第2話
『きゃーん、言っちゃった♪ 言っちゃったああー♪』
目をまんまるにして固まった麻人の前で、夢香は両の手を頬にあて、ぴょんぴょんと踊り続けていた。
「え、と、いや、その……」
戸惑って、麻人は呼びかけだか何だか分からない言葉ばかりを口走る。
「ちょい待ち? おれ、幻覚に好かれ……?」
『もう。だからぁ、違うって言ってるじゃないですか』
夢香はぶうと頬を膨らませた。
『あたしは幻覚じゃなくて、ちゃんとした霊体です』
「何だよ、それならそうと早く……は!? 霊体!?」
『そうですぅ。普通、そっちを先に思い浮かべますよ?』
「いやいやいや、おれはそういうの信じないし!」
『でもあたし、ちゃんとここにいるじゃないですか』
「幻覚だ!」
『違いますっ!』
夢香はますます頬を膨らませたが、ふっと表情を緩めた。にゅーと目を細くして、もじもじと肩をゆする。
『あたしね、先輩に一目ぼれしたんです。えへへ。先週くらいだったかな』
「……」
『その日あたし、たまたまコンビニの上のほうを漂ってたんです。そしたら、8時半くらいかなあ、小さい女の子が泣いて入ってきて。覚えてます? 迷子だったんですよね、あの子。先輩はその子にジュースおごって、バイトが終わるまで待つように言って、そのあと交番に送ってました。そのとき、わー、なんてステキな人なのって思ったんです~』
なるほど、確かにそんなことはあった。店員としてすることをしたまでだが、夢香と名乗る霊にはそれが魅力的に見えたのか――と納得しかけて、麻人はぶんぶんと首を振った。
「や、でも待て、ちょっと待て。君がその出来事を知っているからって、幻覚じゃないって証明にはならないぞ。おれが知っていることを君が知っているのは、おれが作った幻覚なら当たり前だ」
『うわ、リクツっぽー。でも、この際どっちでもいいじゃないですか。あたしが先輩を好きなのは変わりません!』
何てポジティブなんだと麻人は感心する。少なくともこの前向きさは、自分にないものかもしれない。だが、簡単に納得してやる気はなかった。
「じゃ、逆に。幻覚じゃないのに何でおれの名前を知っている?」
『え、だって、コンビニのオーナー室で履歴書見たから』
「おいおい、どこに忍び込んでるんだ!」
『えー。だって霊体だし。あたし、好きな人のことは調べるし、付きまとうタイプなんですよ♪』
わりと怖いことをさらっと言って、夢香は手を組み、空に目を泳がせた。
『もうねー佐藤先輩ステキすぎ。迷子ちゃんへの優しさもそうだし、バイトして社会を勉強しようというその熱意も、ほんと尊敬です♪』
「おれ、ダイビングやりたくて金ためてるだけだぞ」
『それでも尊敬です! しかも佐藤先輩は、真剣な顔をすれば何となくカッコよく見えなくもない雰囲気イケメンじゃないですか! そういう人は働く姿こそサイコーです!』
何か失礼なことを言われている気がするものの、麻人はもう何も言えない。夢香は相変わらず、くるくると踊るように身体をゆすっていたが、また麻人に向き直った。
『だから、あの……最初に戻りますけど、あたしと付き合ってください』
麻人が何も言わないでいると、夢香はあわてたように付け加えた。
『いやっ、あの。こんな出会い方じゃ困っちゃいますよね、分かります。でもあの、お願い。デートだけ! デートだけしてくれませんか』
夢香は乗り出してきた。
『ね~。お願いです。一回デートしてくれたらそれでいいですから。あっ、デート代ならお気づかい無用です。あたし霊体で行きますから、あたしのデート代はかかりません。それに、それに……』
麻人は一生懸命語りかけてくる彼女を前に、めまぐるしく思案を巡らせていた。
中学3年生「だった」――彼女を信じるなら、夢香は中3という年齢で亡くなって、霊体としてたまたまコンビニを漂っていて、麻人に惚れたということになる。そして、デートしてほしいと言っている。
麻人は、幻覚の可能性をまだ否定してはいなかった。しかし一方で、目の前でお願いを繰り返す彼女の姿にほだされかかってもいた。何だか、あまりに一生懸命で――ひょっとして、聞き届けないと呪われるんじゃないかという気さえして。幻覚に呪われるとしたら変だけど。
『それに、えーと、あたしとデートするメリットとしては、えー……』
「分かった」
『え?』
「分かったよ。明日でいいならどこか行こう。春分の日だし、バイトないし」
夢香が目を見開いた。大きく大きく、文字通り皿のように。
『……ホントですか……?』
「嘘ついてどうすんだ」
『きゃーーんっ、ばんざーい♪ やったー! うれしーっ!』
くるくるくる、ぴょんぴょんぴょん。
手足がどうなってんだかわからないくらい跳ねまくり踊り回ると、彼女は急にぐっと顔を近づけてきた。
ぴっかぴかの笑顔が真正面。
『ありがとうございますっ! あたし、水族館に行ってそのあと軽くショッピングして、最後に公園でボートに乗りたいです。じゃあ、明日の朝9時に、おうちの前で待ってますね』
「え。うちの前って……」
『あ、履歴書見たから住所知ってるんです。ちなみに何度か先輩をつけていったんで、もう場所もばっちりです♪ じゃ、明日ねー』
ふいっ、と風が巻き起こったような気がした。
夢香の姿が唐突に消えうせた。その場は急に静かになり、麻人ひとりと、人通りもない狭い住宅街の道だけが残された。
というか、静けさはもともとだ。ただ夢香がうるさかったのだ。
そう、確かにうるさかった――。
「東夢香――」
麻人はそっと、固まっていた足を踏み出す。一歩ずつ現実を踏みしめるように、残りの道を歩き出す。
彼女は本当にここにいたのか。やっぱり幻覚じゃないのだろうか。
とりあえず明日を待とうと、麻人は思った。
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