第十一層目 旧世田谷区ダンジョン
「百八十九……百九十……っ!」
滴る汗もそのままに、黙々とトレーニングに励む一輝。
いつも通う旧墨田区のダンジョンが閉鎖となって、体が鈍らない様に入念にトレーニングをこなしていく。
探索師になる為に高校を辞めた一輝にとって、ダンジョンに潜れない今は時間が有り余っていた。
ならば他のダンジョンに挑戦したら良い話なのだが、残念なことにダンジョンは個別の登録制であり、なんでもかんでも好き勝手に潜れる訳ではない。
事前にダンジョン協会に申請をした上で、入場許可を貰ってから入れるのだ。勿論、旧墨田区が利用出来ないとわかった時点で、その申請は済ませている。
だが、同じ様に旧墨田区のダンジョンを利用している者は大勢おり、手続きに時間がかかっているのだ。
「二百ッ! ふー……休憩」
所謂ドラゴンフラッグという、強烈にキツい筋トレをこなし、床に寝そべる一輝。
本来ドラゴンフラッグなど、そんなに数をこなす筋トレではない。そんなことをすれば、体の方が先に壊れてしまうからだ。
だが、それはあくまでも一般人の話である。
最底辺と呼ばれる『調理』の才能であったとしても、そこは『覚醒』である。常人の枠では収まりきらない。
さらに言えば、『暴食の権能』によって身体能力が著しくあがっているので、これくらいしないと効かないのだ。
「しっかし……こんなに筋トレやるより、ダンジョンでモンスター齧ってる方が効率良いんだもんなぁ……」
トレーニング自体は、才能を得る前から始めていた。なんの才能もない人の中でも、かなり頑張っていた方だ。
それでも『覚醒』はそれを意図も容易く凌駕し、さらに『暴食の権能』はその上をいくのだ。
「でも、折角もらったチャンスだ。それに今までの努力も足さなきゃ、他の人に勝てない!」
そう言って飛び起き、汗を拭い始める一輝。
馬鹿にされたり、不幸な境遇にあったり。それでも腐ることなく前を向くことが出来る。
それこそが、一輝にとっての一番の才能であるのかもしれない。
あらかたのメニューをこなし、昼食の準備をしていた一輝は、スマホに一通のメールが届いていることに気がついた。
送り主は『日本ダンジョン協会』からである。
「おっ、やっと来たかな? …………よし、これでまたダンジョンに潜ることが出来るぞ!」
メールの内容は、一輝が待ち望んでいたものであった。
旧世田谷区のサブ・ダンジョン。そこの入場許可が出たのだ。
旧墨田区の一件を受け、他のサブ・ダンジョンについても調査が行われた。
しかし、異変が起こっていたのは旧墨田区のみであり、他のダンジョンではなんの変化もなかった。
なので、今回一輝が選んだのは、比較的弱いモンスターの生息する旧世田谷区であった。さらに言えば、とある目的のモンスターも生息している。
「佐々木さんの計らいで渡辺達が潜るダンジョンとも別だし……頑張って稼がなければ」
日本ダンジョン協会での出来事は、直ぐに佐々木にも伝わることとなった。
渡辺達の素行の悪さは以前から協会内でも問題になっていたが、それ相応に結果も出しているので出禁にする訳にもいかない状況である。
しかし、自分が担当している一輝の事も放って置くことは出来ないと、若干職権乱用気味ではあるが、秘密裏に渡辺の選んだダンジョン以外を一輝に勧める形となったのだ。
昼食に大量の鳥むね肉を野菜と一緒に蒸した物で済ませた一輝は、そのままダンジョンに潜る準備を始める。
遭難事件でボロボロになってしまった背負子や収納ポーチも、先日の報酬で買い換えることができた。
「ちょっと高かったけど、今後潜るなら必須だもんなコレ」
一輝の背中に負われている背嚢。そのサイズはダンジョンに潜るには些か小さすぎる様にも思える。
しかし、この背嚢は見た目よりも数倍以上の収納が可能だ。
ダンジョンの宝物の中に、『マジックバッグ』と呼ばれる物がある。これは見た目は様々なのだが、どれにも共通しているのが、収納スペースが見た目よりも大きいという特徴だ。さらには、重さも軽減される効果がある。
マジックバッグは魔導倶の一種であり、そのメカニズムの解明は研究者の間でも課題となっている。だが、いまなおそのほとんどがわかっていない。
珍しいものでは容量だけでなく、時間の流れが緩やかな物であったり、二つのマジックバッグで共通の収納を持つ変わり種もある。そんな珍しいものは当然価値も高く、値が張るので流石に一輝は購入できなかったが。
それでも、以前の様なただの背負子に比べれば収納容量は段違いであるし、その分他に必要な用品なども持っていける。
ダンジョンアタックには必須のアイテムなのだ。
ちなみに、一輝が購入したマジックバッグは中古品で小型の物であるが、偉大なる諭吉先生が百人以上出撃している。
「携帯食料、ヨシ! 予備のナイフ、照明、ヨシ! 回復、造血剤、ヨシ! 準備、ヨシ!」
点検チェックシートに全てレ点をつけ、準備を済ませる一輝。
これはダンジョン協会で行われている初心者講座で習った、『ダンジョン入場準備の心得』のひとつなのだ。だが、実際にこれをやっているのは、ダンジョンに初めて入る本当の初心者くらいのものである。
しかし、こういった確認を怠り、怪我をした探索師の話を聞いたことがあった一輝は、いまでもダンジョンに入場する前には必ず行っている。
一輝は命をペイに回してまでも早織の治療費を稼いでいるが、それ故に死ぬことが許されない。
なので、出来ることは最大限やって、最後まで生き残ることを信条にしているのだ。
早織にしばらく見舞いにいけないメールを送り、バスに乗り込んでダンジョンへと向かう。
平日の昼間ということもあって、バスの中は閑散としていた。だが、中には数名の探索師の姿があり、皆自分の道具の手入れなどに勤しんでいた。
一輝もそれに倣って最終確認を行いつつ、バスに揺られること一時間。
今回の目的地である、旧世田谷区のサブ・ダンジョンへと到着した。
「うわぁ……結構人がいるなぁ」
恐らく旧墨田区に潜っていた探索師達だろう。
情報ではあまり人気がないはずの旧世田谷区のダンジョンだが、かなりの人で賑わいを見せていた。
「こんにちは。入場許可をお願い致します」
「はい…………神園、一輝さんですね。では、こちらの検査機に手を載せてください。…………はい、大丈夫ですよ。旧墨田区からこちらへ移動ですね。こちらでも原則、ルール等に変更はありません。二週間以上連絡が途絶えた場合、捜索隊が編成されてしまいますので、その点は十分お気をつけください」
「ありがとうございます」
一輝は受付から貸し出しの通信機を受けとると、入場の列の方へと移動する。
ちらほらと旧墨田区でも見た顔があったが、やはり元からここをホームにしている人が多く、勝手が違う雰囲気に緊張してしまう。
(今回の目的は、『フロートアイ』というモンスター……まずは三階層まで降りなきゃ)
旧世田谷区ダンジョンは地下型のダンジョンであり、入り口が何故か地下鉄風である。
元々、世田谷区には地下鉄がなかったのだが、ダンジョン現界による地殻変動で別の場所の地下鉄の入り口が流れてきて、それがダンジョンの入り口となったという研究結果が出ている。
「はい、次の方どうぞ。良い探索を」
「良い探索を」
入場の際の決まり文句を入り口の職員と交わし、一輝は一段一段緊張の面持ちで階段を降りていく。
そして、階段を降りきった先に待っていたのは、煉瓦造りの地下迷宮ダンジョンであった。
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