デビュタントの懸念
いよいよ来年は彼女も社交界デビューを果たす。
人生は何が起こるかわからない。
適度な緊張感と毎日の鍛錬は大切だ。場当たり的な対応では根本的な解決にはつながらない。常にあらゆる可能性を考え、万が一に備えて最悪の事態のシミュレーションもして対策を練る。
しかしながら、何事にも例外というものはある。
「……ルカ」
「どうした? お前がそんな顔をするなんて、何があった?」
「折り入って相談があるのだが……」
「へえ? ジュードが俺に相談なんて珍しいな。面白い理由なら聞いてやってもいいけど?」
軽口を叩く割に、ルカは真剣な目をしていた。
親の派閥に関係なくつるんでいる腐れ縁だが、同年代で素の状態をさらけ出すのはルカ以外にいない。それはルカも同じだ。
性格も趣味も違う俺たちが今も関係を続けているのは、メリットデメリット関係なく話せる唯一の間柄というのが大きいだろう。
それに女性関係に明るい彼なら、何か妙案を授けてくれるかもしれない。
「エステリーゼの周囲から男を遠ざけたいのだが、どうしたらいいだろうか」
「…………は?」
「彼女は魅力的な女性だ。しかも婚約者はまだいない。彼女は常に男に婚約者の座を狙われていると言っても過言ではない」
「いや、それは過言だろ」
水を差すような言葉に反論する気もなく、俺はしなびた野菜のようにうつむく。
すると、しばらく沈黙を貫いていたルカが壁際にいた俺の横に並ぶ。
舞踏会のワルツで多くの男女がくるくるとターンを決めながら会場内を移動していくのを横目にルカが確認をする。
「つまり、エステリーゼ嬢に言い寄ってくる男を遠ざけたいってことだな?」
「……ああ。そうだ」
「なら、お前が婚約者に名乗り出ればいいじゃないか。それが一番手っ取り早い。筆頭公爵家であるお前の婚約者に手を出すような奴はいないんだから」
ルカの言い分は最も合理的だ。
けれども、それができていれば苦労はしていない。
俺は抑揚のない声で返事をする。
「…………婚約は無理なんだ」
「無理? 何か事情があるということか」
「俺は友人の座は手に入れたが、婚約者には不適格なんだ。第一、彼女は誰とも結婚自体を望んでいない。そんな彼女に未来の公爵夫人なんて重荷でしかない」
実は今まで、頃合いを見て友人以上の関係になろうと試みたことはある。
しかしながら結果は惨敗だった。
彼女は結婚に憧れがなく、できることならば独り身を貫きたいと言っていた。俺とエステリーゼは友人だ。ならば、彼女の考えは最大限に配慮したい。
「ふーん。現状、婚約は避けられていると。じゃあ、お前が取るべき選択肢は決まってる」
「……なんだ?」
「友人として彼女のそばで目を光らせていればいいんだよ。婚約の内定はまだでも、お前が溺愛している令嬢に手を出す阿呆はそうそう出てこない」
もっと現状を打破できる突破口を望んでいた俺にとって、その言葉は予想外だった。
(家族でも婚約者でもない俺がそばにいてもいいのか……?)
本来、結婚前の淑女が特定の異性と親しくするのは外聞がよくない。
それが婚約者でもない、異性の友人ならば尚のことだ。
「……横にいるだけでいいのか? ただの友人なのに?」
「あのなぁ。何年、お前とつるんでいると思ってるんだよ。エステリーゼ嬢と話すお前は顔がゆるみっぱなしなの。男女に関係なく、お前が彼女を好きだって全員知ってる」
「ぜ……全員に?」
「あれほどまめまめしく贈り物を渡していたら、誰でもわかるって。そもそも全然態度が違うだろーが」
「あまりそういったことは意識していなかった……」
「無自覚か。罪な男だな。エステリーゼ嬢に同情するわ」
なぜ同情されるのかはわからないが、ついでに俺はかねてより気になっていた質問をする。
「ちなみに、婚約者ではない俺がエステリーゼにドレスを贈るのはおかしいよな?」
実は公爵家のお抱えデザイナーに、すでに彼女のドレスのデザイン画を作らせている。
彼女がこれを着ることはないと思っていても、彼女に似合うドレスを着せたい欲求は抑えきれず、年々デザイン画だけ増えていた。
最先端の流行を取り入れながらも、エステリーゼが気に入るドレスを想像するのは心が躍る。できれば俺の前で着て見せてほしい。絶対似合う自信がある。
だがルカは渋面になり、俺の両肩に手を乗せた。心なしか、その顔は哀れみが混じっていた。
「ジュード。友人として忠告しておく。それはやめたほうがいい」
「だが、俺が選んだドレスを彼女に着てもらいたい」
「…………めでたく婚約した暁にドレスを贈ればいいんじゃないか?」
「なるほど。では、未来の楽しみに取っておくとしよう」
エステリーゼと恋人になれる日が来るかは天空神のみぞ知る。
とはいえ、未来を夢見ることぐらいは許されるだろう。待つことはもう慣れている。楽しみを先延ばしにするぐらい、今の俺には何の苦もなかった。
◆◇◆
翌年、社交界デビューを果たした彼女は堂々としていた。同年代の令嬢が初めての舞踏会で緊張している中、エステリーゼはやけに落ち着いて見えた。
デビュタントの目印として純白のドレスに身を包んだ令嬢たちは、家の家格順に国王陛下と王妃の前で名乗り、頭を垂れていく。そして両陛下からお祝いの言葉を賜る。
その後も彼女は粛々と社交をこなしていた。
まるで手慣れているような落ち着きぶりに、俺は内心首を傾げていた。
(妙だな……。まるで初めてではないような感じだ……)
だが、今日は彼女のデビュタントで間違いない。もともとエステリーゼは時折、どこか達観しているときがあった。今回も事前に脳内でシミュレーションしていたのかもしれない。
もしくは伯爵家のマナー教育がよかったのだろう。
他の男からのダンスも笑顔で承諾し、何の迷いもなく、ダンスの輪に入っていく。
俺以外の男に向ける微笑みを見ていられなくて、俺は壁際に移動して嘆息した。
(エステリーゼは俺の婚約者ではないのだから、このぐらいのことで嫉妬していたらキリがない……)
頭では割り切っていたつもりなのに、いざその場面を目にすると頭がどうにかなりそうだった。醜い嫉妬は身を滅ぼす。己の心を律してこそ、立派な紳士であるというのに。
「…………」
エステリーゼに声をかけるタイミングを完全に失ったまま、気づけば俺は令嬢たちに取り囲まれていた。
仕方なく令嬢たちの猛アピールに気づかないふりをして笑顔で応じ、そつなく彼女たちのいつもと違うポイントを見つけて褒める。些細な変化を気づいてもらえた令嬢は皆、ぽっと顔を赤くしていく。
左に流していた前髪を逆向きに編み込んだやら、爪の色が変わったやら、前回とは違う流行色を取り入れたドレスデザインやら、昔の自分なら絶対に気づかなかっただろう。
少しでもエステリーゼと仲良くなりたいと思って身に付けたスキルだ。不躾にならない程度に彼女をつぶさに観察していたら、リボンの色が違うこと、髪を結ぶ位置が高くなっていることに気がついた。
そのことを指摘すると、彼女は驚愕した表情を見せた後、嬉しそうに破顔した。
それからの俺は細かい変化を見逃さないように、注意深く観察するようになった。最初は会話の糸口になればと考えていたが、こんなことぐらいで喜んでくれるのならば、何度でもやりたいと思った。
とはいえ、女性の細かい変化に気づくことは、ある種の特訓が必要だった。
褒めていいところと、気づいてもあえて気づかないふりをすること、直接言うのではなく侍女や従者を通してこっそり教えること、いろんなやり方をキールから教わった。
(困ったな。エステリーゼをダンスに誘いたかったのだが……)
四方八方に女性に囲まれている中、脱出は困難だ。
次期公爵として話を誠実に耳を傾け、同調する。過度に密着してくる令嬢とはやんわりと距離を取り、彼女の領地の話題を出す。
すると興奮していた彼女たちも徐々に冷静になり、やがておとなしくなっていく。彼女たちだって腐っても貴族令嬢。引き際は弁えている。
それでも執拗に迫ってくる令嬢にはあまり刺激を与えないように言葉を選び、無意味とわかっていても誠心誠意、断りを入れる。曖昧な態度は双方にとってもよくないからだ。
ふと視界の向こうに見つけたルカに声をかけ、こちらへ来るように促す。それから俺はルカとバトンタッチするように令嬢の包囲網から抜け出した。
慌ててシャンデリアの下で会場内を見渡すが、すでに彼女は帰ってしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。