第十層目 ダンジョンの異変

 二階の長い廊下をしばらく歩き、一輝は応接室のひとつに案内された。


「ここで座って待っててくれ。直ぐに佐々木主任を呼んでくる」

「お手数お掛けします」


 一輝の礼に畑山は口許を緩めて頭を下げる。

 そうして暫くの間一人で待っていると、遠くから足音が近づいてくるのがわかった。

 足音はいま居る部屋の前で止まると、コンコンっとノックが聞こえてきた。


「はい」

「遅くなって申し訳ない、佐々木です」

「こんにちは、羽崎です。御体の具合はどうですか?」


 入ってきたのは一輝の担当である佐々木と、以前遭難をして無事に帰還した際、素材を預けた窓口担当の羽崎であった。


「なんとか、検査も無事に終わりました。その節ではご迷惑を御掛けしました」

「いやいや、無事であれば良かった。とまぁ、あまり世間話をしていても仕方がないので、早速本題に入らせていただきます」


 一輝の対面にある椅子へ座る二人。

 羽崎は持っていたアタッシュケースを取り出すと、蓋を開けて一輝に見せた。驚く事に、ケースの中には銀行の帯で括られた真新しい札束が二つと、いくつかの資料であった。


「この様な場で裸の札をお見せするのは失礼ですが、『かならず現金で、かつ本人が承諾できるよう報酬は可視化すること』という協会の決まりですので、御理解いただければと思います」

「えっと、はい……それは大丈夫なのですが、これ、本当に報酬ですか?」

「はい。今回の査定でお持ち込みいただいた素材は、『フレイムリザード』の甲殻でございます。旧墨田区のサブ・ダンジョンを専門とされている神園様にはあまり馴染みがないモンスターかと思われます」


 羽崎の言葉に一輝は首を縦に振る。

 ダンジョンに潜りだしてまだ一年も経ってはいないが、それでも自分が潜るダンジョンの情報位であれば、いつも最新のものを仕入れている。

 能力で劣る一輝にとって、情報とはまさに命綱であり、これを欠いた事に後悔しても、その時にはダンジョンの栄養になってしまっているからだ。


「フレイムリザードの等級はC級のちょうど真ん中、と言った所でしょう。素材の買い取り額としましては、色々と差し引いて百万円といった所です」

「C、級……?」


 羽崎の言葉に一輝は納得がいかず、確認をするように問いかける。


「神園様の疑問はごもっともでございます。旧墨田区のサブ・ダンジョンでは、モンスターの等級はD級が関の山です。本来、フレイムリザードはメイン・ダンジョンの浅層で見られるモンスターなのです」

「メイン・ダンジョン、ですか……でも」

「はい。神園様はサブ・ダンジョンに潜っておられました。ですので、是非この甲殻を入手した経緯をお聞きしたい。その分の報酬がこちらです」


 そう言って羽崎は、先にケースから出した札束の隣に、もう一つの札束を並べる。

 計二百万円也。

 一輝が死に物狂いでダンジョンに自生する草花等の素材を集めたり、放置されたジャイ・アントの死骸を剥ぎ取ったりして得られる報酬の十倍近い額だ。


「これは新しい発見、と言えば聞こえは良いのですが、ともすればサブ・ダンジョンの生態系が変化している可能性があるのです。そして、その被害に遭うのが、神園さん達探索師だ。是非、協力をお願いしたい」

「……わかりました。俺も無我夢中でしたが、なんとか覚えていることをお話します」


 一輝が協力をすると聞いて、二人はホッとした表情を浮かべる。

 当の一輝としても、このフレイムリザードの甲殻については嘘偽りなく説明が出来る。

 何故なら、これは一輝が倒した物ではなく、偶然にもさ迷っている内に死骸を発見をし、それを持ち帰って来ただけだからだ。


「…………という訳で、ダンジョン内をさ迷っている時に発見をしました。あっ、そう言えば……この甲殻の持ち主、フレイムリザードでしたか。これは胴体しか残ってなくて、その胴体にも大きな噛み痕がありました」

「なに? 神園さん、それはどんな噛み痕だったか覚えていますか?」

「確か……そう、こんな感じで」


 一輝がメモ用紙に、記憶を頼りにスケッチをしていく。意外にもそのスケッチが上手く、佐々木は感嘆の声をあげる。


「神園さん、絵が上手なんですね」

「ちょっと趣味でして……そう、こんな感じです」


 一輝が描きあげたスケッチを見て、二人はゴクリと唾を飲み込む。口々に「まさか……」「そんなはずは……」と呟きながら、思考の渦に囚われる。


「あの……この噛み痕が何かわかるのですか?」

「えっ!? あ、いや……どうだろうか……佐々木主任はどうお考えですか?」

「わ、私か!? あ、いや……でも……」


 メモに描かれた噛み痕のスケッチ。

 それはまるで同じ場所を二回噛まれた様に、二列の歯形がついたものであった。


「……万が一ということもある。これはあまり当たって貰いたくない推論だが……恐らくツイントゥースドラゴンではないだろうか……」

「ツイントゥースドラゴン? え、それって……」


 佐々木の口から告げられた名前。

 それを一輝も聞いたことはあった。


 大阪大討伐。多くの探索師が命を散らせた、ダンジョン出現以降での日本における、最大のダンジョン災害の事を指す。

 歴史の教科書にも記載される程の大事件。その原因こそが、ツイントゥースドラゴンである。


 ツイントゥースドラゴンは、ドラゴン最大の特徴である『ブレス』を使えない代わりに、身体能力がべらぼうに高く、スピード、パワー、獰猛さのどれをとっても、日本のダンジョンで出現するモンスターの中でも最強と言われている。

 それでいて狡猾な一面もあり、大阪の大討伐の際には、先行して潜っていた探索師をわざと行動不能なレベルでの怪我で痛め付け、それを救助に来た他の探索師を待ち伏せして食らったという逸話があった。

 そして最大の特徴は、口内に二列並んでびっしりと生えている鋭い牙。小さく不規則に並んだ牙は、互いの距離が短く、しかも二列並んでいるために噛まれた時にはまるでノコギリで切られたかのように、ズタズタにされてしまうのだ。


「あくまでも推測だが……今回、神園さんが持ち帰った物は、ツイントゥースドラゴンによる縄張りの主張の特性と一致する。奴はダンジョンの中でも異質なモンスターだ」

「異質ですか?」

「あれはダンジョンの階層を跨いで活動するとの報告があった。実際、大討伐の際には奴を追い詰めるのに地下14層から22層まで攻防が続いたとの記録がある」


 通常、ダンジョンにおけるモンスターの活動は、基本的に発生したその階層のみである。ダンジョン自体、様々な様式のものがあり、洞窟であったり塔であったりするのだが、それぞれ階段によって階層が区切られているのだ。

 そして、なぜかモンスターというモノは、その階段を移動することが出来ない。餌などでおびき寄せたり、無理矢理縄で括って移動を試みても、急に餌に興味がなくなったり、不思議な力でモンスターが爆発四散したりと、力業をもってしても不可能なのだ。


「す、すみません、神園さん。私は直ぐに上司に報告をしなければならないので、これにて失礼いたします」

「え、あ、はい、ありがとうございました!」


 慌てて退室をしていく羽崎を見送りつつ、佐々木はどうしたものかと眉間に皺をよせる。


「あ、あの……俺、なにかマズイことしたのでしょうか?」

「いえ、むしろ逆です。もしも神園さんがこれを発見していなければ、この地は大阪の二の舞になっていたでしょう。むしろ、追加で報酬があるかもしれませんよ。これらの調査次第ですが」

「そう、ですか……でも、なんで急にいないはずのモンスターが?」

「わかりません。ダンジョンについての研究は常に続けられていますが、調べれば調べるほどに新たな謎が生まれてくるのです」


 窓の外を眺めながら呟く佐々木。

 その視線の先には、ダンジョンへ行き来する人々の姿があった。


 その後、一輝からもたらされた情報を元に、旧墨田区のサブ・ダンジョンは調査が行われた。

 結果、いくつかの層で本来サブ・ダンジョンでは出現しないモンスターの死骸と、その死骸に付けられた特異な噛み痕が発見された為、ダンジョンは速やかに無期限の閉鎖となったのであった。

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