第九十五層目 会談


「ん......」

「気がつきましたか? 気分はどうですか?」


 窓の外から入り込む光に目を覚ましたナナシは、重たい頭を振って体を起こす。

 何故自分が自室のベッドの上にいるのか、どうしてシャーリィが窓際にある椅子に座っているのか等、状況が掴めずにいた。そんなナナシの様子を見て、シャーリィは柔らかく微笑む。


「昨日の一件、覚えてなさそうですね」

「昨日......? 昨日、僕は......」


 そこでようやくナナシは思い出す。自分が冒険者ギルドに行ったことを。そして、そこで流れていたニュースから聞こえてきた、『ジェイ』という男のインタビューでの音声を聞いた瞬間に、自分の中にあった謎の黒い感情が湧き出してきたことを。


「思い出した......僕は、ジェイという人と何か繋がりがある。それが何かは思い出せないけれど」

「そう、ですか。思い出してしまいましたか。では、その目に光も戻っていて?」

「え......? あ」


 ナナシは驚いた。

 あまりにも自然過ぎていたので気がつかなかったが、自分の目が光を取り戻しており、シャーリィの姿がはっきりと見えていたのだ。

 普通、突然目が見える様になれば驚きと困惑でおかしくなりそうなものだが、ナナシは何故かそれが『当たり前』だと感じてしまっていた。


「シャーリィさんって、本当に犬の様な耳があるんですね」

「はい、動きますよ。 触ってみます?」

「い、いや、いいです......」


 異性の体に触れることが恥ずかしいと思ってしまい、ナナシは顔を真っ赤にして視線を反らした。それは恥ずかしさだけではなく、初めて目にしたシャーリィの姿が、想像の何倍も可憐であってことも原因である。

 そんな初心な様子のナナシを見て、シャーリィは一瞬目を細めた。が、直ぐに元の表情に戻り、手を叩いて腰を上げる。


「さてと......では、私はそろそろ戻ります。時間も無さそうなので」

「あ、すみません。僕のせいで......」

「気にしないでください。これもすべて、意味のある嘘ですから」

「え? それは、いったい......」


 シャーリィの言葉の意味が直ぐには理解できず、問いかけようとするナナシ。しかし、次の瞬間にはシャーリィの姿はなく、


 先ほどまでシャーリィが居たという事さえ忘れしまったナナシがいた。


「あれ? いつのまに、窓なんて開けてたんだろう? コリンかな?」


 ベッドから出て、窓の外を眺めるナナシ。

 澄み切った青空の彼方。そこに浮かぶ巨大な白いクジラを目にして、ナナシは感嘆の声をあげる。


「おぉ......あれがの言っていた巨大魔導戦艦か。あっ、コリンはもう準備しただろうか?」


 部屋着から着替え、外へとでる準備をするナナシ。

 その頭の中には、『自分は目が見えなかった』という事実も、『ジェイという男の声に大きな感情の動きがあった』昨日の出来事もすべてがすっかりと抜け落ちてしまっていた。

 『コリンがテレビで巨大魔導戦艦がやって来ると見たから、一緒に見に行こう』。その偽りの記憶だけがナナシの頭を占めており、さらに言えば、この後出会う街の人々も、ナナシと同様に、ナナシの体の変化に気づく素振りすらなかった。

 それはコリンも同じだった。まるで、ナナシは最初から目が見えていたという感覚しか残っておらず、そこに何の違和感も存在しない。


 何処からが記憶で、何処までが記録なのか。


 アガルタという街に、大きな渦の流れが広がっていく。



 ◇◇◇◇◇◇



『こちら、ファングα。作戦位置に到着』

「こちら、ファングΔ。現在、総司令はフォルネと接触。進行は予定通りに」

『ファングβ、了解』

『ファングγ、了解』


 アガルタの街の中心から更に北へと向かった場所。そこに聳え建つのが、この街のシンボルであり、アガルタを統べる者の住処でもある『涅槃の蓮池』である。

 小さな湖の上に建築された神殿は、解放された造りをしており、内部の様子を外から窺うことが出来る。現在は国際特異災害対策連合の代表であるジェイと、アガルタの君主フォルネが、一つのテーブルを挟んで軽い談笑を交わしていた。

 表向きには、国際特異災害対策連合への協力の取りつけと、近隣に発生したダンジョンの封鎖。その為の来訪である。しかし、その実際はこの巨大な一つのダンジョンであるアガルタの街の占拠と封鎖が最重要任務だ。


 ともすれば、バチカン市国にも匹敵するほどの強度を誇るダンジョンだ。もし、なんらかの暴走が発生すれば、その被害はヒマラヤ山脈どころの話では済まない。長年、探索網の外で力を蓄えてきたダンジョンの封鎖とあって、攻略部隊の面々は緊張の面持ちであった。


(実際に入ってみて解ったけど......この異様な気配、なんで街の人たちは平気なのかしら)


 ボディスーツの光学迷彩機能を駆使し、神殿の者に気づかれない位置で様子を覗う恵。その頬を一滴の汗が伝う。

 アガルタの街はその存在が知られ始めた二年前で、世間一般では変わった街程度に認知されている。

 いままでは秘境過ぎて気がつかれなかった神秘の街。と言うのが、表での見解だ。


 だが、実際は違う。過去のヒマラヤ周辺のデータを新たな基準で参照したところ、この街の現界はやはり五十年前。つまり、ダンジョン現界と共にできた街なのだ。

 大規模なこの街が発見されなかったのは、物理的に位相をずらす作用の何かがあったとの報告も、技術班からもたらされている。それが何故二年前に無くなったのかは謎だが、一輝の一件が関わっているのはタイミング的にもあり得る事だ。


 神殿には、フォルネの配下らしき神官の姿がぽつぽつと見えていた。

 フォルネは十中八九、ダンジョンマスターである。ならば、その配下は強力な魔物であってもおかしくはない。

 そう考えて警戒する恵だったが、どうにも様子がおかしい。実力を隠す事など当然ではあるだろが、それでもなさすぎるのだ。神官達に、『雰囲気』が。


(フォルネは、ダンジョンマスターではない......? いや、でもあり得ないわ。調査によれば、アガルタに最初から現在まで存在し続けてきた人物はフォルネのみ。五十年という事は、最低でもフォルネは六十や七十歳のはず......なのに)


 恵から見たフォルネは、どう多く見積もっても三十代に差し掛かるかどうかくらいの、若い男なのだ。



「今日は実りのあるお話ができて、嬉しい限りです」

「こちらこそ。これからの世界ではダンジョンの封鎖は大きな責務となります。そのご協力を頂けるだけで、我々国際特異災害対策連合にとって大きな益となります」


 ジェイと固く握手を交わすフォルネ。

 ジェイとしては、もしも仕掛けてくるとすればこのタイミングだと踏んでいた。だからこそ、その警戒を四方八方に張り巡らせ、どこから攻撃の魔の手が迫って来ても対処できるよう身構えていた。

 しかし......。


「ん? どうかなさいましたか?」

「あ、いや......フォルネ様があまりにも御若いので、やはり何度見ても驚いてしまいまして」

「はっはっはっ。そうですね、会う方々には、大概驚かれます。私はこう見えても、今年で七十七歳ですので」

「七十七ッ! その様には見えませんな。なにか、若さを保つ秘訣でもおありですかな?」


 仕掛けてこないのであれば、こちらから。そう考えたジェイは軽くジャブを放ってみることにした。


「ふふ......そうですねぇ。良い空気を吸い、美味しいものを食べ、良く眠る。悩みは明日の自分が解決してくれるだろうという、少しばかり享楽的な生き方をすることが、若さの秘訣でございます」

「ふっ......私も、その様な生き方をしてみたいものだ」

「ジェイ殿はお忙しい毎日をお過ごしと耳にしております。どうでしょうか、少しばかりこの街でゆるりと過ごしてみては?」

「ありがたいお話ではありますが、まだ我々にはやらねばならぬことがありますので」

「それは残念です。おや......?」


 フォルネは壁にある透過モニターへと視線を移す。そこには、着陸したモビー・ディックを一目見ようと集まっていた街の人々の姿があった。


「ここからでも街の様子が見られるのですね」

「えぇ。街の人々は私にとっては皆、子供のようなものです。いつでも子供の様子とは眺めていたいものなのですよ」

「......」


 慈愛の表情でモニターを見つめるフォルネ。

 その姿を見て、ジェイは内心動揺があった。

 こいつは、本当にダンジョンマスターなのか?

 実際に話してみたジェイが感じたフォルネの印象は、一言で言えば穏やかな聖人の様な人柄だった。あの聖光教会の長なんかよりも、よっぽどである。


「おや? これは珍しい子がきていますね......確か、名前のないナナシ君だったか」


 微笑のままモニターを指さすフォルネ。

 そこに映っていた黒髪の青年を見たジェイは、驚きのあまり目を見開いて固まってしまった。

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