第20話 早朝ランニング

「ほら、お兄ちゃん、起きて!ぷー太郎が散歩に行きたがってるよ」

「えー今日は日曜だよ。ニナが散歩に連れてってよ」

「ダーメ!私はこれから、バスケの練習あるんだから、私はもう行くよ」

「いってらぁっふぁい」


 朝は犬の散歩で汗を流し、学校が終わればダンスクで汗を流す。


 怠惰の限りを尽くすと心に誓ってスタートした中二の一学期は早くも崩れ去り、夏休みを前にして運動部に匹敵する程の運動量と、充実した毎日が続いていた。


 普段は碌に動きもせず、食っては惰眠を貪る愛犬ぷー太郎も、この時ばかりは「ワンワン」と主人を急き立てる。水嶋は引きづられるようにして近所の公園を目指す。



「ハル、おはよう!」

「おお!クルミ。おはようございます」


 走りながら、クルミはと水嶋を睨む。


「おはよう」


 クルミはそれで良いとニパッと笑う。朝日が彼女の汗を輝かせる。ゆったりとしたジョギングウェアからでも分かる、彼女のボディーライン。


「どうした?と見て」

「いや、早起きも悪くないなと思って」

「どういうこと?」

「特に意味はないよ」


 二人は公園のベンチに座る。

 ぷー太郎も満足気に地面に腰を下ろした。


「今日もゲーセン行くの?」

「考え中です。そろそろ、財布と相談しないとキツくって。クルミは?」

「日曜は人が多いから、僕は人混みが苦手でね。それに病院にも行かないとだしね」


 結局、未だにSSを出すことは出来ていない。正直言って、最初は出来るだろうと鷹を括っていただけに、その反動は大きく、気持ちだけが焦っていた。


「金欠かぁ。ウチ来る?ダンスクなら専用コントローラーあるから、家庭用ゲーム機でも出来るよ」

「い、いや。そんな女子の家にお邪魔するとか、気持ちの整理と言うか、その急に」

「そんな事気にするなって、ミカエル倒すんだろ」



「本当に俺が勝てるのでしょうか?」



 俺は少し自信を失っていたんだと思う。ポツリと溢れた言葉から理解できた。簡単な曲さえコンプリート出来なくて、自分は、いつになれば目標に到達できるのか。先が見通せなくなっていた。




 抱擁



「へっ。な、何を」

「諦めたら、そこで試合は終了だぞ」


 ぎゅっと体を押し付けられ、水嶋の両手は中空を彷徨う。クルミの温もりが伝わる。


「バ、バスケ、好きなんですか」


 俺は何とか言葉を発する。


「うん、でも僕はバスケ諦めちゃったから、ハルには諦めて欲しくないんだ。今はできなくても、頑張ってほしい」

「頑張る……ですか」


 正直、自分は頑張ってるつもりだ。それでいて、この結果なんだ。両手をきつく握り締める。


「僕はね。君に出会えて、ダンスクだけは頑張ってて良かったと思えた。こんな欠陥品な僕だけど、誰かに何かを教えられた。この何年かの中学生活は無駄ではなかったって、そう思えたんだ」


 水嶋は握りしめた拳を解き、彷徨っていた両手は、クルミの体を包み込む。首筋からは女子特有の爽やかな汗の匂い。


「頑張ってみます。出来るかどうかは分からないけど。でも、クルミ……。これは、ちょっと、やりすぎ」

「いいだろ。運動部ってやつは、こうやって、エールを送るんだぞ」


「そうですけど……」

「対応力とは自分に負けない事だよ。間違っても立て直す、君には其れが出来るはずだ。」


 朝の日差しが雲を割って降り注ぐ、そんな神秘的な光景が、水嶋の目の前に広がる。世界が目覚めるような、そんな光景だった。



「ワン、ワン、ワン、ワン、キャン」

 急に。ぷー太郎が騒ぎ出す。


 ハッと抱擁を解く。恥ずかしさで顔を見る事が出来ない。眩い陽光に目を細めながら、何とか見開く。光溢れる煌びやかな笑顔がそこにはあった。一直線に見つめていた。

 彼女は赤面していて、自分の顔が熱くなっていくのが感覚的に分かった。


「今度、うちの場所、教えてあげる。特別だぞ。」

 クルミは、そう言うと軽やかに走り去って行った。


 先程まで騒いでいたウチの駄犬はというと、可愛いチワワを見つけ、はしゃいでいる。ホント、誰に似たのやら。

 

 溜息の出るような鮮やかな朝の寸劇は、水嶋にクルミの温もりと、爽やかな汗の匂いを残して閉幕した。

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