だって友人なのだから

 それはある日のお茶会のことだった。

 ヴァージル公爵家で行われる、二人だけで楽しむ私的なものだ。

 最初こそ恐縮しながら我が家を訪れていたエステリーゼだったが、俺が一生懸命に話題を振ると、おかしそうに笑って緊張の糸を解いてくれた。

 それからはお互い気負いがなくなり、エステリーゼも気安く話しかけてくれるようになった。また一歩、親しい友人として彼女に認められたようで嬉しかった。

 月に一度のお茶会では、俺たちはお互い会っていない間の近況報告をし合っていた。


「そうそう。この間、メイドのマリアから教わってクッキーを焼いたのです。最初は火加減を間違えて真っ黒な炭になって慌てましたが、何度か練習を重ねるにつれて上達したのですよ。イレーユにも味見してもらったら、適度な焦げ目で美味しい、と言われました」

「……普通、友人なら味見を頼むものなのか?」

「そうですね、イレーユは親友ですから。じゃないと、不格好なクッキーの味見なんて頼めませんわ。本来、貴族令嬢は料理はする側ではなく、食べる側ですから。……どうかしました?」

「俺も……ゆ……友人なのだが」

「え? あ、そういえば、そうでしたね」


 忘れていたとばかりの反応を返されて、つい拗ねた風に言ってしまう。


「……俺にはくれないのか? その焼き菓子は」

「へっ? い、いえ、きっとお口に合わないと思いますわ」

「だが、親しい友人なら食べさせてくれるのだろう? それとも俺では友人として不足だろうか……」


 しゅんとうなだれて見せると、エステリーゼは慌てたように、身振り手振りを交えて必死に説明してくる。


「わたくしが作ったものは素人の趣味です。ひょっとしたら体調を崩すかもしれませんし、ヴァージル公爵家の料理人の味に慣れているジュードに食べさせるなんてとんでもないです。どうかわかってください」


 懇願するように言われ、俺は口を真一文字に結んだ。

 俺は名ばかりの友人になるつもりはない。たとえ義理のように始まった関係でも、俺はエステリーゼとは気兼ねなく話せる友人関係になりたい。

 対等な友人として、俺は本音を素直に口にした。


「俺は君が作ったものが食べたい。どんな一流シェフよりも、君の手作りのほうが魅力的だ」

「……っ……わ、わかりました! 今度はジュードにも作りますから!」

「……本当か?」

「だ、だから、そんな泣きそうな顔をしないでくださいませ」


 エステリーゼは根負けしたように、そう付け足した。


 ◆◇◆


 それから最初は渋っていたエステリーゼも、たまにお茶会の帰りに手土産を持たせてくれるようになった。中身は彼女お手製の焼き菓子だ。目の前で食べるのは丁重に断られてしまったので、ドキドキしながら自室で食べた。

 クッキーは素朴な味だったが、刻んだアーモンドが入っているのか、サクサクと香ばしく食べやすかった。何より彼女が自分のためだけにお菓子を作ってくれたことが嬉しかった。

 最初は逃げられ続けていたことを踏まえると、我ながら大進歩だと思う。

 後日、お菓子のお礼に何がいいかと聞くと、彼女は「別に何もいりません。友人に対価を求めるつもりはありませんから」と毅然と言われては頷くよりほかなかった。とはいえ、何も贈らないというのも気が引けて、俺は王都の宝飾店を訪れていた。

 店の看板商品は、どれも値の張る一点ものだ。今日は店の端にある小さなアクセサリーコーナーを目指し、そこに並ぶ装飾品を一通り眺めた。


「ジュード様……それをエステリーゼ様に贈るつもりですか?」

「だめか? きっと似合うと思うのだが」


 俺は黄水晶のネックレスを見ていた。

 大小さまざまあるが、彼女の性格上、小ぶりなものが妥当だろう。

 しかし、俺とエステリーゼの関係をよく知るキールは小さく首を横に振った。


「アクセサリー類は、婚約者でもない異性の贈り物には不向きでしょう。現状、あなたは友人なのです。あくまでも友人らしく振る舞ってくださいませ」

「……ふむ。では、髪飾りはどうだ? これなら問題ないだろう?」

「まぁ、そのぐらいでしたら……」


 ただし宝石のついたものは高価すぎてエステリーゼから返品されかねないと言われ、結局、近くの雑貨店に立ち寄った。そこで光沢のきれいな黄色と鳶色のリボンを二種類選び、プレゼント用に包装してもらった。

 後日、エステリーゼがそのリボンで髪を結っているのを見て、言葉にしがたい幸福感に包まれた。くすぐったい気持ちを懸命に隠しながら、俺は彼女の後ろで揺れるリボンを見るたび、心が満たされていくのを感じていた。


 ◆◇◆


 例年暑さが厳しくなると、別荘を持っている貴族のほとんどが避暑地で過ごす。

 ヴァージル公爵家やウォルトン伯爵家も例にもれず、数人の使用人を残して避暑地へ移動するのが通例となっていた。

 先に避暑地を訪れていたエステリーゼと合流すべく、俺は手早く王都での用事を済ませ、急いで馬を走らせた。汗で汚れた体を清め、キールとともにウォルトン伯爵家の別荘に向かう。

 執事に通された応接間で待っていると、エステリーゼがやってきた。しかし、メイドを伴って現れた彼女の左足首には、包帯が巻かれていたのだ。

 俺は大股で彼女に近づき、慎重に問いかけた。


「……その包帯はどうしたんだ?」

「ああ、これですか? 川遊びをしていたところ、岩でちょっと切ってしまいまして。心配性なマリアが包帯をぐるぐる巻き付けているから大げさに見えるかもしれませんが、そんなにひどくはないのです。ただの擦り傷ですから」


 エステリーゼが淡々と説明すると、いつもは静かな彼女のメイドが目の色を変えて反論した。


「な、何を仰いますか! あんなに血がだらだらと垂れていたじゃないですか。止血のハンカチも全部血の色に染まって……私は生きた心地がしませんでしたよ!」

「だ、だからそれは謝ったじゃない。もう大丈夫だってば。血はしっかり止まったし、あれから何日経ったと思っているの。もう包帯も取っていいですよって医師からも言われたでしょう? 第一、こんな小さな怪我ぐらいで大げさなのよ。傷だってそのうち消えるようだし」


 いつもは大人びた彼女が、人差し指と親指を突き合わせる姿を見るのは新鮮だった。俺が呆気にとられていると、メイドが口を酸っぱくして主人に抗議した。


「少しは自分の体を大事になさいませ! その包帯は戒め代わりです」

「ええー……もう傷だって塞がっているのに……」

「――マリアの言うとおりだ。君はもっと自分の体を労るべきだ」


 俺が同意の声を上げると、エステリーゼがこちらを見た。

 まるで、味方の裏切りを知ったような顔だった。


「……ジュードまで同じことを言うのですか?」

「当たり前だ。怪我に小さいも大きいもない。俺だって君が心配だ」

「ジュードがわたくしを……?」


 なぜか訝しげに返され、俺は反射的に彼女の両手をその上から包み込んだ。万が一にも俺から視線を外されないように、そのままぐいっと顔を近づける。


「別に何も不思議ではないだろう。友人なのだから。どうか俺にも心配させてくれ」

「…………」

「もし傷が残ったらどうするんだ。これからは危ない真似はしないでほしい」

「わ、わかりましたから! それ以上、その整った顔を近づけないでくださいませ!?」

「――――では、約束してくれるのだな? 今後は怪我をしないように最大限注意してくれると」

「し、します。約束しますから!」


 半ば強引に彼女の口から承諾の言葉を聞き、ほっと息をつく。そして、エステリーゼの顔が熟れた果実のように赤くなっているのに遅れて気づく。

 その原因を考えて、俺はようやく自分の過ちに気づいた。


(しまった……)


 自分を大事にしようとしない彼女の言動に、つい無意識に詰め寄ってしまった。

 エステリーゼの身に何かあったらと想像するだけで背筋が凍る。だから、少々投げやりな彼女の態度をどうしても改めてほしかったのだ。

 とはいえ、この距離はマズい。

 鼻の先が触れあいそうなほどの距離。これは家族の距離というより、恋人の距離だ。そこまで理解した俺は、急いで彼女から飛び退いた。


「す、すまない……。これは、その……君が心配だったから……。以後、気をつける」

「い……いえ。大丈夫ですわ。わたくしを心配してくださったのでしょう?」

「あ、ああ」


 もちろんだ、という声は自然と小さくなった。

 友人とはいえ、家族以外の異性に詰め寄られて怖かっただろうに、エステリーゼは小さく笑った。寛大な心で許してくれる懐の深さはありがたいが、今度からは気をつけなくては。

 頭の片隅で、紳士的な距離を保つのも大変だなとぼやいた。

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