12話
部屋にあった死体は石瀬さんの元夫と娘のものだった。いないとされていた中学生の長女だ。ふたりのあいだには倫理的に許されない関係があった。娘が性的虐待を受けているということに気付いた石瀬さんは、すぐに夫と別れ、それまで住んでいた街を離れたのだという。
元夫は法の裁きを受けたが、実刑にはならなかった。本人も深く反省しており、周りの人間がきちんと見守るということで執行猶予が付いたのだ。
「再犯率の高い犯罪です」
放心した様子で廊下に座り込む石瀬さんに、稟市さんが呟くように言う。
「彼は繰り返した。そうですね?」
周りの人間がきちんと見守る、なんて簡単に言うけど、まあ無理だ。私はそれを身を以って知っている。
それにたぶん、稟市さんには見えている。石瀬さんの元夫が繰り返した犯行の被害者の幽霊が。
石瀬さんの元夫は長女に異様な執着を見せ、引っ越し先を突き止めた上石瀬さんに知られぬよう娘にコンタクトを取ったのだという。
「お嬢さんの……お名前は」
「かすみ、です」
「かすみさん」
かすみさんは、父親を拒まなかった。石瀬さんの目の届かぬところでふたりは逢瀬を繰り返した。石瀬さんはかすみさんを現在の自宅からも遠く離れた、全寮制の中学に通わせていた。元夫がかすみさんに執着していることには石瀬さんも気付いていたのだ。けど、それが。
「逆効果だったんです……」
2年前の夏休み。帰省していたかすみさんを元夫が訪ねてきた。もちろん石瀬さんがいない時間を見計らってだ。かすみさんの自室で睦み合うふたりを、予定よりも早く帰宅した石瀬さんが目撃してしまった。そして。
「かすみは、あの男を庇いました。邪魔するな、とまで言って……」
「喉をひと突き。これは誰が?」
死体の様子を見聞していたヒサシが大声で尋ねる。さすがに直視はできなくて横目で様子を窺うと、彼はかすみさんの側にしゃがみ込んでいた。
「あの男です。それで、」
「こっちの男はあなたが?」
ヒサシの問いに石瀬さんは力無く頷いた。
「かすみは、」
石瀬さんが呻くように言った。
「笑っていました。笑っていたんです、あの男に刺されて血を流しながら」
これ以上は聞いていられなかった。石瀬さんとふたつの遺体は市岡兄弟に任せるとして、私はすみれさんの手を引いて家を出る。
石瀬邸の玄関前に、すみれさんと良く似た顔立ちの少女が座り込んでいた。すみれさんと似てはいるけど癖のある黒髪を肩甲骨のあたりまで伸ばし、大人びた紺色のワンピースに身を包んでいる。しおりさんか、と思う。6年生の『姫』。
「おねえさん、警察の人?」
しおりさんの問いに首を横に振り、
「PTA」
「そうなんだ」
「家、入らないの?」
「うん……だってもうすぐ、警察が来るんでしょ?」
「なんでそう思うの?」
尋ねると、しおりさんは薄桃色のくちびるの端を苦々しげに歪めて呟いた。
「だってうち、おかしいもん。おかしいから早く警察に来てほしかったけど、お母さんが絶対駄目って言うから」
私の手を振り解いたすみれさんがしおりさんに抱き付く。おねえちゃん、とすみれさんが呼ぶ。
「お父さんとかすみちゃん、もうすぐいなくなるよ。ふつうの家に戻れるよ」
稟市さんかヒサシが110番したのだろう。サイレンの音が近付いてくる。私にはこれ以上もう何もできない。
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