第二十二層目 悩み


 一輝が私立ルーゼンブル学園へ編入してから一週間が経った。

 初日こそ波乱の幕開けであったが、恵の幼馴染みであることや、一輝が比較的人付き合いが良いこともあって、クラスの雰囲気に慣れることが出来ていた。

 しかし、一輝にとってルーゼンブルに編入するにあたって、恵以外にも大きな頭痛の種があった。


「おい、インチキ野郎」


 移動教室の為、渡り廊下を歩いていた一輝はふいに背後からかけられた声に振り返り、げんなりとした表情を浮かべる。

 声の主は、以前から何かと一輝を目の敵にしていた渡辺である。数人の取り巻きが直ぐ様一輝の周りに立ち、まるで逃がさないとばかりに睨み付ける。


「またお前か……」

「いいから面貸せ!」

「嫌だ、と言ったら?」

「最底辺のくせに、そんなこと言えるのか? あぁんッ!?」


 眉間にシワを寄せながら、一輝の胸ぐらを掴む渡辺。

 一輝としても編入早々騒ぎにはしたくないし、どうしたものかと頭を悩ませる。しかし、その悩みは風の如く現れた助っ人によって霧散した。


「あんた達! 一輝になにしてんのよ!」

「げっ! なべちゃん、恵だぜ」

「やべぇ! 楓もいやがる!」

「チッ!」


 手を離した渡辺は、一輝の足元に唾を吐き捨てて去っていく。

 入れ違いになる形でやって来た恵と楓が、そんな渡辺の背中を睨み付ける。


「まったく! 弱いもの虐めしか出来ない情けない奴ら!」

「カズちゃん大丈夫ー?」

「あ、あぁ。ありがとう、恵、楓さん」


 礼を言う一輝に恵は一瞬満足そうな笑みを浮かべそうになる。だが、それを直ぐに引っ込めてから、眉をつり上げる。


「一輝! あんたも、なんでやられっぱなしなのよ!」

「そうはいっても、お前は俺がどんなやつか知ってるだろう? 敵わねえよ」

「それでも! ……あんたは、やられっぱなしでいいの?」


 僅かな寂しさと悔しさが恵の表情に滲み出る。

 恵にとって、かつては『ヒーロー』と呼んでいた存在。いや、いまでも自分にとっては『ヒーロー』だと思っている存在。

 その『ヒーロー』の今の姿に、思う所があったのだ。


「けーちゃん、カズちゃん大好きだもんねー」

「んなっ!? ち、ちち違うわよ!!」

「カズちゃんー。ケーちゃんってねぇ、いっつもカズちゃんの話をー」

「わー! わー! なんでもない! なんでもないんだから! さ、さっさと次の教室いくわよ、楓!」


 小さい体を目一杯跳ねさせて楓の言葉を遮る恵。

 それでも話すのを止めようとしない楓を、恵は首根っこを掴んで引きずって行く。

 嵐のように去っていった二人を見送りながら、一輝は小さくため息をつく。


「……このままじゃ、ダメだよな」




 ◇◇◇◇◇◇




「ダンジョンに潜りたい?」

「はい」


 職員室でコーヒーを飲みながらパソコンで調べものをしていたジェイは、一輝の言葉に顔をあげる。


「先生は既にお気づきかもしれませんが、俺は少しばかり人と鍛える方法が違います。それを詳しくお教えすることはできませんが……」

「あぁ、良い良い。探索師たるもの、自分の力をひけらかす必要も意味もないからな。それは良いんだが……ダンジョンか」


 私立ルーゼンブル学園は、その特性上敷地内にダンジョンを有する。旧渋谷区サブ・ダンジョンだ。

 しかし、このダンジョンに潜るためには一年の修了課程を終え、二年生になってからという決まりがある。それは、己の力を過信しすぎて命を落とす無謀者が、毎年の如く出ていたことによるものだ。


「他のサブ・ダンジョンではだめなのか? それこそ、旧世田谷とか」

「授業の関係上、土日で行ける範囲で潜りたいのです……」


 途中編入の一輝は、その遅れを取り戻すべくカリキュラムが他の人よりも過密になっている。

 通常の授業に加えて、早朝と放課後の補講もあるのだ。


「む、そうだったな……うーむ。これはあくまでも提案なのだが。さっきも言った通り、探索師にとって力を秘密にしていることは駄目なことではない。それを踏まえてだ」

「はい」

「私を連れていくのは駄目か?」

「それは……」


 『私を信用してはくれないか』。言葉にこそしないものの、ジェイの瞳がそう語りかけてくる。


 一輝がダンジョンに潜り、その能力を向上させるためにはモンスターを食べる必要がある。

 ベルゼブブから授かった『暴食の権能』の力だ。

 しかし、法でも規制されているモンスターを食べる行為を知られるのは、一輝にとってもジェイにとってもあまり良い話ではない。

 だが、一輝は少しまえあたりから、いつかジェイには話してみようかとも考えていた。


 その特殊すぎる力は、自分だけで検証するには持て余す。

 それに加え、いずれはこの力は世間に知られる事になるだろう。今は一輝の事は最底辺だという認識が先行しているので、あまり注目はされていない。しかし、ジェイの様に噂ではなく、その人そのものを見極める者の目は誤魔化すことができないのだ。

 事実、最底辺でありながらルーゼンブルに入学したことに、恵などは疑いの視線を向けてくる。


(ここで明かすべきか……? 先生が信頼できる人だとは思う。それに……)


 打算的ではあるがジェイに秘密を明かしたとして、仮にジェイが一輝を糾弾しようとする。だが、ルーゼンブルに一輝を率いれたのはそもそもジェイであり、その責任はジェイにも及ぶのだ。

 更に言えば、ジェイは一輝のこの能力に価値を見いだしている。ならば、それを利用することも必要なのだ。

 毒を食らわば皿まで。

 いっそのこと、お互いズブズブになってしまった方が良いと考えた。


「わかりました。では、土曜日に一緒にお願いしてもいいですか?」

「……あぁ、わかった。では、入場申請書は私の方で出しておこう」


 一輝の返答が意外だったのか、ジェイは眉を僅かに動かす。


(さて、一輝君の力の秘密が見られる、か。興味は尽きないが、妙に嫌な予感もする)


 表情にこそ出さないが、ジェイは内心ドキドキしていた。

 自分のこう言う勘は外れたことが無かったからだ。


 そうして迎えた週末。

 ダンジョン区画Aブロックの入り口に二人の姿はあった。


「……なぁ、一輝君」

「え、はい、なんでしょう?」

「以前の旧世田谷区の時も薄々思ってはいたのだが……君はいつもその格好でダンジョンへ?」


 入念な準備運動をする一輝を呆れの視線で見つめるジェイ。


「えぇ。本当はガードとか買いたいですけど、そんなお金があれば素材を持ち帰る用のマジックバッグ買いたいですし。それに、俺はあまり深い場所に行かないので」

「それはそうだろうが……」


 一輝の格好は到ってシンプルだ。

 上は僅かばかりの防御機構が備わった密着性のある黒いスーツにTシャツ。下も同じく黒いタイツ型のスーツに上から膝丈のズボンである。

 一輝が着用しているスーツは探索師御用達の老舗『出雲IZUMOスポーツ』製のものだが、中古で上下セット二万円の代物であり、既にそのスーツとしての機能が働いているかどうかも怪しいところである。

 そもそも、一輝のスーツは現在販売されているものから五世代前の物だ。性能は悪い意味で推して知るべし。


「……帰ってきたら少し用品店に行こう。一輝君、きみが妹さんの為に必死なのはわかるが、ケチって良いところと悪いところの見極めは大事だよ?」

「はい……」


 溜め息をつきつつも、それ以外の準備については満点をあげても良いくらいに用意周到であった。

 まさにダンジョン探索のお手本といっても良い。それ程までに整った一輝の準備に、ジェイは内心唸る。

 それを自然体でチェックしているあたり、スーツの性能が悪いにも関わらず、そして最底辺の能力でありながらダンジョンに一年近く潜っていた理由を垣間見た。


「さて、準備は大丈夫なようだね。では、行こうか」

「はい!」


 ゆったりと歩くジェイの後を、一輝は表情を引き締めてついていく。

 初めての、しかも等級で言えば旧世田谷や旧墨田よりも上のものだ。


 そうして一輝は緊張と期待を胸に、旧渋谷区サブ・ダンジョンのゲートに足を踏み入れていく。

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