このたび友人の座を獲得しました

 お茶会帰りの逃走劇から数日後。

 俺は従僕のキールとともに、ウォルトン伯爵家を訪れていた。前もって先触れは出したが、応接間にやってきたエステリーゼの笑顔は引きつっている。


「我が家に……わたくしにどういったご用件でしょうか?」


 しかしながら、小首を傾げる姿も大変愛らしい。

 メイドが二人分のティーカップを机に置くのを見届け、俺はすぐに本題に入る。


「先日は怖がらせたようですまなかった。お詫びにこれを受け取ってほしい」


 正面に座るエステリーゼに頭を下げた後、ソファーの後ろに控えているキールに目配せする。

 今朝、俺が花屋で吟味した花束をキールがメイドに恭しく渡す。メイドは何も異常がないのをさっと確かめてから、エステリーゼに手渡した。


「これは……花ですか?」

「花以外の何物でもないだろう」


 何も考えずに言ってしまってから、俺は間違いに気づいた。

 紅茶を飲んでいたティーカップから口を離し、自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。


「……いや、こういう言い方がいけないんだな。俺は」


 今までのような横柄な態度を取っていては、エステリーゼに見向きもされない。

 生まれ変わって彼女が望む男になりたいと思った。だからこそ自分の足で花屋に赴き、彼女に似合う花の種類を真剣に選んだ。

 贈り物のことで、ここまで頭を悩ましたのは初めてだった。

 店員とキールに微笑ましく見守られる中での花選びは正直いたたまれなかったが、エステリーゼの喜ぶ顔を見たくて耐え抜いた。


「あの園遊会の日、草陰に身を隠す君を見て守りたいと思った。怖がらせたいわけじゃないんだ。ただ、話がしたい」

「…………確か、他のご令嬢を見初められた、と父から伺いましたが」

「それは君のことだ」

「…………」


 真顔になるエステリーゼは今、どういった考えを巡らせているのだろう。

 わからないからこそ、知りたい。

 今までは異性の心に興味などなかったが、これからは知る努力をしたい。そして俺のことも興味を持ってもらいたい。

 エステリーゼはしばし悩む素振りを見せつつも、俺の目を見てきっぱりと告げた。


「…………婚約はしませんよ?」

「ぐっ。それは……追々考える。今は友人で構わない。だから、俺から逃げないでくれ」


 毎回逃げられては仲を深めるなんて到底無理だ。

 キールにも散々忠告されたばかりじゃないか。この際、婚約は二の次だ。

 その必死な思いが伝わったのか、エステリーゼは手元のチューリップの花束と俺を見比べ、小さく笑みを見せた。


「ふ……ふふっ」

「何がおかしい?」


 笑われるようなことはしていないはずだ。けれど、彼女の嫌がることをしてしまったかと危惧して心臓がドキリと跳ねた。

 裁判の判決を待つような心地で、彼女の言葉を待つ。

 目が合ったエステリーゼは、ふわりと花がほころぶように微笑んだ。


「わかりました。これからは友人として、よろしくお願いしますね。ジュード様」

「あ、ああ……!」


 彼女から名前を呼ばれるのは初めてだ。

 ただ名前を呼ばれただけなのに、ときめきが抑えきれない。そこにまだ愛などないとわかっているが、ぽかぽかと胸が温かくなるのを感じた。


 ◆◇◆


 俺はこの興奮を抑えきれず、帰りの馬車でキールに詰め寄った。


「キール、やったぞ! 友人の座を獲得したぞ。すべてはキールのおかげだ!」

「……それはようございました。おめでとうございます」


 キールは灰色の瞳を細めて、穏やかに祝福してくれた。

 その反応を見て、やはり先ほどのことは夢ではないのだと感慨深くなる。


「友人となったのだから、もう逃げられることはないよな。これで安心だ」

「…………」

「ん? どうしたんだ、キール。難しい顔をして……」

「ジュード様。あなたの目標は何ですか? エステリーゼ様と婚約なさりたかったのでは?」


 何を当然のことを聞くのだろう。

 俺は疑問を抱きつつ、しっかりと頷いた。


「無論、そのつもりだ。だが焦りは禁物なのだろう? だったら、まずは友人として愛を育んでいけば……」

「ジュード様、それは違います」

「む?」

「通常、友人とは愛は育みません。友人と育むものは友情です。ずっと友人止まりでは、永遠に結婚相手としては見られないでしょう」

「な、なんだと……!? ではどうすればいいんだ!?」


 混乱する俺をなだめるのはキールの得意分野だ。

 頭を抱えて焦る俺に、冷静な声がゆっくり語りかけてくる。


「落ち着いてください。立場上は友人であっても、要するに異性として見てもらえばいいのです。友人という距離感は保ちつつ、たまに恋人のように彼女に接してドキッとさせたらよいのです。それを根気よく続けていけば活路はあります」

「……恋を成就させるのは、それほどに長い道のりが必要なのか……」


 思っていた以上に時間がかかるのを知り、俺はつい本音をこぼしてしまう。


「いえ、ジュード様は見目はよいのです。本来はその容姿でちょっと優しく接するだけで、大抵の令嬢はあなたに落ちると思います。……そう落ち込まないでください。エステリーゼ様は手強い相手です。ジュード様がとびっきり優しくしても、彼女がすぐに婚約を承諾するとは思えません」

「…………」

「もしかすると、ジュード様が異性に冷たいという噂話がよくない形で伝わっていたのかもしれません」

「う……それなら避けられるのも無理はない。俺に対するエステリーゼの怯えようは尋常ではなかったからな。……つまり、日頃の行いが悪かったことが原因か。ならば一刻も早く、噂の悪い印象を払拭せねば」


 いい噂はすぐに広まらないのに、悪い噂は一瞬で広がる。

 しかも人づてに聞いた話は真実だけではなく、誇張した形で周囲に伝わり、時には全然違う話が世間に浸透している例も珍しくない。

 俺が両拳をギュッと握っているのを見て、キールが労るように言った。


「信頼関係を築くには、対話を重ねるしかありません。エステリーゼ様が好む話題、食べ物、色など、彼女から徐々に聞き出してください。いいですか? 徐々にですよ。一気に全部を聞き出そうなんてしないでくださいね」

「……わかった……」


 釘を刺されて渋々頷くと、彼は安心したように表情を和らげた。


 ◆◇◆


 婚約者でもない異性の友人が頻繁に遊びに行くのはお互いのためによくない、というキールの助言のもと、エステリーゼに会いに行くのは妥協して月に一度になった。

 俺は毎月、彼女に会える日を指折り数えながら勉学と剣術に励んだ。

 いくら頭の回転がよくても、武芸をおろそかにしているようでは、有事の際に領地や家族を守れない。のほほんと平和のぬるま湯に浸かっていては、いざというときに彼女を守れない。

 父親の口利きで、週に一度は引退した騎士団長に相手をしてもらい、筋力だけでなく技術も磨いていく。ただ攻めるばかりではなく、受け流し方も覚え、急所を狙っていく。


(俺は彼女を守れる力が欲しい……!)


 権力を笠に着るだけでなく、必要なときは自ら剣を振るう強い男でありたい。

 俺はエステリーゼと会えない間、公爵家のあらゆる厳しい特訓をひたすら耐え抜いた。


 そして月に一度、彼女に会いに行く。


 最初の頃はぎこちなかったものの、欠かさず毎月訪問していたおかげか、いつしか彼女は友人のように普通に接してくれるようになった。

 けれども常に一線を引いたように、一定の距離を置かれる。

 ジュードと敬称なしで呼んでもらうことは割とすぐ受け入れてもらえたが、エステリーゼは敬語で接することだけは譲らなかった。身分と年齢差を考えれば彼女の判断は正しいが、どうにも歯がゆい気持ちに駆られた。


(俺が一方的に友人と思っていても、君は違うのだろうな……)


 彼女からすれば、公爵令息のわがままに付き合っている、ぐらいの気持ちなのかもしれない。おそらく、俺の興味がなくなるのを待ってるのだろう。だからこその距離感だと考えれば納得がいく。しかし、エステリーゼへの興味は日に日に大きくなる一方だ。

 たまに、彼女は大人びた表情をして遠くを見つめている。まるで永遠に会えない家族を偲んだような、そんな愁いを含んだ眼差しだった。


 その横顔が脳裏に焼き付き、何日経っても忘れられない。


 それからの俺は、なんとかエステリーゼを喜ばせたくて、毎回手土産を持っていった。

 店員から勧められる品物と彼女の好みを照らし合わせ、一番彼女が喜びそうなものを選んでいく。包装紙やリボンの色にもこだわった。

 毎回同じ物ばかりでは呆れられると思い、季節ごとの花だけではなく、焼き菓子や隣国から取り寄せたチョコレート、少数しか印刷されない絶版の初版本なども贈った。

 彼女の贈り物に関して、人任せにする気になれなかった。この数ヶ月の間で、彼女の好みはだいぶ理解できるようになったと思う。


(どうやら今回のチョコレートは気に入ったようだな……)


 箱には、宝石のようにカラフルなチョコレートが一粒ずつ並んでいる。一目見てエステリーゼが喜びそうだと思って衝動的に買ったのだ。

 最近は商品を見るたび「エステリーゼは気に入るだろうか」と考えてしまう癖がついてしまった。少し前までは贈り物を選ぶ時間も億劫だったが、今は彼女の好みのものがあれば、無意識に手に取るまでになった。

 贈り物効果もあるのだろう。友人として許される距離は少し変わった気がするが、本音を言えば、もっと距離を縮めて彼女のそばにいたい。

 けれど、それは早計なのだろう。無理に迫れば、慎重なエステリーゼの性格上、また逃げられることは想像にかたくない。

 ならば今は、このつかぬ間の幸せを噛みしめよう。

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