その身体は瞬く間に物言わぬ氷像と成り果てていたからである。男らは大口を開き、間抜けにも空を見上げた状態で固まっている。

 その後ろには、先程まで物影に身を潜ませていたムステトが佇んでいた。


「上手いこと狩れましたね。」

「ね。」


 カラーナはムステトと顔を見合わせると、にっこりと笑った。

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