第十二層目 浮遊する大目玉


 旧世田谷区サブ・ダンジョン。

 煉瓦造りの壁や天井はぼんやりと光を帯びており、それだけでもある程度の視界は確保できそうだ。

 だが、万全を期す一輝は、背嚢から松明を取り出すとそれに火を灯す。

 LEDライト等の照明器具を使う探索師も少なくはないのだが、突然の戦闘等が起こった際、照明器具は取り扱い次第では故障してしまい、それ以降の照明の確保が出来なくなる場合がある。

 なので、ベテラン探索師等は取り回しもよく、耐久性にも優れる点から松明を使う者も多い。

 簡単に使えて、明るさを確保できる点で言えば現代の照明器具は優れているが、粗雑な扱いにも耐えうり、時には武器にもなる松明がベテランには選ばれるのだ。

 勿論、大昔に使われていた松脂を使ったものではなく、可燃性のモンスター素材を使った、現代風のアレンジはあるのだが。


「あっちは人が多そうだな……まぁ今回の目的は地下三階だし、この辺りの探索はまた今度かな」


 あらかじめ購入していた地図を見ながら、一輝は階段へ向けて歩いていく。

 この地図もデジタルではなく、特殊な樹脂に印刷されたアナログのものである。

 かつてダンジョンが現界した際、攻略にはあらゆる最新機器が用いられた。しかし、それらは常に故障や破損の危険性が孕んでおり、地上の様に直ぐに修理に出すことが出来ないダンジョンにおいては、著しく生存率を下げる。

 なので、救助要請用の通信器具等のように、どうしても電子機器を使用しないといけない物以外は、だいたいの道具がアナログ化しているのだ。

 取り回しがよく、耐久性にも優れ、ある程度なら修理も容易。これらの点の強みが、探索師の命を守る大きな要素である。


 なるべく不要な戦闘を避けつつ、一輝は地下三階へと足を進めた。

 モンスターをいま倒したところで、その肉を食べるわけにもいかず、あまり体力の消費もできないからだ。

 『暴食の権能』はある種の反則じみた力である。しかし、それを誰かに見られれば、一輝は直ぐにでも社会的に追われることとなる。

 本来法で禁じられているモンスターを食べる行為。その上で体になんの問題もなく、さらには能力の向上までされる。

 こんな事がバレれば、即座にダンジョン協会が動き出すだろう。そうなれば、あとに待っているのは実験生物として生きていく未来だ。

 ダンジョン協会相手に立ち回れる程に強ければ、バレても問題はないだろう。だが、いまは渡辺達すら払い除けられない。当面はこの力を誰にも話すまいと、一輝は考えたのだ。


(でも、あのモンスターだけは絶対に食べなきゃ……居た!)


 地下三階に降り、しばらく探索を続けていると、今回の目的である、『フロートアイ』が宙に浮いていた。

 旧世田谷区ダンジョンでもあまり探索師から好まれないこのモンスターは、別名『金魚のフン』と呼ばれる。

 フロートアイ自体には戦闘能力がほとんどなく、むしろ初心者でも狩ることができるのであるが、このモンスターの厄介さは別の部分にある。


 出来るだけ静かに、気づかれない様にフロートアイに近づいていた一輝であったが、まるでセンサーに反応したロボットの様にフロートアイが振り向き、一輝の姿を捉える。

 それと同時に、けたたましい鳴き声を発し始めた。


「ヴィイイィイイイィィィイィィッ!! ヴィイイィイイイィィィイィィッ!!」

「うわっ!? まじでうるさい!!」


 フロア全体に鳴り響くかと思うほどの大音量。

 気づかれずには無理だとは思っていたが、それでもあまりの大きな音に一輝は度肝をぬかれる。

 が、それでも直ぐに一輝は動き出した。


 その場から動かず、空中でけたたましい鳴き声をあげるフロートアイを包丁で両断する。

 ベルゼブブから貰った包丁は、不思議な事に一輝が持ったときだけ、その凄まじい切れ味を発揮する。

 どれ程に堅牢な甲殻でさえ、熱したナイフでバターを切るかの如く両断する。当然ながら、なんの甲殻すら持たないフロートアイは為す術もなく真っ二つになり、青い血液を撒き散らしながら地面に落ちた。


「うぇ……甲殻類とかも青い血だけど、やっぱりあんまり食欲がわかないや。っと、そんなことよりも……」


 落ちたフロートアイを背嚢に入れると、一輝は直ぐ様壁を背にして包丁を構える。

 すると、何処か遠くから複数の息づかいと、カチャカチャと軽い足音が聞こえてきた。


「グルルルル……」

「ヴァウッ! ヴァウッ!」


 そして、あちこちの通路から姿を見せたのは、真っ黒な長い体毛を持つ大型の犬のモンスター、『マーダードッグ』である。

 マーダーと名前についているが、これは英語における殺人の意味でのマーダー (murder)ではない。動物のテン(marder)の意味の方であり、犬科の特徴を持ちながら、イタチ科の貂の様な素早い動きを見せることからこの呼び名がついた。

 しかし、ダンジョンに潜り始めた初心者探索師を集団で追い詰めて狩ることから、前者の意味もあると探索師達の間では言われている。


 松明を翳して牽制をする一輝。

 背後には壁があり、交代することも逃げることも出来ない。

 が、これは別段一輝がミスをした訳ではなく、わざとこの様なポジション取りをしているのだ。

 マーダードッグはイタチの様にスルリと物を掻い潜る動きが出来る。なので、背後が取れるような立ち位置であれば、代わる代わる目標の背後を取りにくるのだ。それでいて、背後ばかりを警戒していると、今度は前から襲われてしまう。

 犬の様に集団の狩りを、イタチの俊敏さで行うマーダードッグ。モンスターの習性を知る必要性という、探索師の基本が出来ていない初心者を刈り取る存在といっても過言ではない。


 しかし、逆に言えばその習性さえ知っていれば、あとは容易に対処できるのだ。


「ほ、本当に襲ってこない……これなら、行ける!」


 自分達の基本スタイルである、『背後を取る』戦法が封じられたマーダードッグ達は、攻めあぐねてか唸り声をあげるだけで、一輝の周りをうろうろと歩き回る。

 時々、威嚇まじりに一輝に襲いかかろうとするが、松明の火によって牽制されたり、包丁で切り裂かれるのでそれ以上前に出ることが出来ないでいた。


 両者がにらみ合いを続けること十分弱。

 遂に、マーダードッグ達が折れて、群れの中でも少しだけ体が大きい、恐らくボスであろうマーダードッグが引き返し始めた。すると、他のマーダードッグ達もそれに倣うように、一斉に何処かへと消えていってしまった。


「は、はは……流石にチビるかと思った……けど、本当にこの本通りだった」


 背嚢から取り出したのは、旧世田谷区ダンジョンに潜る前に購入し、暇な時間に何度も読み返した『旧世田谷区ダンジョンの歩き方』という本だ。

 10層目という浅い層までの情報しか載ってはいないが、それでもモンスターの種類や習性、罠の構造などが載っており、お値段は少し高いものの、それ以上の価値を示してくれた。


 『金魚のフン』と呼ばれるフロートアイと、マーダードッグの共生関係もこの本には書かれている。

 マーダードッグは狩りをするものの、火を怖がる通り比較的臆病な性格である。なので、狩りをする時は自分よりも弱い存在に襲いかかる。

 しかし、時にはそれを見誤ってしまう事もある。そんな中で共生関係を結んだのが、フロートアイなのだ。

 フロートアイは戦闘能力をほとんど持たない。だが、その真価は体の大部分を占める『眼』にある。


 なんの力も持たず、ただマーダードッグを呼び出すフロートアイという特異な存在。

 これに注目した研究者が、様々な探索師の協力の下に導いた研究結果が、『フロートアイはマーダードッグが狩りを出来る程度の存在を報せる役割を持つ』であった。


 一定以上の力を有する探索師が近づいても、フロートアイは一切の反応を見せなかった。

 しかし、初心者でかつ、力のない探索師が近づいたところ、直ぐにマーダードッグを呼び寄せたのだ。(なお、この検証中に呼び出されたマーダードッグは、隠れていたベテランによって無事駆除された)

 なので、まだまだ研究の途中ではあるが、フロートアイには見るものの力量を見極める力があるのではないか、という推論がたてられたのだ。

 そして、一輝はその点に着目したのだ。


「俺の予想が正しかったら……こいつを食えば新しい『力』が手に入るはず」


 誰も周りに居ない事を確認した一輝は、背嚢から取り出したフロートアイの死骸に口を近づけて行った。

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