第5話 オオカミに会いたい!

 久しぶりの森だった。今回も大型犬に変身したエニスに、コロンが乗る。コロンの服装は、森のにおいが染みこんだセーラー服だ。「オオカミは嗅覚が鋭いから」とコロンは説明した。

 エニスが森を歩きながら語りかける。

「森で特に危険なのはヘルハウンド。彼らは、縄張りを示すのに木を少し焦がすの」

 だから、そういう場所は避けて移動する。ヘルハウンドは大型犬の魔獣だが、犬にしては嗅覚が退化している。その代わり、縄張りの主張には口から噴く火を利用するのだ。そのほうが、彼らに都合の良い進化であったらしい。

「オオカミは、においで縄張りを示します」

「犬みたいに?」

「はい、おしっこを目印にします。特に岩や切り株なんかは、目立つから」

 その行為をマーキング、とコロンは呼んだ。

「見て下さい、ここ、マーキングされています」

 コロンは突出した岩を指さし、エニスから降りて鼻を近づけると、大きくうなずいた。

「やはり、オオカミです。この辺りは、オオカミが縄張りとしています」

 そのとき、カラスの鳴き声が聞こえた。

「あの声……もしかしたら、オオカミに会えるかもしれません」

「えっ」

 なぜわかるのだろう、と聞く前に。

「オオカミはカラスと共生することがあります。カラスが獲物を見つけ、オオカミに知らせるんです。オオカミが獲物を狩って食べ、その残骸をカラスが分け前としてもらいます」

「賢いのね!」

 カラスの賢さは知っていたが、共生するオオカミもまたなんと賢いことか。そういう事例があるという話であったが、確認する価値はある。なんせ、この森のオオカミは賢いのだ。

「ちょっと、急ぐね」

 エニスは早足になる。カラスの鳴き声を頼りに向かう。森の中の、比較的開けた草原に出た。エニスの耳元で、コロンが声を押し殺して言った。

「止まってください」

 コロンはエニスの背から降り、茂みに身を伏せた。エニスも犬の姿で伏せをする。 

 耳を澄まし、茂みの隙間から目を凝らす。そこに、鹿の群れがいた。皆で草を食んでいる。土地は、なだらかな丘陵だった。

「鹿にとって、危険な風が吹いています」

 コロンがささやく。

「オオカミは上から襲うのが得意です。勢いをつけ、一気に獲物を捕まえます。今の風向きは丘の上が風下で、そこにオオカミがいても、鹿はにおいに気づけません。」

 そこまで計算して動物は狩りをするだろうか、そう普通は思うかもしれない。しかし、この森のオオカミとの知恵比べをしてきたエニスには、十分ありえると思えた。

 丘の上を注視する。何かが姿を現した。と思うと、その何かは一気に丘を駆け下りる。二人は息を呑んだ。オオカミだ! 灰色の毛並みが、美しくきらめく。

 突然現れたオオカミに鹿の群れは慌てふためきながら逃げる。オオカミはそれを追い落としていく。すると、丘の下から別のオオカミが飛び出した。あえなく一匹の鹿が捕まり、その脚に噛みつかれる。丘の上のオオカミも追い付き、のど元に食らいつく。勝負は、あっという間についた。

「なんて見事な挟み撃ちなの……」

 エニスは感動すら覚えた。狩りの成功を祝福するように、カラスが羽ばたいた。

 オオカミたちはひとしきり食べると、鹿の脚を持った。

「子供たちの待つ巣穴に行くかもしれません、エニスさん、追いましょう」

「ええ」

 エニスは、こういう隠密行動は得意だ。これまで、こうして動物の生態を追ってきた。しかしそれも、動物に変身する魔法あってのこと。人間の身のまま、気配を殺してオオカミを追うコロンの技には思わず舌を巻く。

 しばらく、そうしてオオカミを追う。オオカミの一匹は、灰色の毛並み。もしかして、リーダーのロボであろうか。やがて、オオカミたちは歩みを止めた。そこに別のオオカミが一匹近づいてくる。すると。

 コロンたちは、出そうになる声を必死に押し殺した。

 巣穴から、子オオカミが顔を出した。可愛らしいその生き物は、素早く飛び出す。一匹、二匹、三匹、四匹! 彼らは帰ってきたオオカミたちにまとわりつき、エサをねだる。大人オオカミは食べたものを戻して子オオカミたちに与えだした。一方、巣穴にいた別の大人オオカミは、鹿の脚を食べている。

「あの巣穴にいた大人は、ヘルパーですね」

「ヘルパー?」

「子育てを任されている個体です。社交的で適性があったのか、それとも発育が遅く狩りの上達に手間取ったのか。いずれにせよ、巣穴を守る役目を与えられています」

 食事の終わった子オオカミたちが、ヘルパーを交えて遊びだした。どこからか拾ったのだろうか、ボロ布を引っ張り合い、奪い合い、きゃんきゃんと吠えている。

「遊びに加わらない子がいるわね」

 二匹の子オオカミが離れていた。一匹はキョロキョロしているが、もう一匹は動きがない。

「はい、右の子は体が小さいです。自信がなく、遊びに加われる気がしないのかも知れません」

 キョロキョロしている子だった。本当は遊びに加わりたいのかもしれない。

「あの子は、さっきの食事のときも、残り物を食べていました。もっと小さい頃から力が弱く、ずっと少ししかエサにありつけなかったんでしょう。力の差は、このまま開いていきます」

「そういえばオオカミには序列があるって読んだわ。それは、子供の頃からだんだんと形成されていくとも」

「はい。こういう子は、群れの中では一番下の階層になりやすいです。中には、ヘルパーをしながら、引き続き狩りの訓練を親から受けることもあります。群れによりますが」

「発育の遅れている子にも、しっかり教育をするのね」

 振り返って、我が国の教育はどうだろうか。単純に年齢に応じた画一的なシステムになっていることを、エニスはふと案じた。

「また、一番下位の扱いを受けることに耐えかねて、独立する個体もいます。独立してパートナーを得ることができれば、今度は自分が一番上の個体(アルファ)になります」

「あの子も強く、生き抜いていってくれるといいわね」

「はい」

 ささやき合う。

 続いて、「左の子ですが」とコロンが言葉を繋いだ。

「あの子は、体も大きく、強い個体です。その気になれば遊びに参加しますが、こうして一匹でいることも恐れません。こういう個体は、小さなボス、リトルアルファになります」

「リトルアルファも、独立を?」

「そうですね、自分の群れを持つ場合も多いようです。大きな群れの場合は、二世帯目や三世帯目の繁殖個体となる場合もあるようですが」

「そうなのね」

 エニスの知識では、アルファの地位は絶対だった。アルファと呼ばれる個体だけが群れの中で繁殖をすると聞いていた。どうも、そうとは限らないようだ。

 オオカミたちは、というと、今度はヘルパーが先ほどの鹿の骨を持って、右の子のところに行った。右の子は跳ね上がり、嬉しそうに骨で遊び始める。すると今度は他の二匹の子オオカミがやってきて、一緒に遊びだした。

「素敵ね」

 無意識にそう言ってから、エニスは自分がオオカミに魅了されていることに気づいた。あれほど駆除しようと知恵をしぼったオオカミ。その生きる姿を知った私は、いったいどうすればよいのだろう? しかし、彼らは家畜を襲うのも事実だった。いっぽうで、反対するコロンの気持ちもよくわかった。こんなに賢い彼らは、本当になぜ家畜を襲うのだろう?

 その疑問はまだ解けぬまま、彼女たちはその日の観察を終えた。

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