8.極彩色
初夏になって桜の木に青々とした葉がついた頃、私は新しい趣味を見つけていた。
所謂「大人の塗り絵」だ。色鉛筆も気合いを入れて72色なんていうものを買ってしまったし、それなりにのめり込んでいる。
先生が執筆している音も聞こえにくくなるほどで、夏仕様になっているソファーと机の間の薄い布の上でやっている。
「金平糖」
「あ、はい。すみません」
ガリガリという音まで聞こえなくなるなんて、私はどれだけ集中しているのだろう。
「そんなに面白いのか、塗り絵は」
「面白いですよ。大人になってやってみると、子供の頃とはまた違った楽しみ方があるというか」
「ふぅん」
私が着物の話をしているときよりもどうでもよさそうな反応だ。
ちなみに今は動くと暑いので浴衣で掃除なんかをしている。今月のお給料で麻の襦袢を買おう。
「先生もやってみませんか?」
「僕はそういう細かい作業は苦手なんだ」
「そうですか? 面白いのに」
先生は細かい作業が得意な方であることは趣味のジグソーパズルが訴えているし、すごく無駄な抵抗だと思う。
今も実は気にしていないようで塗り絵の本のタイトルが見えないかどうか考えている。たぶん2週間後くらいには私と同じ本を買っているし、私以上の色鉛筆を揃えてくる。
「しかし君は少し塗り方が荒くないか」
「子供の頃から塗り絵ってちょっと苦手なんですよねぇ。でも、小さい頃と違って塗り絵を誰に見せるわけでもないですし、そういう部分が気楽ですよ?」
「なるほどな。下手でもいいと」
これは先生の塗り絵センスに期待してもいいのだろうか。大人しい大人の男かと思っていたが、先生は意外にこういうつまらないことで張り合う癖がある。
チェスも将棋も初心者相手に本気でかかってくるから大人気ない。実は着物の本が増えていて知識をため込んでいるのも知っている。
「先生が下手でも私は笑いませんよ」
「笑いながら言われては説得力が皆無なのだが」
極彩色の初夏に先生のその言葉は白黒で吐き出されたような気がした。
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