第五層目 ドラゴンのタタキ
(嘘だろ? この包丁……)
一輝が引いていた理由は、ベルゼブブのハイテンションな食レポの為ではない。
あまりにも切れ味の良すぎる包丁のせいであった。
ドラゴンを捌いている最中は、体こそ自動的に動いているものの、意識自体はそのまま残っていた。なので、たった一本の包丁が次々とドラゴンの堅牢な鱗や皮膚、腱などを切断していく様を見て、一輝は驚きで一杯になっていたのだ。
「ドラゴンでさえ切り裂く包丁とか……反則じゃないか」
「さてさてさて! カズキよ! まさかとは思うが、捌いてこのまま終わりではないであるな?」
「へ? あ、勿論です! あ、でも……」
「今度はなんであるか!? 私が出来ることなら何でも協力するである! この様な極上の素材を前に、お預けなどしないで貰いたい!」
「その、ですね……俺はというか、人間はモンスターを口に出来ない訳でして……味見が出来ないと、流石に調理が難しく……」
ダンジョンに生きるモンスター。狩れども狩れども溢れ出てくるそれらを、人間はとある問題解決の糸口にしようとした。
それは、食料問題。
世界人口75億人と言われる現代において、食料問題は切迫したものである。だがもしも、この無限に湧き続けるモンスターを食料に出来るのであれば。そう考えた国際機関は、直ちに研究に乗り出した。
しかし、それらの研究は最悪のケースで幕を閉じた。
モンスターの中には、従来の生物に姿形が良く似たものもあり、それらをまずは食料として試験的に調理してみようとなった。
捌いた結果、普通に食用に適した肉が採れ、それをあらゆる調理法で研究員が口にした。
だが、研究員は僅か数ミリだけ齧った者も含め、全員が帰らぬ人となってしまった。
その後の研究により、当初の成分分析では検出できなかった謎の物質が、人体に多大な影響を与えてしまうという結論に至ったのだ。
それ以後、モンスターの肉を食用目的での採取、販売、流通は禁止され、現在ではモンスター食は禁忌とされている。
「なるほど……妙にダンジョンでモンスターを食している様子がないと思えば、人間には害であったか。ううむ、惜しい。モンスターを食べれば、昨日の病人とて明日の豪傑となるほどの栄養があるのに……」
「モンスターを食べると、ですか?」
「うむ。食は体の根幹であろう。良いものを食べれば、良い体が出来る。これは自然の摂理というものである。だが……ふむ、そうであるな。ちょっと失礼」
「え? あ、ちょっ、あぁぁぁ!?」
顎に手を当てて考え込んでいたベルゼブブが、突然一輝の体、正確には胃の部分に手を差し込む。
いきなり体を貫かれ、衝撃と痛みで目の前がチカチカと明滅する一輝。
しばらくして、ベルゼブブが手を引っこ抜くと、不思議と傷口は跡形もなく消えていた。
「な、にを……」
「なに、心配するなである。これでカズキもモンスターを食すことが出来る様になったのであーる!」
そんな馬鹿な話があるものか。そんな風に疑いの眼差しで見つめる一輝。
その視線に気がついたベルゼブブは、ニヤリと笑ってドラゴンの端切れをつまむ。
「疑うのであれば、その身で文字通り味わうといいである。この最上のドラゴンの味というものを」
「や、め……!」
まだ痛みで動けない一輝は、抵抗することも出来ずにベルゼブブの持つドラゴン肉を口に放り込まれてしまった。
たしか、モンスターを食べた研究員は、体の内側から破裂して死んでいたと書いていたはず。
そんな記憶が走馬灯の様に一輝の頭を過り、同時に体の奥底から内側を突き破ってくる衝動を感じる。
「う、うおおぉぉおおぉぉぉぉぉぉ!?」
「……どうで、あるか?」
「旨いッッ!!!」
まさに極上を体現した味であった。
生肉特有の血の匂いはあるが、決して臭みではなく鮮烈な香りであり、以前一度だけ口にした特上牛肉の刺身を彷彿とさせる……否、それ以上に鮮烈な印象である。
それでいて噛み締めるごとに口に広がる旨味のジュースが、洪水の様に一輝の味覚を支配していく。
動物性の脂質というものは固まる温度が低いこともあり、生よりも熱を通した方が旨いとされている。しかし、このドラゴン肉に関しては、そもそもが脂の性質が違うのだろう。生であるのに固まった脂特有のべっとりとした感じが無いのだ。
そして何より、体の奥底から湧き上がる活力の胎動。内なる力が目覚めるような感覚を一輝は覚えていた。
「素晴らしい味であろう? これこそが、朝採れのドラゴンである!」
「いや、そんな筍みたいに言われましても……でも、モンスターの肉を食べたのに、何で……?」
「私がカズキの体を作り替えたからである。悪魔にとって、人間を作り替えることくらい朝飯前なのである。さぁ、ドラゴンの味もわかったところで、早速調理にとりかかるのである!」
なにやら無視をしてはいけない様な単語が聞こえてはいたが、一輝はあえてそれは無視することにした。
なぜなら一輝もまた、この目の前のドラゴン肉に魅入られてしまっていたからだ。
これほどまでに極上の肉を、自分が調理できる。その甘美な誘惑に、一輝は抗うことが出来なかった。
「これほどまでに最高の肉であれば……弄り回すことよりも、素材の味を最大限に引き出してあげることが一番だ。生の味わいも素晴らしいが、やはり獣肉に近しい感じがあるので、熱は加えたい。だが、新鮮ゆえの生の鮮烈さも捨ててはいけない。となれば……!!」
一輝は直ぐ様調理に取りかかる。
その他の食材に関しても、ベルゼブブがあらかじめ用意をしてくれていた。その中からいくつかの薬味となる野菜を選び、メインであるドラゴン肉の塊をまな板に乗せる。
「これほど見事な肉なら、繊維を断ち切る必要もなさそうだ。そのまま下味をつけていこう」
調味料棚から塩、コショウ、乾燥して砕かれた香草の粉末を取りだし、肉の周りに刷り込んでいく。パンチを効かせるのであれば、この時ガーリックパウダーなんかを使うのも悪くはないが、今回は折角のドラゴン肉の香りを殺してしまわないよう、控えることにした。
そして下味がつけ終われば、フライパンで肉の周りを焼いていく。この時、あまり一つの面だけを焼きすぎないよう、適度なタイミングで別の面を下にしていく。
「うーむ、肉の焼ける素晴らしい香りである! 香草の香りも食欲をそそるのである」
「香草はあくまでも香り付け程度です。肉そのものの香りが素晴らしいので、あくまでも引き立てることを目的としています」
全ての面が焼き上がると、アルミホイルで肉を包んでまな板に置く。
その様子を見ていたベルゼブブが、首を傾げた。
「焼き上がったのでないのか? 私は早くそれを食べたいのであるが」
「もう少しお待ちください。肉は熱を通すとき、肉汁が中で暴れまわります。焼きたての時にそれを切ってしまえば、暴れていた肉汁が外に出てしまい、折角の肉汁が台無しになってしまうのです。それはそれで映像的には旨そうに見えますが……」
「なるほど。つまりは休ませるということか。うーむ、セバスは喋ることが出来なかったから、そういった調理の細かい部分と言うものを初めて知ったのである」
数分後。アルミホイルから取り出した肉を、皿の上に載せて切っていく。
褐色の焼き目の中から現れる真紅の断面はまさにラヴィアン・ローズ。僅かに濡れる肉汁が、その輝きを一層素晴らしい物に引き立てていた。
「ま、待ちきれないのである! 早く、早く!」
「すみません、もう少しだけ。この溢れ出た肉汁でソースを作りますので」
「な、なんと……」
更なるお預けにしょんぼりとするベルゼブブ。心なしかカイゼル髭もへにょんと下がっているように見える。
切った時に溢れた肉汁を、肉を焼いたフライパンに移して火にかけ、赤ワイン、醤油、すりおろした玉ねぎを加える。みりんを少々加え、全体の味にまろみがでればタレの完成である。
大皿に盛り付け、タレを回しかけたら……。
「ドラゴン肉のタタキの完成です。お好みで薬味を添えてください」
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