ようこそ、ダンスクの世界へ

第16話 教えてを教えて

 水嶋は今週から保健室通いが始まっていた。柏倉にテクを教えてもらう変わりに、勉強を教えている。そんな交換条件が続いて、分かってきた事がある。

 

 柏倉の名前は灯里あかりというのだそうだ。笑顔が素敵な彼女に合った良い名前だと思う。


 ただそんな事、今はどうでもいい。

 もっと重要な事実がある。


 薄々は感じていたが、灯里はかなり頭が悪かった。それは水嶋の予想を遥かに超えていた。それは、水嶋が灯里にやらせた小テストを見て驚愕するほどだった。


 別に音ゲーの練習ができるので、個人的には関係ない話だが、もうすぐ期末テストの時期だ。どうせなら、それなりの点数は取らせてやりたい。


 水嶋は小テストに目を落とす。もう自分では、どうにもできないと悟り、柴田を頼りにしようと考えていた。その矢先だった。


「すいません。今日も用事が片付きませんので、私は先に失礼します」

軽く断られた。


 あの日から、部長は妙に冷たいような気がする。


 水嶋は渋々、図書館に足を運んだ。

 数学、中一、方程式、方程式、方程式。

 書架が林の様に立ち並ぶ本棚から、一年前は必ず目を通したであろう教科書を探し出すことに成功した。


「すいません。用事が片付きませんので」

 柴田の冷たい言葉が頭を反芻する中、水嶋は一人、図書館の椅子に腰を落ち着け、先程探し出した教科書に目を通す。


 えーっと、xに代入して、左辺がこうなるから、右辺がこうなるのは分かるけど、どうやって教えれば良いんだ。


 解を明瞭に解き明かすことは容易だ。ただコレを理解させるための詳細な記載はない。そして、水嶋自身も当たり前だが、解へと導く能力を持ち合わせていない。


 頼みの綱からは冷たくあしらわれたばかり、思いを馳せれば、また頭の中を、あの冷たい言葉が反芻する。


「だいたい、授業もろくに受けない奴だぞ」


「あのー」


「はぁー。どう指導すれば良いのやら」

「もしもーし」



「俺は教師じゃ無いんだぞ!」



「わぁ!ビックリしたぁ。何か、お困りですか?」

「あっ、い、いぇ」


 水嶋は辺りの見渡す。静かな目線が、無意識に立ち上がっていた自分に、集まっている事に気付いた。いつの間にか溢れた灯里に対する愚痴。恥ずかしさに顔を伏せた。


「図書館では、お静かにお願いしますね」

「そう、ですよね。こちらこそ、本当にすいません。」


 水嶋は目の前の可憐な女子生徒に深々と頭を下げた。


「その教科書は……君は一年生?」

「いえ、ニ年生です。これは、後輩指導と言いますか」


「へぇ、意外。感心ね。下級生に教えているんだ。僕は天草あまくさ 久留美くるみ。困ったことがあったら何でも言ってよ。こう見えて、三年生だから、それなりに勉強は、できるつもりだよ」

「えっと、俺は水嶋です。実は……」


 藁にもすがる思いだった。

 水嶋は灯里に「すまない」と思いながらも、灯里の小テストのプリントを差し出した。


「なるほど、なるほど。アカリちゃんって言うんだ。へぇ〜。こりゃ酷いね」


 彼女はレ点の連ねるプリントに怯む事なく、近くの書棚に向かい身を屈める。大きな胸が組んだ腕に乗っていた。

 彼女は内巻きストレートの丸みを帯びたショートヘアーの髪をかき上げる。


 彼女は下の方にある一冊の本を抜き取り、水嶋に見せた。


「はいコレをどうぞ」

「これは、小学生の教科書ですか?」

「ご名答。僕の友達にも困ったちゃんがいてね。教えるのに苦労したのよ」


 彼女はざっくばらんな口調にも関わらず、懇切丁寧に、的を得た解答を提示してくれた。



 気がつけば日は傾き、書棚や人の影は縦に伸びている。夕陽が彼女の髪を赤く染め上げ、家路を急ぐカラスの鳴き声が、図書室に木霊していた。


「ありがとうごさいました。助かりました。出来れば、明日も教えてもらいたいのですが、良いでしょうか?」

「ごめんねぇ。明日は図書委員は無くてさ。来週、また来てよ。」


 良くも悪くもない返答に、水嶋は安堵した。

 そんな水嶋の表情を見て、彼女は俄かに笑った、ような気がした。

 





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