第四層目 ドラゴンの刺身


 ドラゴン。

 いにしえの時代から伝説の中で語り継がれてきた、想像上の生物である。

 いや、正確には『想像上の生物で』。

 この世界にダンジョンが生まれ始めた時、変化があったのは何も人間だけではない。

 地球上の生物が皆、まるで申し合わせたかの様に多種多様な変化を遂げ、世界はまさに変容したのだ。

 そして、それらの生物の中には、想像上の生き物とされてきたモノもあった。


 鷲の頭と翼に、獅子の体を持つグリフォン。

 肉食の鳥類に蛇の尾を持ち、石化の毒を吐き出すバジリスク。

 如何なる兵器も通用しない堅牢な鱗を持ち、超常の力を操るドラゴン。


 これらはそのほとんどがダンジョンに生きる生物である。

 ただし、例外も極僅かに存在し、時おり外の世界にも出現してニュースになることがある。

 一輝もそんなニュースでドラゴンは見たことがあった。

 軍隊を相手に大立ち回りをし、砲弾を弾き返しながら戦車を噛み砕くシーンなど、不謹慎と言われようともその圧倒的な力に興奮したのを覚えている。

 そのドラゴンが目の前に転がっているのだ。見事なまでにスッパリと首を跳ねられて。


「その通り、ドラゴンである。ちょっとした伝手で今朝手に入ってね。折角の新鮮なドラゴンであるからに、なるべく旨い食しかたをしたいのであーる」

「えっと……つまりは俺に、そのドラゴンを調理しろってことですか?」

「イエスッ! そのとおーり! 私は『暴食』を冠する悪魔であーるが、だからと言って決して味を追求しないわけではないのである。むしろ、他人よりも食する機会が多いからこそ、出来るだけ旨い物が食べたいのであーる」


 一輝はなるほどと納得しつつも、ちらりとドラゴンを見る。

 その圧倒的な存在感は死してなお健在であり、ともすれば直ぐにでも動き出しそうな雰囲気さえ漂っている。


「で、でも俺……ドラゴンなんか調理したことないんですけど……」

「Non,Non,Non! そんな心配はナンセンスなのであーる。カズキが手に入れた『調理』という能力は、その道に関しては他の追随を許さない、まさにスペシャールな能力なのであーる。己を信じてやってみるのである」

「えぇえ……?」

「それに、悲しいことにセバスは居なくなってしまった……ドラゴンを調理できそうな者がいないのであーる」

(セバスを破壊したのはあんただろ!?)


 ドラゴンの調理というまさに前人未踏の頼み事。そんなことを言われても、『はい、わかりました』と素直に頷けるわけがない。

 とは言え、ベルゼブブの機嫌を損なえば、この場で自分が食材にされてしまうのは明白であり、一輝に断る選択肢も権利もなかった。


「し、失敗しても怒らないでくださいね?」

「大丈夫である。失敗すれば、カズキを美味しくいただくのである」

「ヒェ……」


 いたって平然な顔で言い放つベルゼブブ。

 しかし、やるしかないのだ。

 一輝は二度ほど深呼吸をしてから、腹を括ってドラゴンの死骸に向き合う。


「では、調理にかかります……『いただきます』」

「む? なんであるか? その『いただきます』というのは」

「えっと、これは俺たちの国で伝わる、食べる前の挨拶みたいなものです。命をいただく食材に対し、感謝の気持ちを持つものです」

「なるほど、食前の祈りの様なものか。それにしても、食材に感謝……ふーむ」


 なにやら一人で考え込むベルゼブブ。

 一輝はそれ以上ベルゼブブからの問いが無いようだったので、再び調理に取りかかる。


「捌き方は……多分、大丈夫なはず。まずは腹から割いて……」


 横たわるドラゴンの死骸の腹の部分に剣をあて、思いっきり差し込んでみる。

 だが、背中などの体表よりも柔らかいとはいえ、そこはドラゴン。そこいらで売られている量産品の小剣程度では、傷ひとつ付けることが出来なかった。


「堅い……どうしようか……」


 他の部分から解体をしてみるか。そう考えた一輝であったが、ぐるりとドラゴンの周りを一周してみても、腹以上に柔らかそうな部分は無い。強いて言えば、切断された首が一応剣でも切れそうだったが、結局は皮などがあるので不可能だ。


「む? どうしたのであるか?」

「それが……俺の持っている剣ではドラゴンに傷がつけれなくて」

「あぁ、そう言えば『調理』の才能は非力であったな。では、これを使うと良い」


 ベルゼブブが懐から取り出したのは、四本の包丁が収まったホルダーであった。


「ど、何処から取り出したのですか?」

「なに、気にするでない。それよりも、これを装備するのである」

「あ、はい」


 ベルゼブブからホルダーを受け取った一輝は、それを腰に巻いてみる。

 するとホルダーは自動的に一輝のサイズまで縮んで、ピッタリと装備することが出来た。


「凄い……これ、魔導倶ですよね?」

「そうであるが、私にとっては大したものではないのである。まぁドラゴンを調理する必要経費とでも考えてくれたまえ」


 ダンジョンの宝物の中には、魔導倶という不思議なアイテムがある。

 そのどれもが人智を越えた便利アイテムであり、中にはそれひとつで世界のバランスを変えてしまう物もある。

 例えば、始まりのダンジョンと呼ばれる、バチカン市国で発生したダンジョンから採掘された、『絶対障壁』の魔導倶。大量のリソースが必要ではあるが、その障壁は大量破壊兵器でさえ凌ぐことが出来る。

 ただ、その様な超級の魔導倶の採掘は本当に極々稀だが。

 

 現存するダンジョンから出てくる魔導倶と言えば、その大半が装備品の類いだ。剣であったり、アクセサリーであったり。

 それでも、そのどれもが凄まじい能力を有しており、常人を超人へと変える程の力がある。

 故に、価値もそれ相応に高価であり、たかだか一日一杯の水を産み出す杯の魔導倶でさえ数百万の価値があるのだ。(主に研究等に用いられるという付加価値もあるが)


「うわぁ……」


 ホルダーから一本の包丁を抜いた一輝は、その刃の美しさに思わず感嘆の声をあげる。

 青みがかったひらはまるで空を閉じ込めた様な神秘さがあり、キラリと光る刃先は磨きあげた氷の様な美しさと鋭さがあった。

 『調理』の能力を貰った一輝であったが、その実は別に本職の料理人ではない。それでも、この包丁の価値がわからないほどに、無知というわけでもなかった。

 あまりにも凄い魔導倶に、緊張で手が震えそうになる。

 しかし、その手元の狂いは食材を駄目にしてしまう。そんなことは許せないという意地から、なんとか自分で震えを押さえ込み、ドラゴンの腹に包丁を当てる。


「ふっ……!」


 短い呼吸と共に一気に真横に腕を振るい、包丁を滑らせていく。

 すると、先ほどまでは一切の傷を付けることが出来なかった腹の部分に、スーッと赤い線が生まれた。

 その瞬間、一輝の中で何かがカチリとはまる感覚があった。

 だが、別段それで一輝が驚くことはない。『調理』の能力を手に入れてからというもの、何かを調理しようとしたときにこの感覚は現れるのだ。

 後は何も考えなくとも、体が勝手に動いていく。まるで、ドラゴンの捌き方を熟知しているかのように。


 そして、数分後。


「ブラボー! 見事なのである!!」


 まるでマグロの解体ショーの後の様に、様々な部位に綺麗に分けられたドラゴン。

 皮、骨、内臓、肉。そして核と血に分けられたそれは、断面の粗も無く、それぞれが光り輝いていた。


「流石は『調理』の才である。見よ、この美しい肉の断面を!」


 ベルゼブブが感心しつつ、解体の際に出た肉の端切れをつまんで口に放り込む。


「デーーーリシャス!! マーーーヴェラス!! 芳醇な血の香りが鼻腔を突き抜け、その後に舌に絡み付いてくるトロリとしたまろやかさ!! それでいて、決して臭みはなく、筋ばった嫌な食感もなし! これだけでも、至高の旨さである!!」


 興奮したベルゼブブが踊るように喜びを噛み締める。

 そんな様子を、一輝は少し引き気味に見ているのであった。

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