神隠しの子
単位の数合わせのために適当に取ったゼミで隣の席になった女と喋ってたら、廊下から顔を覗かせた
「
「え? そうなの? 席ほかになかったから隣に座っただけなんだけど、地雷?」
「超地雷。なんか昔神隠しにあったことがあるんだって」
「えなにそれ。オカルト?」
「ちょっと食堂行こ。聞こえるかもしんないし」
沙織とは生まれた時からの幼馴染だ。実家が隣同士で、双方の母親が出産した病院も同じ、わたしの父親は弁護士で、沙織のお父さんは某企業の支社長。私の父は沙織のお父さんの会社の顧問弁護士を務めている。学区が微妙な区切り方をされていたせいで小学校は一緒、中学校は別々、高校はそれぞれやりたいことが違ったから離れたけど中学の頃よりは良く遊ぶようになって、大学は同じところに進学した。
「小学校が同じだったんだけど」
「さっきの黒髪ぱっつんちゃん?」
「そう。
「神隠しとか。誘拐されたんじゃなくて?」
「うちらじゃないんだから有り得ないっしょ」
沙織は時々こういう金持ちジョークみたいのを言う。わたしは笑うけどそういうの嫌いな人には嫌われるだろうなと思う。社長令嬢と弁護士の娘。誘拐される可能性はありありのありだ。中学まではわたしも沙織も登下校にクルマを出してもらっていた。わたしの運転手は父の秘書の
「宇久瀬、実家がX県らしいんだけど」
「あー? 行ったことないけど、北の方」
「そ。で、幼稚園の時? かなんかに神隠しに遭って」
「えー? 自分で言ってるのそれ」
「そうそう。中学の時、自己紹介でそれ言って」
食堂の端の丸テーブルで向かい合って座り、私は自販機で買ったコーヒー、沙織はタンブラーのお茶(市販品を飲むとお腹を下すそうだ、このお嬢は……)を飲みながら声を潜める。
「神隠し……って、いやでも誘拐じゃん、現代語で言うと」
「神隠しって言い張るのよ。3日ぐらい山の中で過ごして、4日目に山狩りしてた地元の人に見つけてもらったって」
「幼稚園……4歳とか5歳とかでそんなこと細かく覚えてるかなぁ?」
「だから危ないんだって。クラスでも虚言癖女だって認定されて、ちょっといじめられてたし」
「うわ」
うわ、と言いつつもわたしと沙織は似た者同士だ。いじめに遭ってるクラスメイトを見てもわざわざ止めに入ったりしない。勿論加担したりもしないし、いざ大きな問題が起きた時には「良くないとは思ってたけど、怖くて言い出せなかった」なんて涙ぐんで見せるタイプ。ふたりともお嬢様だから、今までそのやり方でしくじったことは一度もない。宇久瀬あゆみにも沙織は同じように接したのだろう。
「でもなんか、何されてもニコニコしてて。正直ちょっとキモくて」
「なんか……ヤバいこと言ったりするの?」
「中一の自己紹介の時にもう言ってんだよね。『神隠しに遭ってお山様のお嫁に行くことが決まっているので、20歳まで、皆様どうぞよろしくお願いします』って」
「ゲー……」
本物の電波だ。あんまり関わり合いにならない方が良さそう。あのゼミ捨てた方がいいかな。
沙織との会合のあと、わたしは件のゼミを捨てることにした。単位はほかのところでどうにかしよう。大した大学ではないけど、せめて卒業だけはしておかないと父に申し訳ない。必要な資格を幾つか取って、卒業後は父の事務所で秘書として働くことが既に決まっているのだ。何年か働いたら、父が紹介してくれる若手弁護士と見合いで結婚。それがわたしの完璧な人生プラン。お嬢様らしくって素敵でしょ?
宇久瀬あゆみとはそれ以降顔を合わせることはなかった。もともとあのゼミで隣り合わせになったのが奇跡的な偶然だったのだ。沙織にも釘を刺されたことだし、あの女のことはもう忘れよう。そう決めた。
ひとつき後。10月。わたしたちの距離感にしては考えられないぐらい久しぶりに校内で顔を合わせた沙織は、目を疑うほどに窶れていた。
「え、どしたん」
「お葬式……」
「お葬式? 誰か亡くなったの?」
「中学の時のクラスメイト……4人立て続け……」
「はあ?」
なにそれ怖い。だって中学の時のクラスメイトってことはわたしたちと同い年で、19歳か20歳とかせいぜいそれぐらいで、急に何かの病気になるとか可能性がないわけじゃないけど、それにしたって4人連続は多すぎる。
その日の講義すべてを放り出して沙織を自宅に呼んだ。わたしも沙織も未だに実家暮らしで、アルバイトもしていない。それぞれの両親に止められているからだ。それに、じゅうぶんなお小遣いももらっているし。
「小林って分かる?」
「苗字だけだと分かんないよー」
「
「あ、テニス部の?」
「そう。その子、死んじゃって」
「え!? なんで!?」
中学の学区分けで会わなくなった昔の同級生のひとりだ。たしか小学校の時も、中学に上がってからもテニスをやってて、小麦色の肌に目鼻立ちのはっきりした顔立ち、体育系女子のリーダー格だった記憶……。
「分かんない。棺開けてもらえなかったし、お母さんが半狂乱っていうか……もうちょっと狂っちゃったんじゃないかぐらい泣き喚いてて……」
「そんな……何か、怪我とか、事故かな……」
故人の顔を見てする最後の挨拶さえ許されないということは、あまり考えたくないが遺体の状態が相当悪かったということだろう。小林実樹の身にいったい何が起きたのか。
「小林だけじゃないんだよ」
「えっ?」
沙織が言った。地を這うような響きだった。沙織がこんな声を出すの、今まで付き合っていて一度も聞いたことがない。
「
「えっ待って待って、それって」
「死んだ4人。全員誰の顔も見れなかった」
ベッドに背中を預けて床に座った沙織は、立てた膝に顔を埋めるようにして身を震わせた。
遠藤こころ。道家
中学で、いったい何があったんだ。
「さ、沙織」
迷った。ものすごく迷った。尋ねて良いことなのかどうか分からなかった。大変だったねとか逆に厄が落ちたと思った方がいいよとか、言おうと思えばどんな不謹慎な言葉だって選ぶことができた。でもたぶん沙織がかけてほしい言葉はそういうのじゃない。わたしは幼馴染だから、分かる。
「……宇久瀬に関係ある話なの?」
沙織がちいさく頷いて顔を上げた。両方の頬が涙で濡れ、マスカラも少しだけ流れてパンダになっていた。
「あのね」
あの頃、わたしたち5人で宇久瀬をいじめてたの、と沙織は言った。
1週間後、宇久瀬あゆみが一人暮らしのアパートの浴室で手首を切って死んでいるのが発見された。宇久瀬に一方的に想いを寄せていた同期の男子生徒が第一発見者で、宇久瀬は彼からの求愛は断り続けていたのになぜか合鍵だけは渡していたという。
「風呂場で死ぬとさ、茹だっちゃったり、タイミングによっては腐っちゃったりするって言うじゃん」
と、男子生徒は言った。どこか恍惚とした目付きが不気味だった。
「あゆみは綺麗だったよ、なんでだろう、真っ赤な水の中に真っ白な体が浮いていて……」
こんな気味の悪い話、本当は聞きたくなかった。宇久瀬あゆみもヤバいし、そんなヤバ女に惚れる男なんて同レベルかそれ以上にお触り厳禁案件に決まってる。でも聞かずにはいられなかった。なぜか。沙織が姿を消したからだ。
まず疑われたのはやはり誘拐の可能性だった。だが、身代金の要求やそれに類する連絡はまったくなかった。沙織の両親も兄もそれこそ、沙織が以前行ったという葬儀で見た(と聞いた)遺族の両親もこんな風だったのだろうと容易に想像できるほどに狂ったようになっていた。沙織。どこに行ってしまったんだろう、わたしの幼馴染。
「結婚の引き出物でしょそんなん」
「ヒサシ」
「絶対そうだよ。その宇久瀬さん? って人俺知らないけど、亡くなった日に20歳になったんじゃないの? そんで、お山に嫁入りしたんでしょ」
「ヒサシやめろ」
数日後。わたしは今も父の秘書を務めている谷中さんとともに埼玉県某市にある法律事務所を訪れていた。父が、決して強権的な人間ではないがわたしを含む家族にとって絶対の存在である父が、わたしに頭を下げて頼んだのだ。『市岡法律事務所に行ってくれ。
見てもらってくれってなに?
応接室のソファに腰を下ろしたわたしと谷中さんの前には、ふたりの男が座っていた。小柄で端正な顔立ちのスーツ姿の男、こっちが父の言っていた市岡稟市弁護士だろう。その傍ら、わたしから向かって右側には季節感のまるでない鮮やかなグリーン地に蛍光ピンクのペンキをぶちまけたような柄の開襟シャツを着た、やたらと美しい顔の男が腰を下ろし、率先して喋りまくっていた。わたしの右側に座る谷中さんのこめかみにうっすらと血管が浮くのが分かる。苛ついている、気持ちは分かる。わたしだって今は混乱しているし、相手が(ふたりとも、たぶん)年上だから黙っているけど、見るからに年下で明らかに弁護士ではなさそうな人間にこれだけ好き勝手言われたら立腹するだろう。
「宇久瀬あゆみさんは……たしかに20歳になったばかりでした」
谷中さんが唸った。
「命日と誕生日がかぶってんでしょ」
派手シャツの男、さっきからヒサシと呼ばれてるからわたしもヒサシと呼ぶことにする、そのヒサシが軽薄な口調で言って笑った。
笑った。
「なにがおかしいんだ!」
谷中さんが固く握った拳で目の前のテーブルを叩く。手を付けていないコーヒーカップが冷め始めた中身をふるふると揺らした。
「おかしかねえけど。ねえ稟ちゃん」
「ヒサシ頼むから黙っててくれるか」
「はーいよー」
ヒサシは明らかに不本意な表情で口を閉じ、それで、と谷中さんはようやく本題を舌に載せた。
「市岡弁護士。先生から、あなたに見てもらってほしい、という指示をいただいたのですが」
「
やはり年嵩の方が市岡稟市弁護士だったようだ。そうでなきゃ困るけど。
「あまりこういう言い方はしたくないのですが……今、私の弟が申し上げたことが、ほぼすべてです」
「はあ!?」
谷中さんがこんなふうに声を荒らげるところ、初めて見た。びくりと肩を跳ねさせるわたしを市岡弁護士は憐れむような目で見つめ、
「宇久瀬あゆみさんは嫁がれたんです」
と続けた。
「なにを……馬鹿な……」
「谷中さん。あなたが『先生』と呼んでいるのは
わたしは慌てて首を縦に振る。
「なにかご存知なんじゃないですか? だから小関先生はあなたをここに同行させた。教えてもらえませんか、あなたが知っていることを」
「あ……」
市岡稟市とその弟がじっとわたしを見詰めている。わたしは語らなくてはならない。生前沙織が口にしていた『宇久瀬あゆみに対する加害行為』を。彼女を地雷だと言って嘲り行った数々のことを。宇久瀬あゆみが自ら、自分は20歳までしか生きられないと口にしたことを。
「自分の嫁さんに泥とか生ゴミ食わせて喜んでたやつなんて、引き出物以下の価値しかないだろーけどね、お山さんにとっては」
煙草に火を点けながら市岡ヒサシが呟いた。両腕に鳥肌が立つ。なぜ、それを、知って。
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