第2話 動物が好きなだけなの!
麓の村に着いた頃には、もう星がまたたき始めていた。
エニスはシェルパに謝礼を渡し、また機会があれば頼むと伝えた。
泊まっている民宿に戻ると、女将が待っていた。
「おやまあ、ずいぶん可愛らしい子だこと!」
一目見て、エニスが目的の異世界特別外来種を保護したのだとわかったらしい。
「小さな女の子だと聞いていたけど、ほんにこまいこと」
そう言って、女将は「ようこそ!」とコロンを抱きしめた。
大歓迎にコロンはしばし戸惑うが、女将の好意を喜んでいる様子だった。
「さて、まずはお風呂に入っておいで。美味しい夕飯を用意しておいてやるよ」
女将の言葉に従い。二人は、脱衣所へ入った。
他に客はいない、二人きりの世界。服を脱ぎながら、二人は同時に思考を巡らせていた。
(何とかして、裸を見たい!)
これは少々説明を要する。二人とも、性的関心でそう思っているのではない。無類の動物好きである彼女たちは、異世界の人である相手のカラダがどうなっているか、そこに関心があるのだ。その強い関心の前に、己の裸を見られる羞恥など存在しない。
まず最初のチャンスは、脱衣直後である。ちょうど相手と同時に脱ぎ終わり、振り返れば自然に相手のカラダを見られるはずだ。
己が欲望を相手に悟られれば、失礼に思われるかも知れない。いらぬ誤解も招くかもしれない。二人は知らないのである、同じ欲望に取り憑かれていることに。
視界の端にチラチラと相手の姿を収めながら、脱いでいく。ペースの調整用に、靴下やリボンなどはあえて残しておく。
しかし動物の観察眼に優れた二人である、すぐに相手が様子をうかがっていることに気づく。
(警戒されている……!)
これはまずい。下手に相手を凝視などすれば、信頼を無くしかねない。
動物好きということで早くに打ち解けたが、出会ったばかりには違いない。まずは信頼関係を築くことが大切だ。
コロンはエニスがエルフだと聞いていた。エルフと言えば、誇り高い種族のイメージだ。
(失礼のないようにしなきゃ)
行動一つで、嫌われてしまうかもしれない。それでは、元も子もない。そもそもこの異世界での入浴ルールでさえ彼女は知らないのだ。
一方のエニスは、コロンが「セーラー服」を着る文化の世界の子だとわかっている。知識によれば、大人数で入浴することもあるが、基本は一人で入浴する文化だとされる。幼ければ家族と入るというが、コロンはどうであろうか。小柄な少女であるが、微妙な年齢と思われる。種族はこちらの世界で言うところのハイマンに近いだろう。となれば、十代中頃といったところか。これは精神的にも繊細で微妙な年頃だ。
(この世界の保護者として信頼を得るのが先よね)
そこに気づいたとき、エニスは必死になって己が欲望を抑えた。ならば、小細工は不要。思い切りよく服を脱ぐと、エニスはコロンに向き直り、「コロンちゃん」と声を掛ける。まずは自分が裸になってみせることが、安心させることに繋がるはずだ。
急なことに、コロンは驚いて素っ頓狂な声色で「はいっ!?」と言いながら、エニスを見る。
一糸まとわぬ、美しい裸体。
ほどよい大きさに形の良い乳房、その曲線は腰のくびれに続き、細くて長い脚に届く。
あまりの美しさにコロンは息を呑み、思わず見つめてしまった。
(カモシカのような脚、という言葉があるけれど)
細く長い美脚を表現する言葉だ。しかし、実際のカモシカは脚が立派で太いことをコロンは知っている。
「ガゼルのように、綺麗……」
思わず口をついて出た。気づいて、自分の口を押さえる。
「ガゼル……?」
異世界動物学者とはいえ、エニスには名前とだいたいの姿しかわからない。
「そう、私は、ガゼルみたいなのね!」
よくはわからないが、美しい動物だということは伝わる。
「ガゼル、会ってみたいなあ」
うふふ、と笑い声をあげ、エニスは「先に入るわね」と言い残していく。
その後ろ姿もまた美しく、コロンの目は自然と追ってしまった。
コロンはこれまでも、美しい動物たちの姿に興奮してきた。しかし、今感じている興奮は、そのどの興奮とも違ったような気がした。
女将が用意した夕飯は、量も質もすごいものだった。
久しぶりに「料理」というものを食べたコロンの喜びようは、それはそれはすごかった。
「口に合ったようで、良かったわ」
女将のほうも喜ぶ。
翻訳魔法は、料理をパエリアだとか、シチューだとかサラダなどと伝えていたそうだ。むろん、コロンの知るそれとはだいぶ違ったものであろうが、好きな味だったことは確かだ。特に地方特産の川魚、ハットマスを使ったパエリアはおかわりをして食べていた。その元気な様子に、エニスは目を細める。
客室。
質素なベッドが二つに、最低限の調度品だけあつらえられた、シンプルな部屋だ。しかし、月明かりがベッドを照らし、不思議と幻想的な雰囲気を漂わせていた。
コロンは、女将が用意してくれた寝間着姿だった。女将の娘さんが昔着ていたものらしい。
エニスはベッドにコロンを呼び、髪を梳いた。長さは肩に掛かる程度だ。十日に渡る野生生活で汚れていた黒髪は、その本来の美しさを取り戻そうとしていた。月明かりが髪にきらめきを捧げている。
されるがままのコロンは、ややあって口を開いた。
「私は、どうなるのでしょうか」
初めて見る、不安の色だった。
異世界に飛ばされた少女。当然の反応だろう。これまで元気そうだったのが奇妙なのだ。
エニスは、優しく髪を梳いた。
「あなたのことは、私が守るわ。でも、そうね。しばらく、私にはこの村でやることがあるの。ちょっとそのお手伝いをしてもらえると、助かるかな」
「それって、動物絡みですか」
少し、声に明るさが戻る。コロンの動物好きは、筋金入りなのだろう。
「ええ、そうよ。明日は牧羊犬の様子を見に行くわ」
返事に、「やった!」とコロンがグッと拳を握る。
そんなコロンを見ながら、エニスは続けた。
「そのあと、あなたを元の世界に戻せないか都で探ることになると思う」
「そう、なんですか」
コロンの声のトーンが、落ちた。エニスは尋ねる。
「あなたはまだ小さいわ。ご家族と離れて、寂しいでしょう?」
「血の繋がった家族は、いません」
言葉に、エニスはハッとする。
「不用意に、聞くべきではなかったわね」
「いいえ、いいんです。私は早くに両親を亡くして、父の友人の家庭に引き取られました」
コロンは、エニスを振り返った。その顔は、優しかった。
「そこは、牧場をやっていたんです。そこで私は、たくさんの動物を家族に育ちました」
「そう、そうなのね。それは、きっと賑やかで楽しかったことでしょう」
「はい!」
心配掛けまいとする心遣いだろうか、コロンは笑顔だった。
エニスの中には、まだ聞きたいことがたくさんあった。だが、この華奢な体の少女は、野生の動物に混じって生きれるほど、強い子になる環境を生き抜いてきたに違いない。そのようなことを笑顔で押し包んでいるように思えて、エニスは、ただ、彼女を抱きしめた。
「あなたとは、今日会ったばかりだけれども。どうか、家族だと思って」
「……ありがとう、ございます」
コロンは、エニスの胸に顔を埋める。
エニスは、コロンとの出会いを運命だと言った。しかし、この出会いを運命だとより強く感じたのは、コロンのほうだったかもしれない。
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