死に至る暗影

ユイ

第1話 死に至る呪い

 空木うつぎこよみが今日死ぬことを、古賀こが真司しんじは知っていた。

 暦は二ヶ月前に転入してきた真司の隣に座る女生徒である。特筆すべき特徴はない。

 強いて言うならば、転入から二ヶ月経った今でもクラスに溶け込めている様子はない。

 真司は幼い頃からという、呪いを持っていた。

 ボーッとした顔で次の授業の準備をしている暦の肩には黒い影のようなものが纏わりついている。その影が幻覚ではなく現実に存在するものであるということを証明する手立てはない。

 真司には自分が精神疾患者であるという自覚はないが、人の死期が見えるなどと人に言えば、まず疑われるのはそれだ。

 何はともあれ、アレに取り憑かれた人間はおそらく一週間以内に死ぬ。それが真司が知っている全てである。

 真司は格別優しい人間ではないが、隣の席の可哀想なクラスメイトを見殺しにするほど冷酷でもない。

 実際、暦を助けるために真司は色々やってきたのだ。

 しかし、現実とは非常なものである。その上、真司はあまり人間関係が得意な方ではなかった。

「それじゃあ、えー、空木。分かるか?」

 真司が悶々と思考を巡らせている間に授業は始まっていたようで、教師に当てられた暦が慌ててノートやら教科書やらをめくり出すのが目に入る。

 数学が苦手なのか、暦は毎回この行動を繰り返す。

 分からないなら分からないと言えば済むのに、と思いながらも真司は答えの書かれたノートを暦の机の上に置いた。

「えっ?」

「これ、答え。多分あってるから」

 暦は遠慮がちにノートを手に取って、小さな声で書かれた式を読み上げた。

 教師はそんなやり取りを咎めることなく、淡々と授業を続けていった。

「あ、あの。ありがとう……」

「別にいいよ。俺、数学得意だし」

 真司はそれだけを返し、再び机に視線を落とした。

 突拍子もないことを信じてもらうには信頼と友情が大事だと、真司は考えていた。



 放課後。暦は例にもれず掃除を押し付けられたようで、一人でチリトリと箒を持って、中々帰ろうとしない三、四人の塊の周りをウロウロしていた。

「おい、早く帰れよ。掃除できないだろ」

 真司はそんな塊の中に入り込んでいき、高圧的に言葉を放った。

「え? あー、分かったよ。どーする? ファミレス寄ってく?」

 その集団は少し怪訝な顔をしながらも、輪を崩すことなく教室から出ていった。

 真司と暦だけになった教室には、遠くから聞こえてくる管楽器の音以外、なにも音はなかった。

「あ、あの。ありがとう」

 その気まずい沈黙を先に破ったのは暦だった。

「別にいいよ。でも君さ、ちょっと気弱すぎない?」

「え?」

「掃除も毎回押しつけられてるよね。それって都合のいい人としか見られてないって分からない?」

「ま、毎回って? 今日しか変わったことないよ?」

「今日だけでも押しつけられたら駄目だろ。大体ああいう自分だけが楽をしようとするやつと、君みたいに嫌われるのを気にしてなんでも引き受ける奴がいるから、世界はおかしくなっていくんだよ」

「う、うん? ごめんね」

「謝って欲しいわけじゃないんだけど、まあいいよ。教室は俺がやるから、君は廊下やってきてよ」

「え? 廊下はもうやったよ」

「中途半端なんだよ。廊下も教室も完璧にやれば、掃除そのものがなくなって押し付けられることも無いだろ」

「掃除ってそういう物じゃないと思うけど……」

 あからさまに納得のいってない様子の暦を無理矢理廊下に押しやって、時刻を確認する。

 目標は五時。本筋とのズレは出来るだけ小さい方が予測がつきやすい。

 そうして真司はゆっくりと、丁寧に箒をかけ始めた。

 


「雑巾掛けとワックスまでやる必要なかったよ、絶対。先生ちょっと引いてたし、もう五時だよ?」

「うるさい。どうせ終業式の日にやるんだからいいだろ」

 少々強引な手を使って五時まで掃除を長引かせた真司は、そのまま流れに乗って暦と一緒に駅まで行くつもりだった。

「あの、もしかして付いて来てる?」

「は? なんでそう思ったんだよ」 

「え? だ、だって、なんかスピードとか合わせてくるから……」

「気のせいだろ。俺もこっちの駅なんだよ」

「う、うん……」

 暦に若干怪しまれつつも、真司は自分と比べて遅すぎる暦の歩みに合わせて、夜道を歩いていた。

 五時というのは微妙な時間で、部活をやっている生徒からしたら早すぎて、まっすぐ家に帰る生徒にとっては遅過ぎる。

 従って、歩いている道に真司達と同じ制服を着た学生はほとんど見当たらなかった。

「あ、あの。今日は本当にありがとう」

「は?」

 あたりを忙しなく見渡していた真司は、突然発せられたデート終わりの一言のような発言に、思わずぶっきらぼうな言葉を返した。

 それに暦はバツが悪そうに、そして恥ずかしそうに訂正を入れた。

「だって、掃除とかノートとか。今日まで話したことなかったのに、色々助けてくれたし……」

「はあ。どういたしまして」

 暦の発想は至極真っ当なもので、真司の真意を知らなければ今までの行動は奇行であり親切でもある。

「古賀君って、部活入ってないの?」

「うん。親に入るなって言われてるし、中学の時に雰囲気悪くなるって、ずっとベンチだったから」

「そ、そうなんだ……」

 信号が点灯する横断歩道を渡るのを諦めれば、自然と足も止まり会話も止まる。

 暦がそれに対して居心地の悪さを感じていることに、流石の真司も気が付いてはいたが、そこにまで気を配る余裕はない。

「あの、」

 暦がそう口を開いたと同時に、全てが始まる。

 まずは空から植木鉢が落ちてくる。理由は不明だが、恐らく風かなにかだろう。

「きゃあ!?」

 真司が暦の腕を思いっきり引くと、間一髪と言ったところで植木鉢は地に叩きつけられた。

 その後にトラックがこちらに突っ込んでくる。理由は不眠症によるスリップ事故。運転手の会社は最近流行りのブラック企業である。

「古賀君! 危ない!」

 真司の前に暦が立ちはだかり、そして真司は突き飛ばされた。

 暦は絶対に真司を庇う。これを変えるのは容易ではない。

 トラックが派手な音を立てて郵便局に衝突するのと、暦がオデコからコンクリートに激突するのは、ほぼ同時だった。

「いったぁ……!」

 横転とともに真司が暦の腕を引いたせいで、地面に額をぶつけた暦は涙目で額を抑えこんでいる。

 間一髪といったところでトラックを避けた二人に、周りの通行人が集まってくる。

 救急車や警察といったのはそういった人に任せて、真司はここで暦に真実を告げることにした。

「君は本来ここで死ぬ予定だった」

「はい?」

 暦は目を丸くする。今ののショックで頭がおかしくなったのかと言わんばかりだ。

「端的に言うと君は呪われていて、このままいけば一週間以内に死ぬ」

「え? えっと、大丈夫? 頭打ってない?」

「打ってない! 打ったのは君だろ!」

 真司が視線を目から額に移すと、そこは血に濡れていて、ダラダラと赤い液体が地に落ちた。

「……血、出てるよ。凄い、出てる」

 真司がそう暦の額を指さすと、暦はその通りに額に手を当てた。

「えっ!? なにこれ!? りょ、量すごくない!?」

 強く引っ張りすぎたな、と真司が後悔してから随分遅れて、ようやく救急車は到着した。

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