2話

 石瀬さんに指定された日は雨だった。LINEで送られてきた住所は我が家から徒歩で向かうには少しばかり遠い。面倒だけどクルマを出すか、と思っていたらヒサシから電話がかかってきた。

「PTA会長ん家行くの今日でしょー? 俺も行っていい?」

 なぜ知っている。いや、なぜもなにも鳴海さんから聞いたんだろうけど……。

 石瀬さんからの指示で16時から17時のあいだに来てほしいと言われていたので、

「今どこ」

「事務所〜! 俺もう帰っていいって言われたから!」

「アシは?」

「社用車借りちゃうよ〜ん!」

 PTA会長の家に議事録を届けに行く、という行為をゲームか何かだと思っていることがダダ漏れな浮かれ声だった。ヒサシはいつも楽しそうでいいなぁと思う。同い年なのにな。

「じゃクルマ出して」

「ユキちゃん今どこ? 家?」

「そ。ミッション達成したら夕飯食べさせたげる」

「ご飯なに?」

「ハンバーグと……」

「よっしゃー! すぐ行くから待っててね!」

 ヒサシが我が家に到着したのはそれから20分後。石瀬さんの家に着いたのは更に10分後、16時を少しばかり過ぎた頃だった。石瀬さんのお宅はまあまあ良く見るタイプの二階建ての一軒家で、持ち家なのかな、庭も広くていかにも石瀬さんが住んでそうな感じだ。……いや、こういうことを考えるのは良くないな。路駐のクルマとヒサシを置いて、傘を片手にチャイムを鳴らす。

「相澤です」

「あらー! ずいぶん早かったわね! 雨も降ってるのに……」

 石瀬さんは信じられないぐらいの大声で言いながら扉を開けた。

「議事録です。予備もありますので……」

「歩いて来たの? あんまり濡れてないみたいだけど」

「え?」

 私は一瞬眉を寄せ、それからヒサシが乗るクルマを目で示した。

「クルマです」

「あらー! 旦那さん? お仕事は大丈夫なの? 弁護士さんって伺ったけど……」

 伺うもクソも私は伝えてない。どこかの誰かが人の個人情報で遊んでいるのだろう。なんだか猛烈に腹が立ってきた。

「友だちです。議事録です」

 愛想笑いは早くも底を尽きてきた。そもそもの量が少ないのだから仕方がない。濡れないようクリアファイルに入れた上からビニール袋で包んだ紙の束を押し付けて去ろうとした背に、石瀬さんが唐突に言った。

「そういえば美晴くん、?」

「……は?」

 声が、勝手に出た。眉間に皺が寄るのが分かる。可愛げがない、その眼が悪いと言われ続けた両目が石瀬さんを睨み付ける。あらあらあら、と石瀬さんは余裕をかました顔で笑う。

「いいのよお、そんな顔しなくても。別に悪いことしてるわけじゃないし。でも相澤さんまだ若いのにどうして産まないのかなって……、」

「失礼します」

 話を途中でぶった切り、背を向けた。舌打ちをしなかった私を褒めてほしい。彼女の胸ぐらを掴まなかった私のことも、誰か偉いと言ってほしい。石瀬家の玄関からほとんど走るようにクルマに戻った。すげー顔してるけど、とヒサシがつぶやいた。

「大丈夫?」

「ぶっ……………殺したい」

「そっか。じゃ帰って飯食いながら殺害計画練ろうぜ」

 こういうことを言われるのは初めてじゃない。以前は言われる度に泣いていた。美晴を産んでいない自分と、子どもを産みたいと思えない自分、それでも子どもを育てている自分のバランスが取れなくてわんわん泣いていた。今は違う。今はただ殺意だけを感じる。


 帰宅したら美晴がいて、昨日作っておいたハンバーグのタネをフライパンに乗せていた。私の美晴は最高だ。

「ヒサシくんじゃん!」

「おっす。ハンバーグ食いに来た」

「マジで!? あっ……もしかして」

 私の美晴は最高なのだが、最高すぎて時々読心術を使う。

「石瀬ん家行ってきたの?」

「ん」

「なんか嫌なこと言われたんだろ! ユキちゃん!」

 美晴は知らなくていいよとか気にしないでとか言う前に、

「石瀬殺害計画練りにきた」

 とヒサシが言ってしまった。バカ。

「ヒサシくんはなんですぐそういうこと言うんだよ? おとなだろ」

「おとなだからこそすぐこういうことを言ってしまうのだよ。矯正できん」

「はあ〜? 謎……」

 謎、と言いつつも美晴の目はじっと私を見詰めている。優しい美晴。

「殺さないから大丈夫」

「それは分かるけど……俺さ、事情聴取してきたんだけど、今日」

「事情……なに?」

「6年の石瀬姫とその妹知ってるやつ探して聞いたわけ! 母親がどんなやつか!」

 探偵ごっこはやめろと言ったのに……と思いながら、私とヒサシはふたりして美晴の調査結果を聞くことにする。

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