鏡に映る自分との戦い

 年齢を重ねるにつれて、エステリーゼは瑞々しい美貌にますます磨きがかかっていた。可憐な少女でありながらも時折、どこか艶っぽい動作に俺は目が釘付けになった。

 何度か、他の令嬢と同じように、彼女を花に喩えて賞賛しようとした。

 だが彼女の前に立つと心拍数が跳ね上がり、言うべき言葉が出てこなかった。

 友人として普段の会話は辛うじてできるが、恋人に囁くような口説き文句なんて恥ずかしくて言えない。ヴァージル公爵家ともあろう男が顔を真っ赤にして、たどたどしく女性を褒める姿を誰かに見られると想像するだけで羞恥で死ねる。


(俺は……なんて情けない男なんだ……)


 恥ずかしさのあまり、素っ気ない態度を取らなかっただけマシだが、俺は鉛のように重い足取りで帰路についた。


「……キール……俺は無力だ」

「一体、どうなさったのですか」


 自責の念に駆られながら外向けの笑顔をはりつけ、その日の社交場を乗り切ったことを告げると、キールは気持ちが落ち着くハーブティーをそっと出してくれた。

 熱すぎず冷たすぎず、ちょうど俺が飲みやすい温度に調節されたハーブティーを飲み干し、俺は天空神に懺悔するように自分の気持ちを吐露した。


「エステリーゼが可愛すぎてつらい。彼女を賞賛する言葉が見つからない。どうしてあんなにも可愛いんだ。目が合うと動悸がひどくて、ろくに彼女と視線を合わせられなかった……」

「それは……挙動不審に思われたのでは? 毎回そんな態度ではすぐに呆れられてしまいます。次回までに克服なさいませんと」

「次回までに!? む、無理だ。そんなこと……彼女は妖精のように可憐なんだぞ!?」


 くわっと目を剥いて反論すると、キールは涼しい顔で告げた。 


「その言葉を直接、お伝えすればよいではありませんか。きっと喜ばれると思いますよ」

「俺をばかにしているのか。友人が軽々しく『君は妖精のように可憐だね』と言うものか。第一、俺はエステリーゼとそこまで仲を深めていない!」

「…………」

「ああ、一体どうすればいいんだ……」


 エステリーゼと俺の関係は昔と変わらず、友人止まりだ。

 恋愛関係に変わる兆候はなく、異性の中で一番親しい自負はあるが、あくまで恋人未満だ。


「ジュード様、練習あるのみです。苦手なら人の何倍も練習して克服するよりほかありません。苦手を苦手のままにしていたら『一言も女性を褒められない男』と評価され、別の男にかっさわれますよ。それはお嫌でしょう?」

「当たり前だ! エステリーゼの夫となるのは俺だ。他の男にくれてやるなんて冗談じゃない」

「ならば努力なさいませ。彼女に振り向いてもらいたいのであれば」


 いつになく厳しく言われ、俺はぐっと言葉に詰まる。

 確かにキールの言うとおりだった。俺が変わらなければ、他の男が彼女をさらっていく。

 いい加減、腹をくくらなければならない。


 ◆◇◆


 今日の主役であるエステリーゼは、爽やかなミントグリーンのドレスを着ていた。ドレスの後ろにあるオレンジのリボンの裾がひらひらと風で揺られる姿は、まるで妖精の羽のようだった。

 ウォルトン伯爵家で行われるガーデンパーティーは毎年、和やかな雰囲気で行われる。

 エステリーゼの誕生日には、彼女が好きな大きなベリータルトが用意されている。その他にもたくさんの種類のデザートが並び、招待客はおのおの好きなものを食べていく。ウォルトン伯爵家のシェフは腕がよく、特にデザートは一流の腕前と評判だ。

 美味しいものを食べて皆の頬がゆるむ中、俺はランファート子爵令嬢と談笑しているエステリーゼに近づいた。


「……エステリーゼ。今、いいだろうか?」


 俺が声をかけると、二人が一斉に振り向く。

 目が合ったランファート子爵令嬢は俺の姿を認めると、すぐに話を切り上げてくれた。


「じゃあね、エステル。さっきの話はまた今度するから」

「あ、うん。またね」


 気を利かせたくれたこの恩はいつか返そうと思いながら、ぱたぱたと去っていく姿を見送る。

 その場に残ったのは、当然ながら俺とエステリーゼだけだ。


「話に割り込んですまなかった」

「……いえ、大丈夫です。それで、どうかしましたか?」


 不思議そうに首を傾げる姿は何のために呼び止められたのか、本当にわかっていないようだった。友人として招待したのは他ならぬエステリーゼのはずだが、面と向かってその話を持ち出すのも子供じみた行動だと思って実行に移せなかった。

 俺は視線をさまよわせながら、後ろ手に隠していた花束を彼女に渡した。


「た、誕生日おめでとう……」


 緊張により、ぶっきらぼうな態度になってしまったが、エステリーゼは慣れたように応じた。


「まぁ、今年はダリアが入っているのですね。ふふ、毎年ありがとうございます」

「い、いや。大したことはしていない」


 本音を言えば、宝飾類を贈りたいが、キールいわく時期尚早らしい。

 次また逃げられたら終わりだと脅されているため、花束を選ぶことぐらいしかできていない。

 俺が渋い顔をしていたせいだろうか。エステリーゼが気遣うように声をかけてきた。


「……あの、ジュード。あなた、領地経営のお手伝いもしていて忙しいのでしょう? 毎年、無理に来ていただかなくても」


 その言葉の続きを聞きたくなくて、わざと被せるように言う。


「俺が君の誕生日のお祝いに来るのは迷惑だろうか?」

「えっ? そ……そんなことはありません。毎年いただく花束はどれも素敵ですし……」

「ならいいだろう。俺は友人なのだから」

「そ、そうですね。友人ならお祝いに駆けつけてくれても不思議じゃない……ですよね」


 まるで自分に言い聞かせるような口調だったが、エステリーゼが花束に視線を落とすのにつられて、俺も花束を見下ろす。

 今年はオレンジのダリアを中心にまとめた花束にした。

 大輪の花はそれだけでもインパクトがあるが、その存在を引き立てるように大小さまざまな花を選んだ。全体をまとめる細長い葉は引き立て役だ。

 今回は珍しい花が入荷したということで、その蕾も入れてもらった。ふっくらとした桃色の蕾は数日で咲くらしい。どんな花が咲くのか、俺も興味があった。

 彼女の誕生日ということで、明るい雰囲気にしてもらったが、エステリーゼは気に入っただろうか。そのとき、俺の心を読んだようなタイミングで彼女が言った。


「今年も綺麗ですね。ありがとうございます、ジュード」

「……あ、ああ」


 愛しそうに花弁を優しく撫でるエステリーゼは、本当に嬉しそうだった。花が好きなのは知っていたが、自分が贈った花の香りを楽しむ彼女をもはや直視できなかった。

 なぜか心が落ち着かない。何もやましいことはしていないのに、そわそわとしてしまう。

 まだ恋人にもなれていないのに、こんなことでドキドキしていたら心臓がいくつあっても足りない。どうしたものかと俺は本気で悩んでいた。


 ◆◇◆


 就寝前にキールと翌日の段取りを確認した後、彼を下がらせる。

 一人きりになった自室で、俺は一人がけのソファの背もたれに身を沈めた。

 薄いグレーの天井を見つめて思案に暮れる。


(エステリーゼを褒める練習か……。だが、どうやって……?)


 他の令嬢や異性に練習相手を頼む場合、不運が重なれば、いらぬ誤解を生む可能性が高い。ということで却下だ。キールに頼めば快く引き受けてくれるだろうが、俺が耐えられない。

 練習するなら一人きりでやるしかない。

 とはいうものの、目の前に相手がいないのでは練習に身が入らない気がする。


(本番のように練習する方法……か)


 部屋をぐるりと見渡して、俺は部屋に唯一あった鏡に目を留めた。チェストの上部に取り付けられた鏡は上半身まで映すサイズのものだ。

 それを見た瞬間、これしかないと思った。

 俺は早速、鏡の前に立った。鏡の中の自分は緊張した面持ちでたたずんでいる。

 試しに鏡の自分に向かって引きつった笑みを向ける。


「エ……エステリーゼ。きれいだよ」


 言った後で悶絶しそうになった。


(幼子でもあるまいし、もっと他にいい表現があるだろう……!?)


 稚拙な表現に、耳まで真っ赤になっているのが鏡を見なくてもわかる。

 貴族は口が回らねば社交界から弾き出される。社交辞令として相手を褒めるのも礼儀作法の一環だ。ヴァージル公爵家の教育により、息を吸うように相手を賞賛するのはお手の物。

 そのはずだった。

 しかし、エステリーゼにうわべだけの褒め言葉を言うことだけは許容できなかった。彼女に見え透いたお世辞を言っても喜んでもらえるとは思えなかった。

 彼女には誠実でありたい。そう思ったからこそ、今の素直になれない自分がいるわけだが。


(ともかく、もっと年齢相応な褒め方にしなくては……)


 ふーっと息を吐き出してから俺は練習を続ける。


「エステリーゼ……君は綺麗だ。どんな宝石も君の前にでは見劣りするに違いない」


 考え得る限りの一番の褒め言葉を口にしてみたが、棒読みになってしまった。

 これでは恋愛初心者ということが丸わかりである。


(心を込めて言わなければ意味がないというのに! なぜ俺はこれほど不器用なんだ)


 鏡の中に映るのはエステリーゼではないのに、すでに緊張はピークを迎えている。

 ただの予行練習でこのざまでは、一体いつ成功するかわからない。ヴァージル公爵家の次期公爵ともあろう者が情けない。


「俺は……君が好きだ」


 いつか伝えたいと思っていた言葉を吐き出す。

 園遊会で初めて会ったときのことを思い出しながら、俺はつぶやくように言った。


「出会ったときの君は……まるで妖精のようだった。泣きそうな顔もとても可愛くて……いや、これは言わないほうがいいな」


 せっかくならエステリーゼが喜ぶような言葉を贈りたい。

 俺の好きな点と、彼女が褒められて嬉しい点が同じとは限らないのだから。


「君の髪をずっと触ってみたいと思っていた。風になびく髪を押さえる仕草に目を奪われた。その緑の髪は色鮮やかで、見ているだけで気持ちが和らぐ」


 彼女を賞賛するにふさわしい表現はどれが適切だろうか。

 エステリーゼは見た目だけでなく、中身も素晴らしいのだ。困っている人がいれば庶民にも手を貸すぐらいの優しさをはじめ、普通の貴族令嬢にはないものを彼女は持っている。


「まるで女神が降臨したような輝き……。いや、何か違うな……もっと彼女にぴったりの表現があるはずだ……」


 ううむと顎に拳を当てて思案に暮れる。

 鏡に向かっての秘密の特訓は、毎日の習慣となった。

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