死地、或いは対話

 見える? あの石碑。そうそう、昔あそこにあった神社を偲ぶっていう名目で建てられたやつね。メインの土地はその後ろ……見えるよね? あのクソバカでかいビル。金にモノ言わせて土地買い上げてビル建てて、でも神社の神様からの祟りは怖いから石碑を置いて忘れてませんよアピールをする、人間なんて変な生き物だよね。

 きみさあ……あそこにあった神社の名前知ってる? あ、そ、それは知ってるんだ。ふーん。それじゃあさ、その横っちょにバカデカい売春宿があったってことは? 知らない? ふふ、そうだろうなと思った。いや知らなくて当然なんだよ。一応あそこはさ、『昔神社があった場所』ってことにしときたい土地だから。遊廓とかさ、吉原とかさ、言葉や響きは綺麗にしてても結局は女に首輪付けて体売らせてた場所なわけじゃん? そういう店が堂々と営業してた跡地に建ってるビルって……まあ……ガイブン? が悪いじゃん?


 あー喉乾いちゃった、コーヒー買ってこよ……きみも飲む? 奢るよ。話聞いてもらうわけだし。ちょっと待っててね。コーヒーでいい? それともなんかあの、珍しい果物のジュースとかにする? きみ、そういうの好きそうだもんね。

 はい、お待ちー。ねえこれトロピカルミックスって名前だけどすごい色してんね。何が入ってるんだろ……美味しい? ねえ美味しい? それなら良かった。帰りテイクアウトしよっかな。ここ、ご飯も美味しいんだよね。時々来るんだ。え、なんでこんな路地裏の店を知ってるのかって? あの石碑とビルを同時に見張れる激レア立地のお店だからね。絶対潰れてほしくないから定期的にお金払いに来てんの。


 でなんだっけ……ああそうそう、売春宿の話。どっちが先にあったんだと思う? 神社と、売春宿。まあ一般的には神社だよね。神社ってほら、何かしらの理由があって建てられるのがほとんどじゃん? 奇跡が起きたとかさ、水が湧くとかさ、あとは有名な人の遺物が納められてる……とか……。もう分かったよね。逆なんだ。ここはね、売春宿が先、神社が後なの。

 あんまり驚かないね。やっぱ慣れてるの? こういう話。あの神社はね、売春宿の主人あるじが作ったって言われてる。というか、作った。御神体はなんだったかな。たぶん女の骨だと思う。店で死んだ女の骨。

 話を整理するね。時はたぶん……江戸時代。あっちこっちの地方から、家業、多くは農業とかだけど、とにかくそれだけじゃ食ってけなくなった人が自分たちの娘を売りに来た。その中にさ、いたのよ、見える女が。その女はあんまり体が強くなかったって聞いた。美人でもなかったって。だけどさ、言い当てるのよ色んなことを。客の商売がこれからどうなるかとか、おまえの女房妊娠してるぞとか、、とか、さ。

 最初は誰も信じなかった。売春宿の主人も女を厳しく折檻した。でもその予言がまあ、当たる当たる。特に祟りを見抜くのがうまくって、そういう心当たりがある連中が大金積んで女を指名したっていう記録も残されてる。まあ、きみたちみたいにお祓いまではできないから、祟られてるって教えられた人間は次は陰陽師探しに奔走することになったんだけど……とにかくまさかの方面でお店は大繁盛ってわけ。

 そんでまあ、その店の主人もさ、女衒で人でなしだけどちょっとは人の心があったから、女に褒美をくれてやるって言ったんだって。そうしたら女は、わたしは間もなく死にますので、死んだらこの店の近くに墓を建ててください、なんて言うんだって。そりゃ建てるよね墓ぐらい。欲のない女だなって、主人は思ったんじゃないかな。

 その後……この世のモノではない何かを見れる女を喪った売春宿は、また春を売るだけの店に戻った、と思うでしょ? 違うんだな。店のすぐ側に建てられた墓に、になったんだって。

 虫みたいに言うなって? まあ私もそう思うよ。でも実際そうだったんだから、仕方ないじゃん? 店の主人がたまに花を持って墓に行くとさ、女……若い女の時もあるし、年寄り、もしくはほんのガキのこともあったらしいんだけど、とにかく見知らぬ女がぼうっと突っ立ってるんだって。それでみんな言うの。「働かせてください」。そうそう、千と千尋。

 でさ、主人は考えたんだって。これはもしかして死んだあの女が自分と似たような能力を持つ者を集めているんじゃないかって。だから主人は湧いてきた女たちをテストした。そうしたら、結果は半々。見える女と見えない女、どっちもが墓の前に湧いていた。

 またまた主人は考えた。見える女は雇ってやってもいいだろう。売られてきたわけでもなし、この能力があれば「見られたい」客をまた集めることができる。だが、見えない女たちは? 若ければ、顔が良ければ、店で体を売らせてもいい。だが年寄りは? 先の長くなさそうな病持ちの女は?


 


 そう思った瞬間、それだけは駄目だって気持ちになったんだって。だって、。主人の店は最初の女のお陰で想定外の儲けを得ることができた。多少なりとも恩はある。手に負えなさそうな女たちを捨てるというのは……あまり良くない考えなのではないか?


「それで、主人は営業形態を分けた」

「理解が早くて助かるね。つまり」

「見える女、それから売り物にならない女を神社に入れ、見えないけれど売り物になる女を売春宿で引き受けた」

「ザッツライ」

「だが窓口は同じ、売春宿の主人。神社で見える女が見た分の料金も最終的には売春宿に入る」

「イエスイエス」

「その結果?」

「どっちも大繁盛」

「ハッピーエンドなの?」

「さあ? ただ主人は、店で客を取れなくなった女……病気になったとか、何遍も堕胎して体を壊したとか、子どもだけど気性が荒くてどうしようもないとかそういうのを全部神社に回したらしい」

「……その結果?」

「その結果、

 目の前の女の言葉に、咥えていたストローをガリリと噛んだ。あまり予想していなかった展開だった。

「墓には、一年にひとりふたりのペースで女は湧き続けていた。見えたり見えなかったりはまあその時々。主人は全員を連れ帰って、テストをして、神社と店に割り振った。だがある時神社を仕切っていた女から報告を受ける。病を抱えて店から神社に回された娘、彼女、見えてますよ、と」

 主人は驚き、すぐにテストを行う。仕事柄、見抜かれたくない後ろ暗いものを抱えている知人など山ほどいた。その中から何人かを見繕って、「見せる」。それだけ。

 病持ちの女は見事に言い当てた。だが彼女の生命の炎は間もなく尽きる。なぜ見えるようになったのか、誰にも分からないまま女は死ぬ。

 後天的に見える者は、その後も現れ続けた。いちばん可能性が高いのは、

「子ども」

「イエース。飲み込みがお早い」

「大抵そうでしょ。で?」

「神社の営業形態が変わる。見えざるものを見ることができる『巫女様』、これが子どもたち」

「その世話をする大人たちが……」

「宮司とか禰宜とかまあなんかそれらしい名前を付けてはいたみたいだけど、それらしいだけでそうじゃない。もともとはひとりの女の墓から始まった空間だからね。世捨て人、それも女ばかりが集まって作られた擬似家族みたいなもんよ」

 アイスコーヒーを一気に飲み干し、女は微笑んだ。

「その後。時代の流れ、法律の改正などに伴い売春宿は廃業。神社だけが残る」

「店の方で働いてた女の人たちは……?」

「残されてた文献によれば、主人からお金を渡されて解散! ってなったみたい」

「ほんとかな? ずいぶん良心的だね」

「きみ、私の話聞いてた? 

 一瞬眉を寄せ、すぐに解く。なるほど。御神体である骨となった女は、骨になっても尚その力で周囲からの畏れを得ていたのか。

「そんで、ですけど……」

「うん」

「俺にその話をしてマジでどうしたいの? ていうか、ここから石碑とビル見張ることになんか意味とかあんの?」

「その神社はさあ」

 グラスの中に残っていた氷を噛み砕きながら女は言う。

「男禁止なわけ」

「はあ」

「分かる? 分かってないな、その顔は。つまりさ、売春宿と共存してた時は、墓に湧く女、ふつうに売られてくる女の中両方にそれ系のやつが一定数いて、神社の中には常にそこそこの人数がいたわけよ」

 巫女と呼ばれる少女たち、彼女の姉や母や祖母のような立ち位置の女たち。

 かりそめの家族。

「残念ながら人間は勝手に増えないからね。男と女がどうこうして、女の腹にガキが宿る。その流れをあの神社は拒んだ」

「……」

「それでも建物があるあいだは良かった。敷地内の墓には時々女が湧いたし、そうじゃなくても行き場のない女たちの駆け込み寺……駆け込み神社になれてた。駆け込んできた女が後々見える女に羽化することもあったからさ。でも」

「土地の再開発で建物はなくなり……」

「女たちは散り散りに、……とでも思った?」

 女がダークレッドのまつ毛をゆっくりと上下させる。喋りすぎた所為か、同じ色の口紅が少しばかり剥がれている。

「女たちはまだ、いる。住む場所こそ散り散りになったけれど、初めの女の名を冠した集合体として、定期的に連絡を取り合い、全国を回って虐げられている女や子どもに手を差し伸べる活動をしている」

「……その心は」

「あんたもそっち側の人間なら一度ぐらいは聞いたことあるでしょ、四宮しのみやの女たち。またの名を、」

「魔女」

 吐き出した言葉が己の肩に伸し掛かってくるようだった。四宮しのみやの女。名前はたしかに聞いたことがある。発祥が今はもうない都内某所に存在した神社だということも知っている。彼女たちは女だけを救う。彼女たちは全国を転々と移動し、拠点をひとつに定めない。彼女たちは男を断罪する。彼女たちは子どもを守る。彼女たちは鏡に映らない。噂だけなら幾らでも聞いたことがあった。

「俺にその話ししてほんと、マジで……」

「私はさあ、まあもう分かってると思うけど四宮に縁がある人間なんだよね。それも悪い方の縁。だからこうして石碑とビルを見張ってる」

「あのビル……どっかの会社の持ち物だよね、なんつったっけええと……」

「株式会社五陽いつひ出版」

「でかい出版社だねえ」

「四の次は?」

「は?」

「数字。四の次は?」

「五……いやでも言いがかりじゃね? それはいくらなんでも」

「どうかな。それはまあ、そのうち分かるよ。私が死んだ時とかにさ」

「死ぬの、ツバキさん」

「まだ分かんない。でもまあ、そうね、今日のこの会話は保険、だ」

 くちびるの端を上げて笑う女が、おそらく己よりも幾つか年下であるということに不意に気付く。

「四宮はさ、全国を回って次の四宮になれる女を探している」

 ツバキが唸る。獣じみた目。

「悪循環をやめさせたい」

「それは、悪循環なの? ツバキさん的には」

「……ああ、あんたは、見えない方なんだっけ」

 ご高名なお兄様には絶対に来てもらえないと思ったからあんたを呼んだんだけど、とツバキは低く笑った。自嘲めいた笑みだった。

「今度、お兄さんを連れてきてご覧。ビルの屋上に社があって、そこにやべえやつがいるのが見えるから」

「それは、最初の……?」

「もうやめよっか、市岡ヒサシくん。もしもこの先縁があったら、またこの店で会おうよ」

 死地に向かうような女の声に、うまく言葉を返すことができなかった。それで最後に、絞り出すように尋ねた。

「名前、もっぺん、聞いていい?」

逢城おうじょうツバキ。今度会う時は、違う名前かもね」


 2年前の夏の話だ。

 あの店はもうない。

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