第二層目 未踏の発見


 ジャイ・アントの剥ぎ取りを終えた一輝は、とぼとぼと入り口に向けて歩き始める。

 落ち込んでいても、流石に周囲の警戒だけは怠ってはいないが。


「はぁぁ……」


 何度目のため息か。もはやその表情には、ダンジョンに潜る前のやる気に満ち溢れた生気は無い。


 現在、一輝が潜っているダンジョンは、かつて墨田区があった場所に現れたサブダンジョンのひとつだ。

 ダンジョンには大きく分けて二種類ある。

 ひとつが、一つの大都市を巻き込んで現れた『メイン・ダンジョン』。

 そして、その周囲に群生するように現れた『サブ・ダンジョン』だ。


 メイン・ダンジョンは広大な面積を誇り、階層も多いことから危険度が高い。だが、その分ダンジョン内で採れる素材なども豊富であり、道中で見つかる宝物も価値の高い物が多い。

 それに比べてサブ・ダンジョンは比較的浅い階層で終わる事が多く、宝物も少ない。内部で生息するモンスターも最下級のE級から、一段階上がったD級までのモンスターが主である。

 それでも、先ほど一輝が襲われたE級のジャイ・アントでさえ、一般男性が素手で戦えば敗北は必至である。鉄パイプ等の簡易な武器を持っても難しいだろう。

 しかし、ダンジョンによって『覚醒』を得た者は、その能力に応じて身体能力が飛躍的に上昇するのである。なので、見た目では華奢な少女の恵などが、背丈ほどの杖を振り回したり、魔術でモンスターを圧倒できるのだ。


 だが、『調理』の能力しか得られなかった一輝は、その恩恵をほとんど受けることが出来ないでいた。

 唯一感じられたのが、素材の目利きと味覚と嗅覚の飛躍的な上昇である。

 能力を得るまでは普通の舌の持ち主だった一輝も、能力を得てからは一流の調理人レベルまで味覚が上昇したのだ。

 そういう事もあって、俊哉は『ダンジョン以外の生き方』を勧めていたのだ。

 しかし、一輝には目的がある。どうしても、ダンジョンに潜らなければいけない目的が。


(でも、諦めるもんか……! 早織、待っててくれ。お兄ちゃんが必ず助けてやるから)


 生まれつき心臓に大きな病を抱える妹、早織。

 その心臓がいよいよもたんとする時が、刻一刻と迫ってきていた。




 一輝の家は、もともとは平凡な家庭であった。

 会社勤めの父と、優しくも時には厳しい母。そして、体の弱い最愛の妹。

 妹の世話は大変ではあったが、一輝にとってはまったくの苦ではなく、むしろ妹の世話を喜んで手伝うほどに、仲の良い兄妹であった。

 しかし、ある日。その幸せな暮らしは終わりを迎える。


 日常が音をたてて壊れるのに、劇的な物語は必要が無い。

 事故だった。いたって単純な、交通事故。

 ハンドルを誤った対向車線の車が正面から衝突し、一輝の両親は帰らぬ人となったのだ。


 まだ当時学生だった一輝と早織は、親戚の家に預けられることになった。

 しかし、心臓に病を抱える早織の負担は大きく、どの親戚も二人を預かろうとはしなかった。

 たらい回しにされる二人。だが、その間にも早織の心臓を病が蝕んでいく。


 両親の死。

 信頼が出来ない親戚。


 度重なる心労が、早織の病状を悪化させたのだ。 

 そして、そんな妹を見て一輝は決断をする。


 中退をしてでも、探索師として生きていく、と。


 高校を中退した一輝は、数年前に探索師となった幼馴染みの俊哉に頼み、ダンジョンへと連れていってもらう。

 もしも『覚醒』が得られたなら、探索師としてダンジョンに潜り、妹の心臓治療に必要な金を稼ぐ。

 そうでなければ、死ぬ気で他の仕事をしよう。


 ある種の賭けに出た一輝は、三割の壁は突破することができた。

 ただ、そこからの壁は無情にも越えられなかった。


 事情を知っていた俊哉は、なんとか一輝を自分達のパーティーへ入れられないものかと考えた。

 だが、ダンジョンとは情でなんとかなるものではない。

 例えサブ・ダンジョンだとしても、一瞬の油断が死を招くほどに危険なのだ。

 そんな場所に、荷物を抱えて潜ることなど出来ない。

 俊哉は泣く泣く、一輝をパーティーへ入れることを諦めたのだった。



「とりあえず、今日はジャイ・アントの甲殻と触覚、それと核が手に入った……手に入れ方はアレだけど、なんとか今月分の入院代は大丈夫そうだ」


 一輝の背負子には、先ほど剥ぎ取った素材が綺麗にしまわれていた。

 少しでも高く買い取って貰えるよう、運搬の際には特に注意を払っているのだ。ちなみに、一輝は軽々と持ってはいるが、それでも背負子内の重量は30キロを越える。

 最底辺の能力と言えど、何も無い一般人に比べれば、力持ちに分類される。

 なお、恵はこの十倍は背負う事が出来る。能力による差はそこまで大きいのだ。


「さてと、もうそろそろ入り口に到着…………ん?」


 見慣れた風景になってきて、少し余裕が出てきた一輝は、ふと辺りを見回してみる。

 入り口付近はいつも一輝が採集をしている場所であり、恐らくこのサブ・ダンジョンに通う誰よりも詳しい。普通は入り口付近など通過地点なので、それはそれでおかしな話なのだが。

 そんないつもの場所に、なにやら言葉に出来ない違和感を覚える。


「なんだろう……妙に、ここから見たこの壁が…………うおぉ!?」


 怪しいと感じた壁を調べていると、少し寄りかかった拍子に壁がずるりと奥へ入り込み、そのままゴゴゴと鈍い音をたてながら、通路を形成した。


「なん、だ、ここ……こんな場所、地図には無いよな?」


 手元にあるダンジョンの地図と見比べても、こんな横穴通路が存在する記述はない。

 ダンジョンは時々内部の構造が変わるときがある。だが、それは大体がダンジョンの奥地であり、拡張される時に起こるものだ。決して、この様な浅い階層で起こる現象ではない。

 しかし、過去に購入した地図と見比べてもやはりこの通路はなく、そこで行き着いた結論に一輝は武者震いをする。


「未踏の、地……!」


 ダンジョンでは宝物が産出されることがある。

 しかし、それらが産まれるのにはかなりの時間が必要である。しかも、一度宝物を採られた場所には二度と宝物が出ることがなく、人が入った事のない未踏の場所は一攫千金のチャンスなのだ。


「で、でも……宝物ポイントってモンスターがいる可能性があるんだよな……俺に、勝てるだろうか……いや、ここはあくまでも入り口の辺り。出てきてもジャイ・アントくらいだ。死ぬ気で頑張れば、なんとかなるかもしれない!」


 一輝はわざわざ言葉に出して、自分の気持ちを奮い立たせる。

 そして、腰につけていたボロボロのマジックバッグから予備の小剣を取り出すと、松明を準備して横穴を進み始める。


 出来ればモンスターがいませんように。


 そんなことを祈りながら、一輝は注意深く前方を松明で照らし、慎重に進んでいく。


 だが、この時前方に注意を払いすぎていた。

 もしも一度後ろを振り向けば、それに気がついたのかもしれない。


 通路を進んでいく一輝の背後で、一切の音もたてずにゆっくりと通路が塞がっていっていたことを。

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