神様未満

 あんたお祓いできるんだろ、こいつどうにかしてくれよ、とその男は挨拶より先に叫んだ。市岡稟市いちおかりんいちは目をまん丸にし、

「それはいいんですが……あなたはいったいどちら様ですか?」

 とどうにか尋ねた。市岡にはその男が言う『こいつ』が見えていた。というか。

「ちょっ、何どうしたの大声……うわっ何それ!?」

 アポイントも何もなく弁護士事務所を訪れた客人を通した応接室に、ビジネスパートナーである相澤鳴海あいざわなるみが飛び込んでくる。彼の背後にはお茶菓子を乗せたお盆を手にした事務員のユキムラがやはり目を丸くして立ち尽くしている。

「あんたらにも見えるんだろ!? こいつ、なんなんだよ!?」

「ユキムラ、お茶ありがとう。外出てて。相澤、ちょっとヒサシ呼んでもらっていいかな? どうせ家で寝てると思うから」

「はい、先生」

「ええけど……おまえは大丈夫なんか?」

「ん」

 テーブルを挟んで真正面のソファに招かれざる客人は腰を下ろしていた。その客人の目の前に名刺を滑らせ、

「市岡と申します。弁護士です」

「祓い屋だって聞いたぞ!?」

「そっちは趣味のようなものです。……あなたの名前をお尋ねしても?」

 市岡よりひと回りほど年上と思しきその男は、自らを芹井せりいと名乗った。

「芹井さん。えらいの背負ってますね」

「見えるんだな? ちくしょう、早く追い払ってくれよ!」

「はあ……。しかしその前に幾つか。どこで拾ってきてしまったんですか、それ?」

 芹井は、見るからにやくざだった。頑健な肉体による暴力と悪事に関しては鋭く切れる頭脳を合わせてこの世をサバイブしてきたのだということが、ひと目で分かるタイプのやくざだった。そのいかにも高価そうなスーツの肩に、何やらねばねばとした灰色の液体が纏わり付いている。腐臭がするような気もするが、正確なところは良く分からない。灰色の液体は芹井の両肩に手を掛けるようにして、彼の体にぶら下がっていた。重量はなさそうだ。だが、目がある。血走った眼球がある。それも5つ。どこからどう見てもこの世のものではない。

 5つの眼球はそれぞれ違う方向を見ている。ぎょろりぎょろりと動くそれは交互に確実に芹井の挙動を確認しており、その中のひとつと市岡は何度か目が合った。敵意は感じない。少なくとも市岡に対しては。

「芹井さん、やくざですよねえ」

「……」

「俺相手に伏せても意味ないですよ。お社でも壊しましたか」

 市岡はテーブルの上に置きっぱなしにしていた煙草の箱を手に取り、紙巻を一本抜き出し火を点ける。紫煙を液体、或いはスライムの一部に吹きかけてみるが、特に効果はなさそうだ。迷子になってる霊魂程度ならこの行為で三途の川を渡らせることもできるのだが、今回はそう簡単にはいかないらしい。

「……ホームレスだよ」

「はい?」

「駅前に溜まってるホームレスを追っ払ってくれって頼まれたんだよ! それで」

「ちょっと待ってくださいね。相澤! iPad持ってきて!」

 応接室の扉を少し開けて相方を呼ぶ。相澤はすぐにすっ飛んできて、市岡の隣に腰を下ろした。

「場所は?」

「……⚪︎⚪︎市の、駅……」

「県内やん勘弁してや。あ、これかな」

「どれ」

 比較的最近の出来事だった。埼玉県内ではそれなりに悪名が高い半グレ集団が、とある駅の周りで暮らしていた路上生活者を襲撃し、数名が怪我を負わされ生活拠点を追われたという事件。

「これ、あなた方が?」

「……頼まれたんだよ! クソ! だいたい、俺が直接やったわけじゃねえ!」

 芹井が怒鳴るたびに眼球が彼を睨み付ける。スーツの肩はぐっしょりと濡れているが、彼は特に何も感じていないのだろうか。それとも虚勢を張って気にしないふりをしているだけなのだろうか。

 相澤が手にするiPadで事件の概要を拾いつつ、頼まれた、と市岡はちいさく呟いた。

「誰に?」

「……」

「だんまりやめた方がええと思いますよー。それ俺にも見えとるの異常やし。隠し立てせん方がええと思いますけどね」

 相澤の軽口に芹井は露骨に殺気立ち、しかし相澤は決して間違ったことは言っていないのだ。こういうモノは通常、限られた一部の人間の目にだけ触れる。誰彼構わずという現状は異常だ。

「……岳野がくの

「はい?」

岳野公久がくのきみひさ。議員だ」

「待って待って……あっ⚪︎⚪︎市の市議会議員や!」

「野党?」

「与党!」

 iPadを覗き込みながら二本目の煙草を咥える。効果がないにしても煙は焚いておいた方がマシだろう。眼球の攻撃対象にこちらが含まれないように、打てる手はすべて打っておきたい。

 それに、岳野の名が出た瞬間眼球たちが一斉にこちらを見た。何かの心当たりがあるということなのだろう。

「その岳野さんが、あなた方に依頼を?」

「駅前にホームレスが溜まってて、市の景観的にアレだからどうにかしてくれって……」

「……はー」

「アホの考えることや」

 相澤が言う。言わなくていいのに。眼球と同じぐらい血走った目で芹井が相澤を睨む。

「議員さんならほかにできること幾らでもあるやろ。やくざに追い払わせるなんて悪手中の悪手や」

「若い議員みたいだし、早めに片付けたかったのかもね……ていうかこいつ出身地俺らの村の隣じゃん。サイテー」

「マジで? ほんまにあの辺の人間にはろくなもんがおらんな」

「とにかく! ホームレスをボコした日からこいつが背中から離れねえんだよ! なあ、金は払うからなんとかしてくれよ!!」

「稟ちゃんお呼びって聞いたんだけどなーにー……うわ何それ!?」

 芹井が叫ぶのと同時に応接室の扉が開き、若い男が飛び込んできた。市岡ヒサシ。稟市の実弟だ。

 稟市にはこの世のものではないものが見えるが、ヒサシには見えない。だがヒサシには、この世のものではない悪しきものを消滅させる能力がある。だからわざわざ呼び出してみたのだが。

「見えるか?」

「見えるぅ……えっもしかして鳴海くんにも見える?」

「見えるんやなぁ。ユキにも見えとったし、おかしいでこれは」

 液体眼球スライムは『悪しきもの』ではないということか。闖入者であるヒサシを観察するように見詰めているが、その存在が消え去る気配はない。

「なんか……お社とか壊しませんでした?」

 いちばん初めと同じ問いを、稟市は繰り返した。芹井の眉間に皺が寄る。

「俺がやったんじゃねえっつってんだろ。俺はあの馬鹿連中に指示出しただけで」

 馬鹿連中というのは半グレ集団のことだろう。稟市は大きく嘆息し、確認してください、と言った。

「彼らがいったい何を壊し、誰を傷付けたのか。確認しないうちはこちらとしても何もできません」

「……神様、じゃん?」

 ヒサシが呟いた。稟市と相澤が座るソファの背凭れに腕を置き、その上に顎を乗せた格好で続けた。

「俺に消せないの、神様しかいないもん」

 見るからに青褪めた芹井がスマートフォンを乱暴に叩いてあちこちに電話をかけ始める。相澤はiPadで岳野公久の事務所の場所を確認している。稟市は眼球のひとつとずっと視線を合わせ続けている。


--


 芹井の聞き取りの結果、路上生活者のひとりが生活空間の中に作っていた神棚が破壊されていたということが発覚した。

「それだー」

 とヒサシが言った。半グレ集団は自分たちの行った暴虐の結果をスマートフォンで撮影することで記念としていた。転送されてきた画像をくまなく確認したヒサシが、これこれ、と一枚の画像を指し示した。

「そのねばねばは、もともとここに住んでた!」

 無惨に破壊され火までかけられた神棚の跡地の画像を、稟市は眉根をきつく寄せた表情で見詰める。

「ハンドメイド宗派って感じだな」

「だね。ねばねばはたぶんほんとは神様じゃないんだけど、こうやって神棚作ってもらって毎日拝まれることで神様になろうとしたんじゃないかな?」

「つまりどういうことだよ」

 唸るように問う芹井に、罰が当たってるんですよ、と稟市は答えた。

「ねばねばは神様として自分を拝む人たちを守ろうとしたけど、叶わなかった。だからせめて、彼らを虐げた加害者に罰を当てようとしてる」

「だから、俺がやったんじゃないって……!!」

「でも指示出したんでしょ。ねばねば的にはあんたがいちばん悪いんだよ」

「俺は、頼まれて……」

「そう、それだ」

 ヒサシがぱちんと指を鳴らす。こいつ楽しんでるな、と稟市は思う。

「ねばねばに教えてあげたらいいんだよ。誰がいちばん悪いのかをさ」

「……!!」

 芹井の顔が引き攣り、それからひどく醜い笑顔になった。邪魔したな、と言い置き応接室を出て行く彼は、稟市の名刺をテーブルの上に置き去りにしていた。

「ちなみにねばねばが出てくることであの人にはどういう不具合があったんだろうね?」

「常に背中にねばねばがくっついとったらそれだけで嫌やろ」

 ヒサシの問いに、相澤が呆れ声で応じる。

「またタダ働きしちゃった……」

 うんざりと唸る稟市に、まーでもあんま関わんない方がいいじゃんああいう神様未満にはさー、とヒサシがへらへらと笑って、芹井が食べなかった最中の包みを開けて頬張り始めた。それはたしかにその通りなのだが。


--


 翌日、市議会議員岳野公久が反社会組織に金銭を渡すことで路上生活者たちを駅前から追い払おうとしたという報道が全国ニュースで一斉に報道され、岳野本人は体調不良を理由に国立病院に緊急入院した。メディアに一瞬現れた岳野の背広の肩にはびっしょりと濡れたような跡があり、事務所のテレビでその様を確認した相澤が、

「目ぇいっこしかないやん」

 と呆れたように言った。そう、岳野に取り憑いた眼球はひとつだけ。

「残りはどこにいったんや」

「まだ芹井にくっついてるでしょ」

「なんのために?」

「ほかの悪いやつを見つけて、そいつに罰を当てるために。神様未満だから、できることには限りがあるのさ」

 でも、できるだけのことはしようとしているんだろうね、自分を神様にしようとしてくれた人たちのために。芹井も岳野もすぐにではないが遠からず命を落とすだろう。神様‘未満’はじわじわと、じっくりと、復讐を果たす。後味は悪いけれど邪魔をする理由もない。事務所の入り口に気休めの塩を盛りながら稟市はそんな風にひとりごちて、小さく息を吐いた。

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