第2話 かくれて

「なっ! 子供!?」


 憲兵の驚きの声に目もくれず、天井の子供はムステトを見下ろし無邪気に笑った。


「軍人さん、見つけてくれてありがと。埃がすごくて、あそこじゃ声出せなかったの。」

「これはこれは。お嬢さんでしたか。貴方は案内の方がおっしゃっていた、住み込みの方で間違いありませんか。」

「たぶんそうだよ。でも九歳じゃないよ。今は八歳で、今年の冬になったら九歳なの。」

「へぇ、そうなんですね。お名前は?」

「カラーナだよ。」


 カラーナと名乗る子供は栗色の髪をした至って普通の少女であった。

 彼女は大人しくそこから降ろされると、まず始めに埃で真っ白になった自分の衣服をはたくでもなく、まず第一に「ねぇ、軍人さん。」と口を開いた。


「あのね、聞きたいことがあるんだけど。ゼドさんとリークスさん、どっちか生きてる? 旦那様の息子さんなんだけどね、お届けものがあるの。」

「あっそれは────」

「残念ですが、お二人とも亡くなってますよ。」

「な、おい! 貴様、その子になんてことを…!」


 憲兵は子供に酷過ぎる情報であると、カラーナに聞かせるつもりはなかったようだ。

 しかし、ここで伏せてもどうせ耳に入ること。部屋を出る際には血塗れの廊下を見るだろうし、転がる死体だって目に入る。だったら最初からを真実を伝えた方が余程良いだろうと、ムステトは事実を述べただけであった。そんなムステトの行動に、憲兵は怒り浸透のご様子である。


 一方、大人のお手本ような中年憲兵の心配に反して、カラーナはこちらに向け「やっぱり?」と少しだけ困ったように笑って見せた。声の調子や表情から、あまり動じていなさそうにムステトに映る。薄々彼女は予想がついていたようであった。


「泥棒さんたちがね、旦那様死んじゃった後、なんとなくそんな感じのこと言ってたんだ。だからダメかなぁって思ってたんだけど、やっぱりダメだったね。」

「聞きたいんですが、お嬢さんは何を届けるつもりだったんです?」

「鍵だよ。金庫の鍵。」


 そう言って彼女は無造作にポケットに手を突っ込むと、「ほら。」とそれをわかりやすくこちらに掲げて見せた。その鍵は子供の掌にもすっぽり納まるくらいの大きさである。それを目にした憲兵が思わずといったように息を呑む。


「これをね、旦那様から隠してもらった時に預かってたんだ。昨日はリークスさんがね、仕事片付いたら彼女さんの家に行くんだーって言ってたから、間に合うかもって思ってたみたい。だから旦那様、昨日はすごい耐えてたんだよ。」


 彼女は床に転がる、既に冷たくなった店長の死体を一瞥した。


「でも、二人とも死んじゃってたんじゃしょうがないね。」


 そうしてまた、彼女はそれをポケットにしまった。






 ────

 ───────────


 それから、数日が経った日のこと。


「おや。」

「あ。軍人さんだ。こんにちは。」

「こんにちは。こんなところで奇遇ですね。」

 

 ムステトはカラーナととある道端でばったりと出会った。幾日振りの再会に、社交辞令とばかりにムステトは尋ねる。


「あれからどうですか。」

「うーん。番頭さん家つまんない。」


 あの後、彼女は丁重に保護された。

 結局、行方がしれなかった従業員二人は後々になって死体が発見され、あの襲撃で生き残ったのはカラーナのみ。その事実が発覚すると野次馬たちは騒然とし、その中には泣き崩れる女の姿もあった。


 なんでも亡くなった店長は前から人が良いと評判で、この辺りではそれなりに有名だったのだという。行儀見習いとして子供を預ける親もおり、今回はその見習いたちも犠牲となった。

 一方、唯一生き残ったカラーナと言えば両親がおらず、親族もいなかったため、現在はそれを不憫に思った番頭夫妻の家に引き取られているのだとか。


 久しぶりに見る彼女の顔は、酷く不満気にムステトに映った。


「ねぇ、聞いてよ軍人さん。番頭さん家ね、私に全然仕事させてくれないんだよ。」

「おや、そうなのですか。」

「そーなんだよ。お店では毎日働いてたし、私がやりたいって言ってるのにね、やろうとしてもおばさんが『そんなことしなくていいのよ』とか、『貴方はあんな目にあったんだから』だとか言って止めるんだよ。あそこにいてもやることないもんだから、今はこうして出てきちゃったの。」


 彼女は地面へ視線を向けながら、むくれた様子で腕を組んだ。そして徐々にその視線を持ち上げるとムステトの顔を見て、何かを思いついたような顔をする。


「そうだよ! 軍人さん、今お暇?それともお仕事?」

「まぁ、暇ですかね。今は仕事帰りといったところです。」

「じゃあさ、ちょっと付き合ってほしいことがあるんだよ。軍人さんいないとできないんだけど…、だめかなぁ?」

「別に構いませんよ。それで、一体何をしたいので?」

「よかった。それはね…。」


 カラーナがこしょこしょと耳打ちするその内容に、ムステトは少々目を丸くした。


 目の前の少女は悪戯な笑みを浮かべて笑っている。それに静かに、ムステトは両目を細めた。









「こっちが服屋で、あっちのが肉屋。えーと、買うんだったら、あそこの果物は早めに買った方が良いと思うよ。最近は果物来ること少ないから。」

「へぇ、そうなんですね。」


 その言葉に、ムステトはカラーナが指差す方をじっくりと見やった。

 しかし、特に買う気が起きなかったためムステトがそのまま店を素通りすると、カラーナが別の店の紹介をし出す。視線を向け近寄るも、男が購入することはまたもない。

 先程からその調子なので、二人は大分前からただの冷やかしに近かった。



 現在、ムステトとカラーナは町の店の通りを歩いていた。見慣れぬ軍人と少女の組み合わせは随分目立つ様で、周囲の目をよく引いた。人々は遠巻きにしながら眺めるだけで、二人に声掛けしてくることは特にない。

 向こうからは潜まった声が途切れ途切れに聞こえてくる。


「あの子ってあの…」

「…よ、あの商店の…」


 数日の間にカラーナが事件の生き残りであることは周知の事実。そこまで広くない町のためか、噂が広まるのも早いのだろう。憐れむ声と共に「何故帝国軍人などと」と言った声も聞こえてきた。

 そちらも帝国国民だろうにとムステトは内心こっそりと笑う。


「ねぇねぇ、軍人さん。軍人さんはあんまりお店に興味ないみたいだし、ここからは私の好きに喋ってもいいかな?」

「ええ、どうぞ。別に構いませんよ。」

「ありがと、軍人さん。あのね、今は私番頭さんとこでお世話になってるんだけどね、そこの息子さんも、みんなと一緒に死んじゃったの。でも、なんかおばさん色々重ねてるみたいでさ、あそこじゃ私、死んじゃった息子さんの代わりなんだよ。」

「……。」


 ムステトはそこで片眉を上げると、先程より耳を傾ける姿勢をとった。

 無言でも興味を示したことは伝わったらしく、カラーナは腕を組んで、ちょっと得意気な顔をする。幸か不幸か距離を取られているために、この会話を聞いている者は本人達以外に誰もいない。


「家にいるとおばさんにね、『辛くない?』『痛くない?』 ってよく聞かれるの。だけどそれは、本当はおばさんが息子さんに言いたかったことなんだよね。でも、おばさんの息子さんはもう死んじゃってるから、生きてる私に言ってるだけ。

 そりゃあ息子さんズタズタになってたし、痛い思いはしただろうけど、それを私にも聞かれても困るんだよね。殺されてないし、怪我もないし、隠れてただけだから。私に怪我がなかったのは、軍人さんも知ってるよね?」

「ええ。ありませんでしたね。」


 ムステトが同意を示せば、カラーナはそれに「だよねぇ!」と何度も頷いた。


「それなのにさぁ、あの人は何度も何度も聞いてくるの。しかもさ、おばさんったらそれだけじゃなくて、『貴方は平気なふりなんてしなくていいのよ』なんてのも言ってくるの。おばさんは私が可哀想じゃないと納得できないからって、そんな事、しつこく言わなくたっていいのにね。」

「ふむ。可哀想とは?」

「うんと、なんていうかねー。おばさんは私のこと、しくしく泣いてて、寂しそうな…、大人に頼るしかないみたいな、そんな感じの女の子でいてほしいみたいなんだよね。でも私って、見ての通り元気でしょ? だからおばさんは私が元気にしてると、無理して平気そうなふりをしてるんだって思い込みたくって、普通にしてるの認めてくれないの。そうじゃなきゃおかしいって。これは演技なんだーって。まったく、やんなっちゃうね。」


 大袈裟に肩を落としてみせる少女に、ムステトは素直に感心した。目の前の子供は思ったより周りのことをよく見ているらしい。

 ムステトはいつもの平坦な笑みを少し崩した。


「素晴らしい洞察力をお持ちですね、お嬢さん。そこまで見えているのなら、逆におばさんに合わせようとは思わないので?」

「えー? だってさぁ、したってもいいけど、それって疲れちゃうでしょ? それにおばさんやったって仕事させてくれなかったから、だったらしなくても同じなんだもん。」


 カラーナは不貞腐れたように口を尖らせる。


「なんでさぁ、仕事は私がしたいことなのに、周りの大人はダメって決めつけるんだろ。理由を聞いても、私が辛いからの一点張り。酷いよね。勝手に私の気持ち、勘違いしないでほしいな。」

「大変そうですね。」

「大変だよ。軍人さんはそこんところ、普通の大人と違うよね。」

「おや、分かりますか。」

「分かるよ。この話だって、ほんとは軍人さんそこまで興味ないもんね。どうでもいいんだもん。だから私話してて楽だよ。チクらないもん。」


 ここまで明け透けに言われると、ムステトも肩を揺らして笑ってしまった。

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