第三層目 美食の悪魔
人ひとり分がようやく歩けるほどの通路を、一輝は慎重に歩いていく。
もしかすればこの先には、自分や早織の未来を明るいものにしてくれる宝物があるかもしれない。そんな事を考えると、自然と脳内ではアドレナリンが大量に分泌され、死地に足を踏み入れているのかもしれないという恐怖すら湧かなくなる。
もはや先ほどまでの、臆病すぎる程に慎重だった一輝はいない。ただただ光のさす方へ、忙しなく足を動かしている。
もしも、その姿を端から見る者があれば、こう思うだろう。
まるで、蝋燭の灯りに飛び込む羽虫のようだ、と。
「はぁ、はぁ、着いた……!」
通路の出口が見えてきた。どうやら出口の先には灯りがあるようだ。
それを見た一輝は、この行き着く先が宝物ポイントだと確信し、思わず口許がにやけてしまう。
宝物ポイントにはいくつかの特徴がある。
まず、人工的な灯りがポイントのある部屋には点されている。誰がその灯りを点しているのかは謎だが、必ずと言っていい程に灯りが存在する。
次に、水場があること。これも謎ではあるが、何故か必ず綺麗な水が存在するのだ。
基本的にダンジョン内でもあちらこちらに水場はある。だが、そのほとんどが飲用には値しない水質であり、探索師達は自前の水分補給手段を持っている。
しかし、宝物ポイントだけは必ず綺麗な水があるのだ。故に、宝物ポイントは通称『オアシス』とも呼ばれる。
一方、必ずではないけれど、高確率で宝物ポイントに居るのが、モンスターである。
その強さはピンからキリまでである。E級の弱いモンスターもいれば、C級のモンスターが宝物の前に陣取っていた何て話もあるくらいだ。
そして、今回も御多分に漏れずに、それは居た。
確かに居たのだが。
「…………人?」
宝物ポイントに到着した一輝の目に飛び込んできたのは、一人の紳士風の男性と数体のスケルトンであった。
スケルトンはこのダンジョンに存在する、ジャイ・アントと同じE級モンスターである。
動きが鈍く、打撃に弱いので比較的安全に狩ることが出来る。反面、耐久力があり、ある程度の破壊程度では直ぐに復活をしてしまうのだ。
それでいて採取できる箇所もなく、倒す旨味としては時たまいい武具を持つスケルトンから、それらを奪取出来るかどうかという感じだ。
そんなスケルトンが数体集まり、男性の背後で恭しく立っている。
当の男性はといえば、豪華なテーブルに一人で座り、なにやら料理を食べていた。
ダンジョンでレストランの様な食事風景。そのあまりにも非現実的な光景に、一輝は直ぐに動くことができなかった。
「ん~~、このデリンジャー・ワームの酒蒸しは、なかなかにおつであーる。セバス、誉めてつかわすぞ!」
男性は大声で背後のスケルトンに語りかけると、スケルトンはまるで畏まった執事の様に礼をもって返事をする。
よくよく見れば、男性の前に用意されている料理の素材には見覚えがある。
デリンジャー・ワーム。このダンジョンには存在せず、メイン・ダンジョンに生息するワーム種のモンスターだ。
特徴としては、その体表の紋様。毒々しい見た目に、無数のトゲが備わっており、危険を察知するとそのトゲを飛ばして攻撃してくる。トゲの威力はすさまじく、5cmの厚さを誇る鉄板すら貫くほどらしい。
その危険性から、C級に位置付けされているモンスターだ。
「うむ、満足だ……して、そこのボウヤ」
「え、あ、はい? 俺?」
「そうだ、君だ。君はどうやってここへ入ってきたのかね? ここは私たち紳士淑女の社交場であるからに、君たちの様な人間風情では入ることが出来ないはずであるが?」
「ッ!?」
男性は静かに、それでいて威圧するかのように一輝に問いかけてくる。
その瞬間、一輝は動くことができなくなってしまった。指の先ひとつまで。
「ふーむ……私はグルメマンではあるが、あまりゲテモノは好まないのだが、ね。まぁ、たまには人間というのも試してみるか。よし、セバスよ。あのボウヤをこちらに。なるべく苦痛をあたえず、直ぐ様血抜きをするのだ」
「!? !?」
瞼さえ微動だにすることが出来ない一輝。
うまく回らない頭でも、男性の放つ言葉が自分にとって好意的なものではないこと位は、直ぐに理解することが出来た。
ゆっくりとした足取りで一輝へ近づくスケルトン。
その右手には、まるで空から三日月を切り取ったかのような曲刀が握られており、鋭く研がれた刃がギラリと光る。
「なに、安心したまえ。私は『憤怒』の様に無慈悲でもなければ、『色欲』の様にやたらめったらいたぶる趣味もない。何より、食材を苦しめることは美学に反するからね。その点、セバスは腕の良い調理人だ。君も満足できるはずさ」
そう言いながら、男性は赤い液体が揺れるグラスを傾ける。
(食材!? ふざけるな! 俺は、俺は!!)
なんとか脱出をしようと気を強く持とうとする一輝。
ダンジョンの中にも、人の精神を一時的に奪って動きを封じ込めるモンスターがいることは有名である。その対処法として、気をしっかりと持つというものがあるのだ。
「ふむ? なにをそんなに頑張っているのであるか? 無駄であるよ。この『暴食』の悪魔、ベルゼブブの眼力の前に、ただの人間が逃れることなど不可能であーる」
(あ、悪魔!? まさか、あの噂の……!?)
かつて世界にダンジョンが生まれた時、人類の前に『悪魔』が現れたという。
彼らはダンジョンの支配者であり、『ゲームマスター』であることを宣言した。
その際にあらゆる国が連携し、彼らに現代兵器による攻撃を仕掛けた。だが、その一発たりとも届くことはなく、人類を嘲笑う様に彼らは姿を消した。
既に半世紀も前の話で、半ば都市伝説とも言われる存在、『悪魔』。
彼が本当にその悪魔であれば、S級……いや、等級では測れないレベルの強さであるということだ。
諦念の感情が一輝を支配する。すると今度は、不思議と体の自由が効くようになり、無意識の内に自分でも思っていなかった言葉がスルリと口に出た。
「あの……俺、料理ができます……」
そんな一輝の一言に、ベルゼブブの目がキラリと光る。
だがその時にはもう既に、一輝の首筋目掛けてセバスの曲刀が振り下ろされていた。
しかし、その刃が届くことはなかった。
「待つのであーる!!」
「……!?」
まさに瞬間移動。
まばたきをする間もなく一輝の目の前に移動したベルゼブブは、バックナックルでセバスの頭を吹き飛ばしていた。
粉々に砕け散るセバスの頭。数秒ほど遅れて、まるで糸の切れた操り人形の様に残った体がその場に崩れる。
いくらスケルトンとはいえ、ただの拳一撃で滅することなど不可能に近い。
それを事もなしにやって見せたベルゼブブの力量に、一輝は唾をゴクリと飲み込む。
「ボウヤ。料理ができるのか? それは、何故だ?」
睨むように、それでいて何か期待をするかのように、一輝に問いかけるベルゼブブ。
一輝は恐怖にガチガチと鳴る奥歯を噛み締めながら、なんとか言葉を発していく。
「お、俺、ダンジョンには、初めて入った時……調理の能力を頂きました」
その瞬間、ベルゼブブの目がカッと開かれ、カイゼルひげがピンッと伸びてからまた元のカールを描く。
「すっっばらしい!! そうか、そういうことなのか! だからただの人間がここに来られたのか! いや、よく来てくれた、ボウヤ。君の名前を聞こうではないか!!!」
「え、あ、か、一輝といいます」
「そうかそうか。エ・ア・カ・カズキか。相変わらず人間とは変な名前であーる」
「違います! 一輝。一輝という名前です」
「おぉ、そうか。カズキだな。覚えたぞ。さてさて……カズキよ。私は君にとある食材を調理して貰いたい」
「調理、ですか?」
「うむ」
ベルゼブブがパチンッと指を鳴らすと、残っていたスケルトン達がなにやら奥の方から台車で運んできた。
その台車に乗せられていた物を見て、一輝は目を真ん丸にする。
「ドラゴン……!」
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