第15話 勉強もしよう

 今日はやけに部長の到着が早い。

 管楽器のチューニングの音色が、隣の音楽室

から聞こえる昼下がりの午後。


「すいません。急用ができてしまいまして。今日は水嶋君がタブレットを取りに行って下さい」

「いやいや、さすがに俺には無理ですよ」


「大丈夫。彼女は言う程にやり込んでいませんから、今の水嶋君なら、私じゃなくても充分です。」



 水嶋は部長の期待を重荷に感じながら廊下を歩き、保健室のドアをゆっくりと開けた。


 白一色の部屋にポツンと取り残されたように佇む一人の少女。あの時と同じように、黄色のシュシュでツインテールに纏めている。


 開け離れた窓からは夏めく刺激的な日差しと、部活動に励む若人の活気ある声が差し込む。


「今日はあの人、来ないの?」

「忙しいんだって、だから今日は俺が代役。あくっちゃんは?」

「もう、帰ったわよ」


 マジか!


「そんなことより、バカにするのも良い加減にして。私だって、この数ヶ月、やり込んで来たんだから、昨日今日はじめた素人なんかに」


「待て待て。さすがに俺も勝てるとは思ってねぇーよ」

「じゃあ、何で来たのよ」


「部長に言われて、といえばそれだけだけど、ハマったんだろうな。テクに。」

「おもしろい?」

「あぁ、面白いよ。好きな曲も多いし」


「ホントに?」

「うん。本当に」


「……じゃあさ。じゃあさ、この曲。この曲、やってみて。私のオススメだから」


 満面の笑みが花開く。ヒマワリのように明るく、元気で無垢な少女の笑顔が、暦より早い夏風に揺れる。


 タブレットに映し出される曲のジャケット。ホームズのような探偵服に身を包む小さな少女の映像からは、まだ曲調が伺えない。彼女が一番だと言いはる特別な曲とは……。



 イントロ。綺麗なピアノの旋律から始まる。ピアノの音色に合わせて、水嶋は赤紫のノーツを弾いていく。


 その後、主旋律にバイオリンが加わり、黄緑のノーツが登場。

 赤紫のノーツが正確な四拍子のリズムを刻みながら、黄緑のノーツを優雅にスライドさせ、音を紡いでいく。


「凄い!初見でココまで出来るの」

 柏倉の体が近づく。

 背中に感じる温かい人肌に、ドキリと集中力を欠くも、自然と指はノーツを的確に射抜いていく。


 中盤はかなりのノーツの量が水嶋を襲う。

 リズムを細かく刻むシーケンサーの音と、バイオリンのメロディーが交互に入れ替わる。


 息つく暇もなく転調。


 リズム主体となると裏拍。

 水嶋は、身につけたばかりのスウィングの感覚を呼び覚まし、特徴的なバスドラムのリズムに、必死に食らいついていく。

 

 それでも最後はスライドの応酬に、冷静に対応するも、タイミングを外す場面がチラホラと現れ出した。



「はぁ~、やっぱり、今日のタブレットはオアズケだな。じゃあな。宿題はやっとけよ」


 タブレットを柏倉に返し、保健室を出ようと立ち上がる。


「あと、良い曲だったよ。サンキューな」

 去り際の一言。水嶋はドアの持ち手に手をかけた。


 手をかけた反対側の腕に違和感。立ち止まり、振り向くと肘を摘まれていた。

 水嶋を見上げる上目な視線。朱色に顔を染めた少女が、体を震わせている。


「勉強……教えて下さい。……せんぱい」


 開け離れた窓からは野球部の野太い声が規律あるリズムを作り、ソフトテニスの打撃音が疎らにアクセントをつける。鳥のさえずり、風のどよめき。静かな二人を包む白一色の室内に、音がいろどりを添えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る