第九十六層目 天より舞い降りし者
「こ、こいつは......ッ!」
モニターに映し出された黒髪の青年。その姿に見覚えがあったジェイは、取り乱すことはなかったもののその表情には驚愕が窺えた。
「おや? ナナシ君を知っているのですかね?」
「え、あ、いや......知り合いにとても、似ていたので......」
「......そうですか」
動揺を何とか隠そうとするジェイに、フォルネは静かに微笑を向ける。
「ここは、記憶を失った者の終着点でございます。何処で、どうして、何の目的があってそうなるのかは、ここに長く居座る私にもわかりません。しかし、『祭壇』はそういった記憶を失った者を世界中から集めてくる」
「......記憶を取り戻そうだとか、元いた場所に戻してやろうとは思わないのですか?」
「もしも、彼らがそう望むのであればそれも一つの道でしょう。しかし、ここに流れ着いた者は一様に元の生活に......元の記憶の中に戻ることを望みません。恐らく、ここへ来る者の多くが、思い出したくもない、取り戻したくもない記憶の中で生きてきたのではないかと、私は考えております」
「取り戻したくない、記憶......」
ジェイは静かに握りこぶしに力を込める。
見覚えのある青年。直観ではあるが、恐らく自分の考えている予測は間違いないはずだ。
だが、もしも彼が、フォルネの言う通りに記憶を取り戻したくないのであれば。会いに行くことは彼にとって害でしかないのかもしれない。
しかし、それでもジェイは確かめなければならない。
「彼と、話すことは出来ませんか?」
「許可できません」
「......」
即答。
フォルネはすべてを見透かすような蒼い瞳で、ジェイを静かに見つめる。
「先ほども言いましたが、それを本人たちが望むのであれば私は叶えてあげようと思っています。しかし、彼らは記憶を取り戻すことを望んではいない」
「だが......ッ!」
「お控えなさい。これ以上は、我々アガルタの内政に触れることになりますよ」
「......内政、ね」
アガルタはあくまでも一つの都市である。何処の国家にもまだ属しておらず、国際的に見ればいまだ国として認められてはいない。むしろ、もしも危険な思想などが蔓延していれば、国連組織の介入も可能性としてある。
「下手な考えはお勧めしませんよ。私たちとしましても、貴方達が『どうして』ここへ訪れたのかを知らないわけでもありません。あえて、貴方達に歩調を合わせているのをお忘れなく」
「ッッ!!?」
突然、フォルネから強大な『気配』が噴き出す。
それはまるで、目の前のヒトの
当然、そんなモノが湧けば、周辺で構えていた者達が動かぬわけもない。
「うわぁああああッッ!!」
「ま、待てッ!!」
神殿の近くで待機していた、突入部隊の一人であるファングαこと、シリウス・デルカッチョ。元一級探索師であり、多くのダンジョンで功績をあげてきた男であり、その活躍が買われて国際特異災害対策連合のメンバーに抜擢されていた。
普段は冷静な判断力で皆を引っ張る存在であるが、彼らしからぬ取り乱しようでフォルネへと襲い掛かろうとする。
「ヒトというモノは......恐怖に耐えられるほど強くはないのです」
襲い掛かって来るシリウスに手を翳すフォルネ。
その様子を見てもなお突撃の歩を緩めず、自身の相棒である戦斧を振り上げるシリウス。
「『
「なッ!? 『
原初の詠唱。それは、ヒトの操る魔術などよりも遥か昔......まだ、この世に羽を持つ者しか居なかった時代の詞である。
魔術とは、ヒトが神や悪魔の行使する力の一端をどうにか使おうと、試行錯誤のうえに編み出したものであるのだが、そもそも神や悪魔にとって詠唱とは必要のないものである。
腕を振るえば風が吹き、溜息をつけば木々が燃え盛る。そういった超常の存在に憧れ、どうにか近づこうとした結果が魔術というものであり、ヒトの操る事のできる限界点でもある。
しかし、そういった神や悪魔にも、特別な技というモノが存在する。それこそが、『原初の詠唱』。超常の力を操り、『魔法』という根源へと至ろうとする、絶技である。
そして、この力を疑似的に行使できるようになった存在が『天使』であり......。
「改めて、自己紹介をいたしましょう。私の名は、フォルネウス・ミスコルブリンディ。序列第三十番目の悪魔、爵位は大侯爵でございます。以後、お見知りおきを」
「ぎゃあああぁああああぁああぁああ......」
丁寧なお辞儀をする背後で、白い霧に包まれたシリウスが絶叫をあげる。
霧は包み込んだ部分からまさに消滅をしていき、シリウスの体が次々と虫食いになっていく。だが、それでも血液や体の中身が零れる様子はなく、シリウスは意識を保ったまま自身の体が
そうしてしばらくすると、シリウスは髪の毛一本も残さずに、この世から姿を消してしまった。
「ダンジョンマスターでは、なかったのか......」
「えぇ、違います。彼女は『祭壇』におります故。さて、ジェイ様」
「......なんだ?」
「これからの話を致しましょう」
「これからの、話?」
正直なところ、ジェイの心の中では諦めの気持ちが大半を占めていた。多少の困難であれば、周囲に待機している者と共に脱する事は出来ただろう。しかし、流石に悪魔がこのような場所に現れるなどとは、誰も予想が出来ない話だ。しかも、爵位持ちの悪魔が。
なので、いまジェイが考えていたのは、どうやってモビー・ディックをこの地から逃がすかという点であった。
最悪、ジェイ自身は替えが効く。勿論、国際特異災害対策連合という組織的な話であはあるが。しかし、モビー・ディックはそうはいかない。世界規模の事業として、国際特異災害対策連合の旗艦として建造されたあの船を失うわけにはいかないのだ。
だが、どうにもフォルネの声色的に、こちらを一方的に殲滅しようという色は窺えなかった。
「私は確かに悪魔の貴族に属する者でございます。しかし、悪魔の全てがこの馬鹿げたゲームに加担をしているわけではない。単刀直入に言います。私たちを静かに、そっとしておいてはくれませんか?」
「なッ、それは......」
悪魔を見過ごせということか。ジェイはその言葉を口にしようとしたが、事実いまの窮地を脱するにはそれ以外ありえない。下手な発言は出来ないと、ジェイは直ぐに口を噤んだ。
「私は記憶を失った者達の終着点として、この地を守っていきたいのです。どうか、お願いします。私たちを、そのままに」
そう言って深々と頭を下げるフォルネ。
ジェイは自身がどう答えるべきなのか、どう答えれば正解に導くことが出来るのか、頭の中で素早く思考を巡らせる。
国際特異災害対策連合という、世界の秩序を守る立場からすれば、悪魔が支配するこの地......しかも、記憶を失った者を集めていることを鑑みれば、要求を呑むべきではない。
だが、いまの自分たちの状況や、フォルネの姿勢を見れば、ここで争う事が本当に世界の為になるのだろうかという疑念が湧いてくるのだ。
「い、いまそれにお答えすることは、出来ない......私としては、世界の秩序が保たれるのであれば柔軟な対応をすべきだとも思うが......それにしても、少々私だけで決断をするには事が大きすぎる」
「そうでございましょう。結構でございます。いまこの場で、場当たり的な答えを出されるよりは、ずっと良いことでございます。どうぞ、この案件はお持ち帰りになられて、皆様で話し合ってください」
にこやかな表情のフォルネに、ジェイは内心ほっと息をつきたくなった。
あまりにも、自分の持つ決定権を逸脱する内容。いくら度胸や胆力があったとしても、おいそれと世界の動向を決めるわけにはいかない。
もしも、この場で交戦を選べば。それは、ヒト対悪魔の構図をより明確なモノにしてしまうからだ。
「では、我々は直ぐに戻って、本件について......」
ジェイがそう言って挨拶をしようとした、その瞬間。ジェイの右耳に付けていた通信機がけたたましいアラームを発した。
『総司令ッ! 直ぐにその場を退避してくださいッ!! 超高エネルギー反応が上空より急速接近ッ!!』
「なんだとッ!?」
ジェイはすぐさま後ろに飛びのいて天井を見る。
それとほぼ同時に天井が粉々に砕かれ、黒い影が飛び込んできた。
「相変わらず、悪魔ってのは性悪ばかりだ」
影はそのまま真下にいたフォルネの左胸に手刀を突き立て、薄い体を貫いた。
「お前は、まさかッ!!」
「お久しぶりです、ジェイ先生」
黒い影の正体。
それは、黒き虎の男......弾虎であった。
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