第3話
翌日、身支度を整えていると、インターホンが鳴った。
春分の日。祝日だがサービス業の両親はすでに出かけており、妹は休日も休日とて、自分の部屋で爆睡中だ。
(誰だ? 宅配か?)
唯一応対可能な麻人が、上着に手を通しながらモニタをのぞくと、そこには誰も映っていない。
ぴんときた。急いでかばんをひっつかんで外に出る。途端、鼻すれすれに夢香の明るい笑顔がぼんと浮き出してきた。
『おっはよう、ございまーす!』
麻人は答えず、指先だけで「こっち来い」と促した。足早に家から離れながら、小声で文句をつける。
「お前な、霊体のくせにどうやったか知らないがインターホン鳴らすなよ! モニタに映ってなかったぞ!」
『あー、ですよね、ごめんなさーい。えへへ、実はね、もっと早く着いてたんですよ。9時前だけどガマンできなくて、つい鳴らしちゃった』
麻人は深いため息をつくが、夢香は意に介していない。にいっと笑い、麻人の横から正面にふよふよと移動してきた。
『それより、今日はどこ行きます?』
「水族館、ショッピング、公園でボートだろ」
『わっ。覚えてくれてる。でもでも、佐藤先輩オリジナルのスペシャルコースでもよかったんですよ?』
「……なら厄除けお祓い・寺社めぐり盛り盛りプランにするか?」
『やー。渋すぎます! せっかくおしゃれしてきたのに』
気にするのはそこか? 祓われるのは気にしないのだろうか。
と思いつつよく見ると、確かに夢香は装いに気を使って来たらしい。ふわふわ髪のツインテールを彩るリボンは、昨日は存在しなかった。服は、ざっくりした白いニットに菜の花色のフレアミニスカート。
霊体もその気になれば着替えができるのかと、麻人はちょっと驚いた。そして、似合っていて可愛いと、一瞬だけ思ってしまったのを打ち消した。
**
移動中、それなりに気を使ってか話しかけてこなかった夢香だが、水族館に入った途端、そんなことは忘れたらしい。明らかに目を輝かせ、勝手にはしゃぎ始めた。
『きゃー。マンボウ大好き~♪ タテの顔がかわいー』
『わー。アザラシが潜ってきたー』
『先輩見てー。カニカニカニ~。じゃんけんしません? 100パー勝てますよ~』
誰にも見えないし、何にもぶつからないのをいいことに、時には水槽の中にまで入って魚にちょっかいをかけている。生身の麻人は、何やってんだこいつという気持ちで見守っているしかなかったが、霊のくせにそこにいる誰よりも生き生きしている夢香を見ているのは、意外にもそんなに悪くなかった。
『やーん、もー、楽しかったー。ついはしゃいじゃって、あたしばっかりすみませんー』
「いや、おれも楽しかったよ。新種の魚を見てる感じで」
『え、それ、あたしのこと? なら人魚姫って言ってください☆』
「……」
水族館を出て、ショッピングモールに行っても、夢香のハイテンションは同じだった。さすがに霊体に買い物はできないが、店を覗いて『かわいー。ほしーい』と言って回るだけで楽しいらしい。
中でも彼女は、虹色のガラスでできた熊のキーホルダーを、キラキラ目で見つめていた。麻人はしばらく様子を見ていたが、離れる様子がないのを見てとって、それをつまみあげた。
『わ。先輩、それ買っちゃう?』
「いや別に、このくらい……」
プレゼントしても……と言いかけて、麻人は言葉を止めた。霊体の夢香にこれをどうやったら渡せるのかと、ふと思ってしまったからだった。
と同時に、急に頭の芯が冷えたような気がした。
ガラスの熊をつまんでいる麻人。自分では夢香と一緒にいると認識してここにいる麻人。だけど、傍目に麻人はひとりでしかなく、そしてそれは――傍目だけではない可能性もあるのだった。
麻人はいまだに、彼女がなぜ霊体になったのかを聞いていない。どこで暮らしていたのかも知らない。
『東夢香』が実在したのか、知らない。
だとしたら、今ここに見えている東夢香の『霊体としての実在』は? 疑わずに受け入れていいものなのか――?
『佐藤先輩?』
麻人ははっと我に返った。
「なあ……」
『何ですか?』
「……まあいいや。次行くぞ」
麻人は言葉を切って、キーホルダーから手を離す。夢香はきょとんとしながらも、素直についてきた。
麻人はしばらく無言で歩いた。
夢香は「いる」のか? もし幻覚だとしたら?
幻覚だとしたら、デートしてプレゼントまでしようと思ったなんて、こんなバカな話はないと、麻人は思った。
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