代理人

 先生、見える人なんですよね。確信を込めた俺の問いに、弁護士の市岡稟市いちおかりんいち先生は大きく顔を顰めた。その話題には触れてくれるなと端正な顔にでかでかと書かれている。だがその程度の反応は予想済みだ。

「俺、ライターなんですけど」

「はあ知ってますよ。フリーライターのあなたが他人の生活スペースに無断で踏み込んだことによって起きた揉め事を解決するために呼ばれたのが、私、市岡、です」

 物凄い早口だった。俺に絶対に口を挟ませないという強い意志を感じた。

 たしかにおもに芸能人やSNS上の有名人の私生活に踏み込んだ記事を書いて売り込むことで飯を食っている『フリーライター』の俺は市岡先生に迷惑をかけただろう。これまでもこの手の揉め事はそれなりに引き起こしてきたのだが、今回は相手が悪かった。イケメン弁護士YouTuberとして人気気急上昇中の清水菖しみずあやめと青年誌のグラビア出身で今は映像作品でも活躍している田中媋子たなかゆうこの不倫記事。記事が世間に出た瞬間に訴えられた俺を守るために出版社が付けてくれたのがこの先生だった。

「会社に恩返ししたいんすよ。俺みたいなやつに弁護士先生を付けてくれた……」

「あの記事が載った号は信じられないぐらい売れましたからね。重版も何回かしてましたし」

「清水菖は愛妻家で子どももいっぱいいるってのが売りでしたからねぇ……いやー我ながら良く見抜けたもんだ」

 これはフリーライターとしての俺の第六感みたいなものだ。善人ぶってるくせに裏で悪事をはたらいたり、でかい隠し事をしているやつはひと目見れば分かる。清水菖もそうだった。感染症で家にいる時間が増えた夫とそんな夫を疎ましく思う妻の関係再構築について云々とかって語っている配信を見た時に、ああこいつだとピンと来たのだ。それで彼の身辺を探ること約10ヶ月。記事は高額で売れたが同時に俺の首を絞めた。下手をすればこれまで仕事をしてきたすべての媒体から総スカンを喰らうところだった俺に、記事を掲載した週刊誌を擁する出版社が救いの手を差し伸べてくれたのだ。

「ね、何かないですか、先生が今まで見たり聞いたりした中で俺に話してもいいような怖い話」

「これでも弁護士なんで……守秘義務が……」

 小春日和の今日は少し汗ばむほどに気温が高い。無意識に捲り上げていたらしいシャツの袖を僅かに慌てた様子で下ろしながら市岡先生は呟いた。彼の両腕にはびっしりと極彩色の刺青が施されている。タトゥーじゃなくて、刺青。どういう主義で刻んだ紋様なのかは分からないが、もしかしたら彼の『見える』体質と何か関係があるのかもしれない。とか言って、彼が弁護士だと知らない人間にはただの半グレ兄ちゃんにしか見えないだろうけど。

 冷め始めたコーヒーをひと息に飲み干した市岡先生は手元に置いていた黒いマスクを身に着けて、まあとにかく、と俺の目を見て言った。

「あんまり無茶はしないことですよ。私は二度とあなたの代理人を引き受ける気はありませんから」

「それって、俺の仕事ぶりがヤバかったからです? それとも清水菖に何か……」

「聞きたがらないでください、面倒臭い人だなぁ」

 うんざりとり吐き捨てた市岡先生はマスクに人差し指をかけてぐいとずらし、鞄から取り出した煙草をくわえて火を点けた。紫煙が俺の鼻先に吹きかけられる。

「あなたに話せるレベル? そんな話があるはずないでしょう。でもそうだな、今回の件に関係あるエピソードなら」

「! 聞かせてください!」

 メモを取ろうと取り出したiPhoneにも煙がかかる。何か意味があるのだろうか。

「清水菖も見える弁護士なんですよ」

「え?」

「何が見えてるのかは知りませんけどね、清水、あいつ、同期なんですよ」

「大学の……ですか?」

「そ」

「それで、いったいなにが見えて……」

「知りません。でも見てる。あいつ、困った時はいつでも清水事務所へ! なんて調子のいいこと言いながら確実に金になる案件しか受けないんです。それも、うーん、なんていうかな、つまり、あなたがすっぱ抜いたような」

「……あ、不倫、できそうな」

「それ。三度の飯より女体が好きな男ですからね。そういう相手が依頼してくる確実に勝てる案件が、清水センセイの飯の種です」

「また記事にしたらまずいすかね……今度こそ潰されるかな」

「潰されますよ。次があればね」

「あは、先生、含みのある言い方ですね。ねえ、記事にしないから教えてください。清水菖は本当はなにがヤバいんですか?」

 市岡先生は無言で紙巻きを灰皿に押し込み、新しいやつを取り出して火を点ける。代理人を引き受けてくれた御礼を言いたくてお会いできないかと誘ったのは俺なのだが、面会場所としてこの喫茶店を選んだのは市岡先生だ。東京と埼玉のちょうど境目の、少し埼玉寄りにある古びたカフェ。都内のカフェは粗方全面禁煙になってるからここを指定したのだろうか。

「清水に会うのは10年ぶりでした」

「はあ」

「随分背負しょってたけど、自分では気付かないみたいだったな」

「なにを……」

「女ですよ。生きてる女、死んでる女、あいつの口車に乗っていいようにされた女が、こう、」

 と、先生は両腕を大きく広げて、

「清水をぐるっと囲んで、包み込むみたいにね」

「……待ってください、死んでる女? あの人、ひと殺してるんですか?」

「俺の見立てでは大半が自死です。だけど何人か、自分ではやってないけど……ってのが、まあ、いましたね」

「それ、犯罪じゃないですか」

「犯罪ですよ」

 先生がまた煙を吐く。紫煙は煤けた天井に溶けて消えていく。

 溶けて……消えていくその刹那、俺にも見えた。

 天井いっぱいに広がる女の顔が。

「えっ」

「見えましたか、見ちゃったかー。いやー。俺も見せる気はなかったんですけどね。でもだって響野きょうのさん、あなたが知りたがるから」

 女の顔はひとつではない。数えられるだけでも十はあるだろう。泣いていたり、笑っていたり、怒っていたり表情は様々だが、

「見てますね……俺のこと」

「あなたが清水を一瞬でも追い詰めたから、期待してしまったんでしょうねえ。自分たちの無念を晴らしてくれるんじゃないかって。ちなみにいま見えてる女性たちは皆死んでます」

 10人以上の女性が、人間がひとりの弁護士に弄ばれて命を落としている。気付けば全身に鳥肌が立っていた。恐ろしいから? いや、そうではない、これは。

「やめときなさいよ響野さん。清水はああ見えて厄介な男です。見えるとか見えないとか関係なく、」

「分かってます。自分でやらずに人を死なせることができるやつなんて……」

 そんなやつ。

「人として最悪じゃないですか!」

「そう、その通り。あなたはそれだけ知っていればいい。残りは俺がどうにかします」

 市岡先生がまた煙を吐いた。空調に押し流される煙とともに、女性たちの顔は消えていった。


 数日後、俺は性懲りもなく清水の事務所前に張り付いていた。スクープがほしいわけじゃない。ただ、あの日俺を見ていた女性たちの目、眼差しが忘れられなかったのだ。俺にもなにかできることがあるんじゃないか。俺のような、害虫みたいな男にも。

「……あ!」

 などと考えている目の前に一台のクルマが停まった。ハンドルを握っているのはスーツ姿の女性。助手席には。

「市岡先生……? じゃない?」

 顔立ちは良く似ているがこっちの方が若い。クエスチョンマークを飛ばす俺の目の前で、先生本人は後部座席から降りてきた。

「でりんちゃん、俺は何すりゃいいの」

「いつも通りでいい」

「いつも通り弾いて消しちゃえばいいわけ?」

「そう」

「簡単だね」

「ああ」

 ふたりは俺に聞かせようとしているかのような大声でやり取りし……不意に若い方が大きく笑った。

「あんたはそこで見てなって!」

 


 清水菖がその後どうなったのかを俺は知らない。気がついたらYouTubeのチャンネルもなくなり、SNS上からも姿を消していた。不倫相手の田中媋子も活動休止を表明していたので、清水は離婚、弁護士事務所も閉鎖し、その後田中と再婚してほとぼりが冷めたタイミングでやり直すつもりなのではないかという噂がまことしやかに囁かれる程度だった。

「消しちゃう……」

「は?」

「消しちゃうって言ってたんだよね、あの時」

「あ〜なに、またこないだの弁護士のツレの男の話? 響野くん結構しつこいんやね」

「だって気になってさ」

 俺の仕事は相変わらずだ。決して上品とはいえないゴシップ記事を書くことで日銭を稼いで細々と生きている。ルームシェアをしている友人(鳶職人だ)が、肩を竦めて言った。

「消す……ゆうたら消すしかないやろ」

「殺したってこと?」

「『いつも通り弾いて消しちゃう』、拳銃チャカでも使こたんと違ゃうの」

「市岡先生がそんなことするかなぁ」

「俺は知らんようたことないし。でも実際消えてしもたんやろ? その悪徳弁護士」

「うん……」

「それならええやん。これ以上被害者も出えへんやろし」

「そう……そうかなぁ……」

 市岡先生と連れの男性は、清水菖からなにを『弾いて消した』のだろう。そればかりが気になって次の仕事への集中力がスカスカになってしまっている。というのは言い訳なのだけど。

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