第34話 3rd Communication

 近未来的な筐体の放つ、艶やかなレーザー光線が、キラキラと笑みをこぼす少女に降り注ぐ。目の前の少女の押しやった前髪には、パンダのヘアピンが、ギャップ萌えの相対効果を得ていた。


「私も負けては、いられませんからね」


 ぐうの音も出ない。一曲目の終わり、どこか勝てるのではないかと、自負があっただけに、この一言は重い。


 折角、ここまで、頑張ってきたのに……。




「水嶋先輩なら勝てますよ!」

「そうだよ、ハル。まだ、負けたわけじゃないよ。なぁ、美夏。まだ秘策はあるんでしょ?」


 灯里もクルミも揺るぎない信念で、落ち込む少年を鼓舞し、水嶋が勝つと疑わない姿勢を見せた。


「ハァー。困りましたね。これじゃ、余りにも私が悪役みたいじゃないですか」


 カナは、わざとらしく舌をぺろりと出して笑う。あどけない少女の意外な一面を見て、改めて可愛いと思ってしまった。こんな自分が情け無い……。



 美夏は威嚇するような目つきで、難敵を見据えている。


 —俺だけじゃない。みんなが俺のために尽くしてくれた。だから、そう易々と負けられない。


 再び奮い立つ感情。泣いても笑っても、これが最後の勝負に変わりはない。負けている現状を、簡単に打開する術はなく、この難曲に一縷の望み、全てを賭けるしかなかった。


 水嶋は意を決して、勇猛果敢な目線を赤茶けた髪の少女に向ける。普段は乾いた笑いを好む少女が、苦しむように頷いた。



「最後はフラワーだ」


 最後の曲に関しては、リズム難のリフレイン。癖のあるビートの繰り返しが、集中力を奪い攻略を阻む。

 でも、それは相手にとっても同じこと。そして、水嶋以上に隣で指のストレッチをしている少女は、この曲を嫌っている。


 ……それは癖。


 昔、他の音ゲーの時に身につけてしまった、誤ったリズム感覚。

 どんな天才でも克服が難しいのは癖だ。長年、積み重なって出来てしまった癖を抜け出すのは、簡単な事ではない。その一点にのみ、可能性がある。—と美夏は語ってくれた。


 もちろん、克服している可能性も皆無とはいえない。でも、今、その心配は重要ではない。勝てる可能性がある。その事実だけで充分だ。




 ……音が静かに鳴り出した。



 激しいパーカッションが印象的なイントロと、物悲しいシーケンサーの音色とで始まる冒頭。水嶋は丁寧にボタンを押していく。一挙手一投足が命取りになる。


 その後に、エレキギターと速弾きのピアノが混じると、いかにも音ゲーらしい、スピーディーでエキサイティングな曲が姿を見せる。その勢いたっぷりな旋律と、複雑怪奇ながらも中毒性のある独特のリズムが絡み合う。


 感嘆な声を上げるオーディエンス。水嶋は場の空気に飲まれないように、四掛け四のマス状に構成された、十六個の光り輝くボタンを一心不乱に叩いた。視線をブラさず、一点を見据え、自分のベストを尽くすことだけを念頭に置いた。


 —クソッ!あれだけ練習したのに……。


 曲は水嶋を苦しめる。無鉄砲とすら言いたくなる疾走感あふれる曲調に、指を必死に動かして応戦する。何度も繰り返されるリフレインが、枯れることなく、いつまでも美しく咲き乱れる花弁を思わせた。


「こっからだ。集中を切るじゃねぇーぞ」


 中盤はダンスミュージックのように乗りのあるキックがリズムを刻む。

 ハイハットの甲高い音と、バスドラの心臓に轟く低音。二つの打撃音が、裏拍を交えたジャズに近い独特のリズムをたたき出す。



 一難去って、また一難。というより次が最難関。最終関門の戦いの火蓋が落ちる。


 ギュイーーーン!


 ギターのチョーキングをイメージさせた電子音が、最終ラウンド突入を告げた。



 水嶋は湿り気のある手の平を、ズボンに擦り付け、ゴクリと生唾を飲んだ。ひときわ大きな歓声が包む。


「点数はドローだ。まだイケるぞ!」

「先輩がんばって」

「ハル、頑張れ」


 みんなの期待を背負うことが、重荷に感じることもある。でも、今は暖かく感じる。奥底に眠る集中力まで、呼び覚ましてくれるかのようだ。


 最後は意地と意地の張り合いというような展開だった。力強く押される互いのボタンの音が、壮絶さを物語る。


 ダムが放流したように押し寄せるノーツを、両手で乱打。今までの努力の証、何度も剥けて硬くなった指先で、最後の最後まで、必死に食らいつく。



 全てを出し尽くした水嶋に後悔の色はない。


 潔くスコアを眺める。


「おい。はる。やったぜ」

 水嶋もカナの筐体を覗き込む。


 —勝ったのか!


 嬉しさが心の奥底から湧き上がる。

 ガッツポーズを取りたかった。

「やったーーー!」って叫びたかった。


 でも、できなかった……。



 目の前の初恋の少女は涙を浮かべ、暗雲立ち込めた表情で、呆然と立ち尽くしている。

 ぎゅっと握り拳を作る彼女の顔は、今までに見たことのない表情だった。


「かな、さん?」


 落ち着いていて。

 少し抜けていて。

 いつも、笑っていて……。


 そんな彼女には似つかわしくない姿だった。

 

 目の前の少女は明らかに泣いていた。大粒の涙をポタポタ落とし、泣いていた。


「かな……さん?」

 もう一度呼びかけるも、反応はない。


 水嶋が肩に手をかけようとした、その時だった。カナが走り出した。駆けた。それは逃げ、逃亡のようにも見えた。



「はぁ……。あいつは昔っから何にも変わってねぇーな」

「そうだね、僕も最初は驚いけど……。ホント、何も変わらないね」


 冷静に話す二人をよそ目に、水嶋も灯里も目の前で何が起こっているのか、理解できなかった。


 騒然とする店内。



 美夏が戸惑う少年の背中を叩く。

「行ってこい。はるの足なら追いつけるだろ。ほら、いけ!」


 エスカレーターを駆け下り、UFOキャッチャーを機敏に避けて進む。出入り口の電動ドアが開くと、湿り気のある空気が、店内にドッと押し寄せた。


 水嶋の足が止まる。


 外は雨。夕立にしては弱いくらいの絹糸のような雨が降っていた。非常に軽い細雨でも、水嶋の足を止めるには充分だった。


 カナの背中が遠ざかる。


 —本当は、カナさんは俺と付き合いたくないのでは、ないのだろうか?


 雨に打たれ、沸騰していた頭が冷え、冷静な分析が始まると、水嶋は完全に足がすくんで、動けなくなった。


 取り乱した少女を前にして、自分は何を話せばいいのか。こんな時、気の利いた男なら、なんて声をかけるのが正解なのか。自分が行ったところで何ができるのか。自分の行動が逆にカナさんを傷つけるのではないか。


 ……嫌われたのでは、ないだろうか?



 数歩ほど前に進む。

 生ぬるい雨が顔を伝う。

 自分は、自分が、自分のを繰り返す思考。


 立ち尽くし、これ以上進めなくなった水嶋に、赤茶けた神の少女が静かに傘を添えた。耳障りな雨音だけが世界に響いていた。

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