見えないカノジョの一目ぼれ

岡本紗矢子

第1話

 午後6時から3時間の、コンビニバイトを終えて帰る道すがら。

 佐藤麻人あさとは、イラついていた。


『バイトお疲れでっす~。今日は何買ってくのー?』


 バイト上がりに食べたいものを買って帰るのは、麻人の習慣だ。肩のあたりで、何とも甘く子どもっぽい女子の声が聞こえ出したのは、その買い物の直後から。それは麻人にまとわりついて、ずっと続いている。


『わ。板チョコとココア。チョコ&チョコ! わー、甘々ー』


 麻人は目に見えて、つかめるものが好きだ。世の中は物理法則のみで成り立っていると信じている。

 だから、声の主のいない声は100%脳のでっちあげで、幻聴である――と思うのだが。


『あ。よく見たら板チョコふたつ?』


 幻聴のくせにチェックが細かい。


『すごーい、一人で食べるの?』


 大きなお世話だ。


『それともおみやげかな? 優しいなー。いいなー優しい人、好き好き~』


 そして、うるさい。

 げんなりして、麻人はつい呟いていた。


「うるせぇな。おれの勝手だろ」

『うぇっ!?』


 幻聴が反応した。声の発信位置まで、びくんと跳ねたような感じだ。


『や、やだ、うそー。あたしの声、聞こえてるっ?』

「うわ、やべ」


 麻人は口を押さえる。うっかり幻聴に反応してしまうなんて。はたから見たら、間違いなく変な奴だ。

 だが幻聴の方は、何やら興奮してきたらしい。

『うそー、うそー。あたしのキモチがキセキを起こしたのかしら。聞こえちゃってるー? やーん、はずかしい~。どうしましょー!?』


 黙れ幻聴! 幻聴のくせに照れるな! ……と言いたかったが、麻人はこらえた。そう、幻聴だ。声の発信源が、自分の周りをぐるぐる移動しているように思えるのも、気のせいだ。

 今日は疲れてるんだろう。早いとこ帰ろう、と足を速めかけたときだった。

 目の前に、にゅっと顔が現れた。


「うわ!!」

『わっと。もしかして見えてますぅ?』


 鼻と鼻がくっつかんばかりのところに、にっこり笑う少女のアップがあった。とっさに飛びのいた麻人は、そこにあった電柱に背中をぶつける格好になる。


「な、な、何だお前は!? 今度は幻覚か!? あっちいけ!」

『きゃーん、やっぱり見えてるぅ』


 少女はその場でぴょんぴょんし出した。もっとも、「ぴょんぴょん」といっても、足は地面についていなかった。きっちり麻人との身長差くらい、地面から浮いた状態でのエアジャンプ。

 彼女はひとしきり飛び回ると、急にしゃんと背筋を伸ばし、次いでぺこりと頭を下げた。


『ごめんなさい。突然失礼します。でもあたし、幻覚じゃないです』

「ふん。幻覚に幻覚じゃないって言われてもな」

『ホントですよぅ。うれしーい、やっぱりあたしの想いが通じたんだわ♪』 


 少女がくるくる踊り出す。ふわふわセミロングのツインテールが、動きと一緒に跳ね回った。

 どういうわけか、どんどんはっきり見えるようになってきている。

 麻人は自分の目と耳を疑いながらも、とうとう言ってしまった。


「お前さ、幻覚じゃないんなら、まず自己紹介しろよ」

『あっ、これはこれは、失礼しました!』


 少女はぴたりと動きを止めて、身体の前で両手を組む。


『あたし、あずま夢香ゆめかっていいます。えっと、中3です。いえ、でした』

「でした?」

『はい。まあ過去形ですね。でね、実はあの……あたしあたし、あの』


 夢香はうにゅにゅ、と口を小動物のようにゆがめたが、次の瞬間、がばっと頭を下げた。


『佐藤先輩、好きですっ! あたしと付き合ってください!』

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