第2話 隣の席の彼女
頭というのは皮膚が薄く血管が表面に近いため、少しの擦り傷でも大量の血が出るらしい。というわけで、暦の傷は血のわりには浅く、ただの擦り傷だったらしい。
それを真司が知ったのは事件の翌日の朝だった。
「思ったより平気そうだな」
女子に囲まれ質問責めにあっていた暦に、真司が遠慮なく話しかけたせいで、暦を取り巻いていた女生徒達は眉を潜めた。
「う、うん。心配かけてごめんね」
突き刺さる視線に耐えかねて、真司が隣にある自席に戻ると、声をひそめてながらも彼女たちは会話を再開させた。
「え? 暦、古賀くんと仲いいの?」
「な、仲良くないよ! 昨日、ちょっと掃除手伝ってくれて……」
暦は慌てて手と首を横に振り、全身で否定を表す。
そこまで否定しなくても、と真司は少しムスッとしながら、一限の準備を始める。
「そうなの? 確かに教室と廊下すごい綺麗な気したけど……」
「てか昨日ごめんね! もうすぐ大会だから顧問がうるさくてさー」
「う、ううん。大丈夫だよ。私、部活入ってなくて暇だから」
「本当? じゃあさ、本当に悪いんだけど、今日も変わってくれたりしない?」
今度は断れよ、という念を込めて真司は暦に視線を送った。
「うん。大丈夫だよ」
けれど、その願いは届かずに暦はあっさりとその願いを受け入れる。
「え、本当! 本当にごめんね! 大会終わったらなんかおごるから! 本当に!」
一人がそう捲し立てるとともに予鈴がなり、暦の周りにあった人混みはバラバラに散らばっていった。
解放された暦が少し安堵の表情を浮かべたのを見て、真司は深いため息をついた。
放課後になり、昨日と同じように掃除を押しつけられた暦と真司だけが教室には残っていた。
「君なんなの? 掃除が好きなの?」
昨日あんなにも執拗に掃除をしたにも関わらず、教室にはまばらにゴミが散らばっていた。
「好きなわけじゃないけど……、皆大変そうだから……」
「こんな掃除一つの時間惜しむほどアイツら忙しくもないだろ」
「でも、困ってる時は助け合わないと。友達だし……」
「友達じゃないだろ。あの人たちと話してる時、全然楽しそうじゃないよ、君」
「……そ、それはまだ、この学校に慣れてないから」
「まあ、なんでもいいけどさ」
今日は吹奏楽部の活動がないこともあり、窓越しからグランドで練習するサッカー部の声が小さく聞こえてくる。
「なんで、今日も掃除手伝ってくれたの?」
「だから、昨日言っただろ。一週間以内に死ぬって」
「どうにか出来るの? それ」
「多分。頑張れば、多分」
「えっ!?」
そこまで大きくもない暦の声は予想以上に教室に響いた。
「どういうこと? 多分ってなに?」
暦は集めたゴミをちりとりに入れるついでに真司に詰め寄った。
「過去に、その呪われた人を助けたことはあるけど、なんていうか、なにが起こるか分からないし、結構難しい」
「でも、昨日は全部わかってたみたいに助けてくれたよね?」
「昨日のは例外。アレは分かってたけど、今日からは分からない」
「なにそれ! そもそも呪いってなんなの? 私が誰かに呪われてるってこと?」
「知らない。誰かに呪われてるのかもしれないし、幽霊的なものなのかもしれないし。俺が知ってるのは、君の肩、いや、背中にくっついてる黒い影に取り憑かれた人は死ぬってことだけ」
真司は淡々とゴミをちりとりに入れながらそう言った。
「ええっ、背中についてるの!?」
「うん。でも見えないなら気にしなくていいんじゃない?」
「い、言われたら気になるよ……」
暦が自分の背中を見ようと一生懸命体を捻っている間に、真司はゴミ箱にちりとりの中身を放り込んだ。
「とりあえず。今、君が出来ることは周りに気をつけることぐらいだろ」
「そ、そんなので大丈夫なの?」
「まあ……多分」
結局は運だと思う、とは言えないまま真司は言葉を濁らせた。
掃除を終えた二人に待っていたのは、教師からの激励。
……ではなく、明日配布するプリントのコピーという第二の雑用だった。
掃除をサボった生徒を叱るでもなく、雑用を引き受けた生徒に更に雑用を押し付けようとしてくる教師に、真司は苛立ったが、暦が反射神経のようなスピードで受け入れたせいで、文句の言葉も引っ込んでしまった。
コピー機から大量に出てくるプリントを二人で椅子に座って眺めていると、コピー機のある部屋の外からつい最近聞いた声が聞こえてきた。
コピー機のある部屋は職員室のすぐそばにあり、大方教師に用がある生徒の話し声だろう。
「……てかさ、あんま言いたくないけど、暦ってあんま心開いてないよね」
「あ、思った、それ。なんかいっつも受け身だし、こっちも気遣うよね」
「本当それ。しかも、ちゃっかり男子に頼るところとか普通にぶりっ子じゃない?」
「それね~。確かに暦って男ウケしそうだもんね〜」
遠慮なく交わされる言葉の応酬は、二人のもとまで届いていた。
声の主が先ほど二人に雑用を押し付けた教師と楽しそうに会話をしているのも、今のこの状況では重くのしかかった。
真司は何も言うことができなかった。
ある意味、あの言葉は真実でもあるのだ。嫌なら断ればいいし、何か言いたいことがあるなら言わなければ伝わらない。
ただ、その友人達の本音は、きっと、正しく伝わらなかった上に最悪の形で暦に知らされたのだ。
ふと、真司が暦の方を見ると思いがけず暦と目があった。
その時の暦の作り笑顔ほど、酷い顔を真司は見たことがなかった。
あの惨劇の後、特になにも言葉を交わすことなく暦と別れた真司は、眩しい西日を避けるように頭を下げながら家へ帰った。
ドアを開けると、玄関の中央に置かれた黒い革靴に、父親の存在を察してため息をついた。
靴を揃えて、手を洗い、鞄を置く。そんな一連の動作にも神経を巡らせ、真司は父親が居るであろうリビングへと向かった。
「遅かったな」
父親は新聞紙から顔を上げないまま、そう言った。
「……掃除があったんで」
「お前ももう高校生だから、細かいことを言うつもりはないが、勉強はしっかりやってるんだろうな?」
「一応、まあ」
「お前の高校の指定校なんてタカが知れてるからな……。内申よりも予備校を優先しなさい」
「分かってる。もういい? 宿題とか予習とかやりたいんだけど」
宿題も予習も今日はやるつもりはなかったが、一番都合の良い文句として引き出した。
「そうだな。今日はお前の好きなオムライスを母さんが作ってくれるらしい。受験には体力も大事だからな」
「うん。ありがとう」
真司はそう言って、父親に背を向けた。
オムライスが好きなのは真司ではなく優人だという事にすら、父親はまだ気がついてもいないのだ。
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