最終話 空色の日々

 次の日、水嶋は何も出来ずに、ゲーセンに来ていた。


 授業のチャイムの音と共に、水嶋は逃げだしていた。誰かに捕まることがないようにと、何かに怯える様に、学校を後にした。


 保健室によることもなく、図書室によることもなく、勿論、視聴覚に顔を出すこともなく……。


 昨日は、どうしたら良かったのか、未だ正解を見つける事が出来ない。咎められるのが怖い。自らが解答を出すことを恐れた。



 筐体が吐き出す音とレバー音。

 いつもより、ボタンの連打がぎこちない。


 ――ガラルギア。久しぶりだな。


 画面の中の扇子を持つ筋骨隆々の男は、青い蝶を出しながら、コンボを繰り出す。

 相手も負けじと応戦。画面の中の海賊衣装を身に纏った少女が、バーストを華麗に決めると、相手は立て続けにイルカを出す。技が綺麗にハマっていく。最後はデッカイ鯨を出す必殺技で、水嶋のキャラが吹っ飛ばされた。


『Lose』

 —嘘だろ!


 さすがに腕が落ちたとはいえ、考えられない。こんな強い奴、ここら辺で見たことが無かった。


はる。腕、落ちたんじゃねぇーのか」

「ッるセイ」


 ぶっきらぼうな口調に対し、条件反射の様に声を上げる。筐体の横からヒョッコリと顔を出す、赤茶けた髪の少女。


 —コイツ、格ゲーの才能もあるのかよ!


「陽、今日のオマエは全然だな」


 普段ならムスッとさせる一言だが……今は、この淡白な言葉が、なぜか心地よい。

 美夏が水嶋の手を握る。ブラウス越しの黒いロックなTシャツ。男みたいななりをしているが、彼女は可憐な少女だ。


「なんだよ」とは言いつつも、水嶋の抵抗する力は弱々しい。若干の照れがあることを、自らが感じ取った。


「夏休みが終わったら、みんなでバンマニやる約束だろ。ほら、行こうぜ」


 ニカっと笑う少女の言葉に身を任せ、水嶋は格ゲーコーナーを後にした。




「あぁ、やっとキタキタ。僕はドラムだからね」

「遅いですよ。私はキーボードで、お願いしますね」


 灯里は、すでにキーボードの前に座り、スタンバイが出来ている。


「おぅ、わりーわりー。んじゃ、陽はギターで、俺はベースな」


 自由奔放な少女達に付け入る隙はなく、水嶋は言われるがままに、準備を行った。



「んじゃ、用意は良いかな。最初は僕の好きな、スカイブルーで」

「おぃ、勝手に決めんな!」



 美夏の意思とは反対に曲が流れ出す。

 爽やかなハードロック。


 歪んだギターのコード引きが、水嶋の心を解放していく。カチャカチャとなるギター型のコントローラー。安っぽいプラスチックの音が、真夏の合宿のひと時を、思い出させる。


 ドラムの安定したエイトビートが、今すぐにでも飛び立ちそうな、疾走感のあるメロディーを引き止め、ベースのスラッピングが、曲を軽やかに弾ませる。


 女性シンガーの歌声と共に、灯里の綺麗な指先から奏でる色彩を纏った音色が、曲に彩りを添えていく。


 無邪気に笑うキーボードの少女。つられるようにして笑みが溢れる水嶋。見渡せば、ドラムもベースも笑っていた。


 あの時、走り出した想いが、水嶋の胸をノックする。昨日までの自分と、その更に前を行く今日の自分が、水嶋という人間を築き上げていく。


 — カナさんに何を言われてもいい。今日の俺は、思いの丈を告げよう。


 ……曲が終わる。


 どうしたらいいかではなく、どうしたいか。それは自分だけが知っている。


 —答えはいつも、この胸の中にある。


 水嶋は、とても晴れやかだ。




 そんな気持ちを察してか否か。他の音ゲーの筐体に隠れてるようにして、モジモジとカナが顔を出す。


「わ、私も仲間に、その、入れてはくれませんか?」


「あー、柴田先輩。もう、大丈夫なんですか?もう少し引っ込んでてもらっても、いいんですよ。立ち直るの早いですねー。」


 これ見よがしに、灯里が責め立てる。


「まぁ、その辺にしてやってくれ。コイツは昔っからなんだよ」

「そうそう、僕はよくコントローラー、投げつけられたしね」


 カナは恥ずかしそうに俯いていた。


「まぁ、決めるのは、勝ったはるの自由だけどな」

 そう言うと、美夏は昨日と同じように、水嶋の背中を押した。


 パスんとした小突きも、呆気を取られた少年には大きなエネルギーへと変わる。体はヨロヨロと前に出る。寸前のところで踏ん張る。

 数歩先には俯く少女。重めの前髪と黒縁の眼鏡で表情は、あまりハッキリとはしないが、気不味そうに佇んでいた。


 握れば折れそうな、白い陶器のような華奢な腕を、体に仕舞い込むようにして、縮こまっている。宙空を彷徨う弱々しいカナの手を、水嶋の手が捕らえた。


 顔を上げるカナ……。

 目と目が絡まり合う。


「……俺は、あの時から、カナさんを一眼見た時から……憧れてたんだ。カナさんと一緒に……これからも一緒に、音ゲーをやりたい」


 重い前髪を押しやり、パチリとパンダのヘアピンで髪を止める。少女は安堵し、表情はゆっくりと笑顔に変わっていく。


「うん、これからも。一緒に……!」



「じゃあ、カナはドラムな!」

美夏が間髪いれずに割って入る。


「私は足を使うの苦手なんです……知ってるじゃないですか。アカリさん、部長命令です。キーボード代わって下さい。」


「いやですよ。私もキーボードしか出来ないんですから」

「貴方の愛しい陽君が、私と音ゲーをやりたいって言ってるんです。貸して下さい」


「絶対に嫌です。だったら、ベースと代わればいいじゃないですか」

「それは駄目だ。陽は俺とバンマニやりたいって、夏休み中、ずっと言ってたんだから」


「そうなんですか?今、私と一緒に音ゲーをやりたいと……さっき言ってくれたのは嘘だったんですか!」


 カナの怒声に水嶋はタジタジだ。


「ハル。こんな我儘女に飽きたら、僕の元に来てもいいんだよ。この前の、ウチを教えるって約束もあるし、ダンスクで一緒に汗を流そう。お姉さんが手取り足取り、教えてあげるよ。」


 クルミがわしわしと淫靡に指を動かし、見せつけられた水嶋は、ゴクリと喉を鳴らす。


「もう、陽君って人は〜!」


 更に怒り心頭するカナ。動揺を隠せない水嶋。そんな二人を横目に、珍しく制服姿の美夏が、ご機嫌な声を上げる。


「分かった、分かったから続きすっぞ!」


「じゃっ、スカイブルーで」

「クルミ、テメェ。なんで同じ曲なんだよ」

「いいじゃん、僕、この曲、好きなんだよ」


 水嶋の想いを代弁するかの様に、曲が流れた。クールな女性シンガーの歌声は、これまでの苦難を讃えているようにも思えた。


 数え切れないほどの後悔をしてきた。

 憧れに押しつぶされたこともあった。


 —それでも、憧れの背中を追いかけて、ここまで来たんだ。


 走り出した想いは今でも、水嶋の胸を叩いている。「これで良かったんだよ」と、誰かが、そう言っているように聞こえた。


 キーボードを奪い取ったばかりのカナさんと目が合う。その意味はよくわからないが、気分が高揚した。それが音楽の力なのか、はたまた……。


 ドタバタと始まった水嶋の二学期を、四人の少女が彩りを添える。本日は晴天。曲と同調する様な淡い青の空。

 夏の終わりとは思えないほどの、明るい日差しは、店内には届かない。それでも、水嶋の周りには、明るい笑顔が溢れていた。

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