第22話 美しき夏

 車両と車両を繋ぐ連結部に程近い、グリーン車間の通路口。何処からともなく入ってきた夏の陽気が冷気と混ざり合う。水嶋は口に手を当て、慎ましげに声を発した。


「もしもし」

「おせーよ、すぐ出ろよ」


 ぶっきらぼうな喋り口。直ぐに誰だか判断がつく。


「今、電車なんだ切るぞ」

「待て待て待て、今何処だ」

「熱海、熱海駅だよ」

「何両目に乗った。」

「前の方だかけど、よく分からなぇーよ。もうすぐ、電車動くから、またな」


 ブツリと通話を切った。

 どうせ、夜の格ゲーの話か何かだろう。ーーそう思った。大した話では無い事は、ほぼ確実。それより、目の前の方が重大案件だ。


 前方から柴田部長がよろよろと歩いてくる。


「動くみたいですよ。大丈夫ですか?」

「大丈夫、少し電車に酔っただけだから」

「本ばかり読んでるからですよ。せめてスマホで音ゲーのアプリとかどうですか?」

「それも酔いそうですけど……。それに昨日うっかり充電をし忘れてしまって」


 電車がガタリと揺れる。

 倒れ落ちそうな彼女を抱きかかえる様にして支えた。


「あのー、すいません」

「い、いえ、ありがとうございます」

「お、俺、酔い止め持って来ますよ。バックに入ってますから。充電器も持ってます。持って来てますから」

「ありがと…」


 初めてかも知れない。水嶋は彼女の目を見つめていた。いつも、重い前髪で閉ざされていた瞳が露わになっている。吸い込まれそうな程に透き通った瞳だった。煌めく夜空を凝縮したような漆黒の瞳が、うつらとしながらも瞬きもせずにに水嶋を覗き込んでいる。


『当車両は切り離しの安全確認を終えましたら、後方車両、修繕寺行きの出発の後に……。』


 空気を割くように響く車内アナウンス。ふと我に帰る二人。そして。何かに急かされるように手を離す。

 暫くして、クリーム色に緑のラインをあしらった踊り子は、伊豆の雄大な自然へと駆け出した。




 踊り子、伊豆急下田行きに、揺られること一時間弱。着くは無人駅、今井浜海岸駅。


 目の前に広がるは開放的な海。

 その情緒あふれる潮風を味わいながら歩くこと十分。ノスタルジックなパン屋が見えてくる。


「こんにちは」と店のガラス戸を開け、部長が遠慮深く挨拶をする。したらば。奥から赤茶けた髪の老婆が現れた。

「ミカ、友達が来たわよ。あら、いないわね。さっきまで居たんだけどね。コレ、母屋の鍵だから、上がってゆっくり休んでて」

「ありがとうございます」


 柴田は深々と頭ん下げ鍵を受け取ると、パン屋の裏手からから山側へと向かう石段を上がる。皆もその後に続いた。


 海を一望する景色とだだっ広い庭。家庭菜園にしては広大な農園に、トマトやきゅうりが収穫されるのを待っている。向日葵を横目に現るたるは、母屋と思われる大きな平家。


「みか〜」「みかー」

 部長とクルミが友人の名前を呼ぶ。

 さながら猫探しの様な光景だった。


 部長が母屋の板戸に手をかける。

「空いてる」

 キリキリと戸を開ける。


 白いワンピースの少女がふわっと登場。華奢な小麦色の身体に、麦わら帽子をチョコリと乗せて、まるで夏を象徴するかのようだった。


「皆様、ようこそ、おいで下さいました。ご、ご機嫌麗しゅう御座います。」

 少女はミニのワンピをヒラリと揺れし、愛らしく身じろぎをする。この子がミカで間違いないらしいが……。


 水嶋は違和感を拭えない。徐に少女に近づき、麦わら帽子を外して見る。

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