第二話 東京
西暦2012年7月8日であったはずの日本は消えた。
西暦1852年7月8日 皇都 東京
そこにはこの
そこはこの世界には存在していない国家である日本皇国のまごうことなき
首都であった。
この文面は後の情報公開時にあかされた当時の最高機密文章の冒頭である。
その文書には西暦1852年7月8日の日本へ西暦2012年7月8日の日本を土地状態を3.11以前に戻した上で転移させ、さらに代償として日本国を無くし立憲君主制国家
日本皇国を作りまた国民一部を除き記憶も日本皇国がたどった歴史に沿うようにされていると書かれていた。
ここまででもかなりの衝撃を当時の政府は受けたが、、、
さて、この西暦1852年7月8日は
そう、黒船が来航し、幕末が始まる日である。
日本皇国国防軍の哨戒機から浦賀沖に迫るアメリカ合衆国海軍ペリー艦隊4隻を発見の報が東京、市ヶ谷の国防省へと伝わった。
この場面でどのような判断をするのか、国内は既に他国との通信が絶たれたことで
混乱が広がっている中で宰相日塔漣としての判断が問われていた。
だが日塔の判断は早かった。
すぐさま横須賀の
ペリー艦隊へ以下の事を伝えるよう言った。
我が日本皇国の事を伝える事(ただし転移の事は伝えない)
通交条約を認めるがそれはこちらが指定した場所で行うこと
捕鯨船の保護も行うがそちらへは我が国が送ること
これらの命を受けた外交官を乗せ海上保安庁の警備艦に先導され第一護衛隊群は
浦賀沖へと急行した。
当初、ペリー艦隊は当時の列強お
恐れおののきアメリカ合衆国に有利な条件で開国させられると思っていたがそれは
日本国の抑止力となるために整備された第一護衛隊群と警備艦が現れると一瞬にして崩れさった。
何しろ自分たちの何倍もの巨体の
灰色の船体をした船は
ペリー艦隊は日本側が提示した通りの条件で日米二条約を結ぶしかなかったと
言われている。
そして、ペリー提督は帰国後こう言った。
「江戸なんていうものは無い、東京があるだけだ」と
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