第一章 ●出逢い

第1話 ムステト

 今日の天気は何処か冴えない曇り空だった。

 男が騒ぎに誘われ立ち寄ったのはとある商店。自分がわざわざ面倒事に首を突っ込もうとしていることに内心首を傾げつつも、今日の己はそんな日なのだろうと楽観的に構える。ムステトはそういう男だった。

 野次馬をかき分け、足を踏み入れた店の中はまだ軽い混乱状態にある。今は朝の時間帯。本来ならば客で賑わっていたのだろう。薙ぎ倒された棚からは荒らされた痕跡が見て取れる。


「どうなされたのですか。」


 つとめて柔和な笑みを作り、ムステトは近くの従業員に声をかけた。

 既に何度も尋ねられたのか、従業員はまたか、という風に見返してきたが、ムステトの服装を見るや否や目の色を変える。


「あっ、あんた軍人さんじゃないかい! どうしてこんなところに。」

「いえ、ちょっと所用で。それにしても、一体どうなさったんです。随分と騒ぎになっているようですが。」

「ここの店が強盗に入られたんだよ。何人も殺されて、でも、おかしなとこがあって何がなんだか…。ともかく、今から番頭さん呼んでくっから、俺じゃなくてどうかそん人と話してくれよ。」


 従業員の男は大層参った様子で、大声で番頭を呼びながら奥に引っ込んでしまった。

 しばらくムステトが店内を検分しつつ待っていると、やや小太りの男が前に出てくる。こちらも同じく草臥れた様子で、萎びたかぶのような印象を受けた。


「番頭の方ですか。被害は? 憲兵の者はどうしたのです?」

「それが、今は呼んでいる際中でして…。」

「遅いですね。見たところ、犯行からだいぶ時間が経過しているようですが。」

「いやぁ、その……。」


 中年の番頭はどうにも煮え切らない態度で言葉を濁す。


「その、昨晩のうちに襲われたようで、朝になって、私が来た時にはもう犯人たちはいませんでした。遅くまで仕事があった者や、住み込みの者が、えっと、何人も殺されていたんですが……。」

「店長の方も亡くなられたのですか。」

「ええ、はい…。それに、旦那様だけでなく、奥様と跡継ぎのお二人までも殺されてしまって…。」


 つまりこの男より上の立場の者はまとめて死んでしまったということだ。死人に口なし。夜が明けるまで発覚が遅れた。それ事態、こういう強盗事件では珍しくない。


「それで?」

「それで、その…。みんな、ここより奥で殺されてしまっているのですが、私が被害を確認して回ったら…、何故か、何故か金庫だけは無事で暴かれていなかったのです。その、鍵が…、鍵を持ってたはずの旦那様が鍵を持っていなくって、私がもうひとつの方の鍵を使って開いたら、金庫は、なんでか全部丸ごと残っていて…!」


 番頭が震える手で顔を覆う。


「みんな、あんな…っ、あんなに風に殺されてしまったのにっ…! なんで、その、えっと。えっと。」

「大丈夫ですか。落ち着いてください。」


 仕方なしに聴取を取りやめ、ムステトが番頭の気を落ち着かせようとしているところで憲兵が到着。ムステトは番頭をそちらに任せることにした。


 続けて他の従業員にも聴取をとるが、どうにも要領を得ない。第一発見者はあの番頭で、あれでも事態を一番把握していたらしかった。

 分かったのはここの金庫の鍵はふたつ存在し、ひとつが店長、もうひとつを番頭が所持していたということ。そして店長の鍵は今も見つからず、金庫は無事、と。


 ムステトは確認をとって、憲兵とともに店の奥に入り込む。

 現場では入って早々、男女三人分の遺体が確認できた。床には血痕が飛び散り、それを踏んだだろう足跡があちこちに散らばる。木目に染み込み、殆どが乾いた血の跡からは殺害された時刻がそれなりに前であったことが窺えた。ムステトの足元には切断された女の手首が転がっている。

 憲兵の一人が嘔吐し出す。新人だろうか。それとも、死体に慣れていない田舎の憲兵などこんなものか。

 

 ムステトは手短な死体から検分し始める。

 男が二人に女が一人。どれも切り傷が多く、一見派手に見えた。着衣の乱れが見られ、金目のものは剥ぎ取られているようだ。陵辱の痕はなし。

 違和感があった。


「おかしいですね。追い剥ぎのような真似をしなくとも、ここには盗る物など幾らでもあるでしょうに。」

「はあ。」


 ムステトの言葉に、隣の憲兵が曖昧に返した。


「金庫の中身が無事だった、という話が出ていましたが、強盗犯はそれが一番の狙いだったのでしょうね。けれども目当てのものに手を出せず、八つ当たり、といったところでしょうか。」

「や、八つ当たり?」

「はい、おそらくですが。例えばほら、このご遺体を見てください。」


 ムステトは死体の一つを指差す。


「この方は肩口からの傷が致命傷になったかと思われます。しかし、他の傷は生前に傷つけられたにしては位置関係や血の散らばりなどがおかしいので、ほとんどは死後につけられたものでしょうね。」


 殺されて、後々になって鍵を所持していないか犯人らに漁られた。そして貴重品を剥ぎ取りつつ探すも見つからず、苛立ちのままに切り刻まれた。そんなところだろうか。

 

「な、なるほど…。」

「とは言っても、所詮推測に過ぎないので参考までに。」


 鍵は賊の手に渡ったわけではない様子。それとも鍵の入手はしたものの、特殊な仕掛けでもしてあって金庫を開けられずにいたのだろうか。

 その場合、亡くなった店長は随分な変わり者だ。田舎に金庫があること事態珍しいというのに、絡繰からくり付きの金庫だなんて滅多に拝める代物ではない。


「すみません。この先も見て回りたいのですが、どなたか案内を頼めますか。」


 ムステトが先程からこちらを覗いていた従業員らに声をかけると、その者たちは血の気のない顔色で、無言で顔を見合わせ始めた。








「これが例の金庫ですか。立派ですね。」


 道中の部屋を見て回った先、辿り着いた金庫は話に聞いた通り無事であった。金庫は執務室の壁に一体化するように設置されており、地方の商店にしては少し物が大きいことを除いては、至って普通の形状である。

 ムステトはそれに少し拍子抜けした。この形状ならば、開けるのに大した苦労はしない筈である。単純に強盗らが鍵を見つけられなかったようだと分かると、ムステトは浮かび出る落胆の感情を口先で取り繕いながら問うた。


「それで、そこのご遺体はここの店長さんで間違いないですか。」

「…はい。間違いないです…。」


 店長の死体は他と比べて様子が違った。

 散々痛めつけられ、拷問紛いな行為の果てに殺されたらしく、その表情は苦痛一色に固まっていた。それなりに良いものだっただろう服は赤黒く染まり、片目は潰され、縛られた腕の先を見れば全ての指が切り取られている。

 ムステトはふむ、と口元に手を当てた。


「やはり、計画的犯行で間違い無さそうですね。獲物に一直線。ある程度店の内部の情報があちらに漏れた上で襲撃にあったようですし、内通者でもいたんですかね。」


 この商店では商業用と住み込み用とに部屋がいくつか区分されていた。

 住み込み用の区内では比較的被害が少なかったように映ったが、しかしながら商業用の部屋、それも高価な品々を管理していたという部屋では確実に入り込まれただろう痕跡が目に見えて分かる。普通の強盗ならば手当たり次第荒らしていくだろうに、それに偏りが見られるということは、つまりはそういうことだ。


「これ、早く追った方が良いかもしれません。あちらにとっても予想外のことが起きたようですが、途中までは計画的。逃げ足も速そうだ。」

「は、はい!」


 憲兵が慌ただしく部屋を飛び出したところで、ムステトは近くに佇んだままの従業員に声をかけた。


「もし。すみません、質問があるのですが。」

「…ええ、はい。なんでしょう。」


 ムステトの案内役を押し付けられたのは、働き盛りの若い男だった。その従業員は顔色を白くさせ、先程から一刻も立ち去りたい様子に見えたが、ムステトはそれを分かって質問を続ける。


「店のどなたが亡くなって、誰がいないとか、貴方わかりますか。出来るだけ人数の確認をしたいのですが。」

「まぁ、はい。大体なら…。さっきあんたと見て回ったんで…。」

「それは良かった。貴方のおかげで内通者を絞れるかもしれませんね。それで、どなたがいらっしゃらないんです?」

「…。…えっと、俺より少し歳上のタンダって男と、今年成人したばっかだった女のクジュと…、あと、住み込みのガキがひとり、見つかってないです。」

「ふむ。そうですか。」


 そのままムステトが「子供の特徴は?」と続けると、男は途端、狼狽える様子を見せ始めた。


「まさか、あんたアイツのことまで盗賊の仲間だって疑ってるんですか? アイツは、アイツはそんなやつじゃありません!」

「さぁ、自分はその子供のことを知らないので。しかし、可能性が全くない訳ではないでしょう。」

「アイツはまだ九歳のガキなんです! あり得ません!」


 ふぅん、じゃあ死んでいそうだな、とムステトは思った。

 子供の身体とは脆いものだ。途中の通路では子供の死体が複数まとまって見つかった。行方の知れない子供は死体が見つかりにくいところにあるのか、バラけて他の死体と紛れてしまっているのか。大体がしてそんなところだろう。





「!」

 そんな時だった。

 頭上からコンコン、と硬い音が響いてきたのは。

 耳を澄ます。規則的に繰り返されるその音は、ムステトの耳に確かに届いた。


「天井裏に誰かいますね。」

「え。」


 対して、案内役の男は瞬時に気付くことが出来なかったらしい。

 音はなおも続いている。そこでやっと、案内役が息を呑む気配がした。


「憲兵を呼んで来てください。」






 案内役が慌てて走り去った後、ムステトは天井に向かって声をかける。


「もし。天井の方。こちらの声は届いてますか。聞こえているなら、二回鳴らしてください。」

 コンコン。


「これからいくつか質問をしますので、『はい』なら二回、『いいえ』なら三回鳴らして答えてください。よろしいですか。」

 コンコン。



「はい。では、始めますよ。貴方はこの店の従業員の方ですか。」

 コンコン。


「今、声を出すのは難しいですか。」

 コンコン。


「そこから自力で出られそうですか。」

 コンコンコン。





「ふむ。…では、貴方はこの部屋からそこに入ったのですか。」

 コンコン。


「この部屋の天井から入りましたか。」

 コンコン。


「…天井の板を、一部取り外して侵入したのですか。」

 コンコン。


「入り口から移動していますか。」

 コンコンコン。




「それは上々。次に、今から貴方の居場所を探しますので、貴方は無理のない範囲で音を出し続けてください。それを元に自分が侵入口を探ります。よろしいですか。」

 コンコン。


 硬い音がまた、先程より少し遅い拍子で繰り返され始めた。



 







 コンココ。コンココ。コンココココッコ。


 天井の音は次第に変速的になっていった。本人が音を出し続けることに飽き始めたようで、この惨状の中、一般人にしては肝が据わっている。


 その一方でムステトといえば、長い棒を片手に天井を突いて回っていた。

 それを目撃した中年の憲兵は怪訝そうな顔をする。


「何をしとるんだ?」


 ムステトは集中していたので無視をした。その態度から案内役に呼ばれて来た訳ではないようで、代わりに説明する者もいないこの現状を、ムステトは少々面倒くさく思った。

 ムステトが先程から天井に棒を押し付けていたのは、上から叩かれるその振動を棒伝いに探っていたためである。本来なら何かに登るなりして手探りに探せれば良かったのだが、足場に使えたであろう家具は悉く破壊されている。

 大体の目星はついているため、あとは入り口となった箇所を探すだけであった。



「むっ。貴様、なんだその棒は!」


 そんな時、憲兵が突然声を荒らげる。

 流石にムステトも手を止めて憲兵のいる方を見やった。


「水晶…、いやガラスか? 店の物を使って何をしておる!」

「ああ、いえ。これは氷ですよ。商品ではないのでご心配なく。」

「なっ、氷だとっ? …貴様、まさか魔術師か! そのような怪しげな術を使いおって、一体何をしておる!」


 面倒くさい。心底そう思った。

 ムステトはそこで自分の気分が落ち込むのを感じつつ、怒鳴り出す憲兵を前に、やっと男の正面へと向き直る。


「天井から音がしているでしょう。そこに隠れた従業員が下りられなくなっているので、その方を助けようと。」

「なに、従業員が? …いや、隠れているのは盗賊かもしれぬではないか!」

「いえ、その可能性は低いと考えます。」

「…何故そう言い切れる。」

「この方は自ら助けを求めてきました。こちらの声は届いているようですし、強盗犯の一味であるなら、軍人である自分に自らの所在を明かす理由は弱いかと。それに、こちらを襲ってきたとして自分は対処できますから。」


 その返答に、憲兵は気に食わなそうに顔を歪めた。


「…ふん。そもそも、何故こんなところに魔術師がいるのだ。憲兵でもないのに部外者が立ち入らないでもらいたい。」

「それはすみません。朝からの騒ぎが気になったもので。」


 正確にはムステトは軍の魔師であったが、その訂正すらも面倒くさい。言ったところでこの男に違いなど分からないだろう。

 こうして魔術師と見なさるや否や、ムステトが絡まれることは初ではなかった。

 帝国で魔術師が軍用されるようになってからそれなりに経つが、まだその歴史は浅いもの。田舎、それもリフデン王国側に行く程偏見は残ったままであり、それ程までに魔術師への忌避感は強く、根強いのである。





 憲兵の訝しげな視線を放置してムステトが作業を再開し始めた時、カタン、と音を立てて、棒が天井板の一部を押し上げた。


「お、ここですか。」


 ムステトが棒を使ってさらにずらしていると、その隙間から現れた小さな指が、木板を向こう側へと持ち上げる。埃が落ち、ぽっかりと穴が空いた天井からは真っ黒な空間が広がっていた。

 ムステトの話を半信半疑に聞いていたのだろう憲兵は、現れたものにあんぐりと口を開ける。


 そこから顔を出したのは子供だった。


 子供は、「かくれんぼ疲れちゃった。」と言いながら、酷く眠たげに欠伸をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る