婚約者候補の令嬢に避けられているようです
歳も近く、兄弟のように育った従僕のキールは、将来は執事として俺をサポートしてくれる立場にある。聡明な彼は俺の行動を先読みし、臨機応変に対応してくれる。エステリーゼの関連情報を集めてくれたのもキールだった。
「キール。頼みがある……」
彼の前で情けない自分を出すのは気が引けたが、これはキールにしか相談できない案件だ。ならば腹をくくろう。狭小な男のプライドなんて捨ててしまえ。
キールは俺の深刻な顔つきを見て、生真面目な顔で言う。
「いかがなさいましたか?」
「エステリーゼとの仲を深める方法を教えてくれ。好かれていない女性に心を開いてもらうには、まず何をしたらいい?」
俺は極力、他人の力を借りたくないタイプだ。逆ならばいいが、自分が貸しを作るのはあまりしたくない。だからこそ、こうして誰かの知恵を借りることは、普段ならば絶対にしなかったはずだ。しかしながら今回は、エステリーゼとの婚約がかかっている。
俺にとって一生を左右する重要案件だ。
この切実な思いが伝わったのだろう。キールは真剣な表情のまま口を開いた。
「そうですね……。ジュード様の場合、エステリーゼ様には何度も逃げられていますから、すぐには心を開いてくださらないでしょう。それに、ジュード様は異性を褒めることが特に苦手でおいでです。ならば、誠意を尽くして謝罪することが一番ではないでしょうか」
「俺が頭を下げるのか? 逆ではなく?」
とっさに口を挟んでしまっただけなのに、キールの視線は冷ややかだった。
「……ジュード様……。本当に好かれたいとお望みなら、女性は敬うものですよ。些細な変化を見逃さず、常に敬意を払ってください。女性はそういうことに敏感です。まだ子どもだからと侮ってはいけません。誠意を持って謝罪すれば、話を聞いてくださると思います」
「ちょっと待て。俺は何か悪いことをしたか? 一体、何について謝ればいいんだ?」
どうやら返答を間違えてしまったらしい。
キールの表情が如実にそれを物語っていた。彼は軽く息を吐くと、子どもに言い聞かせるようにゆっくりと説明した。
「……婚約を嫌がる女性を待ち伏せして追いかけるのは、逆の立場からすれば充分おそろしいことです。名乗ることを渋っていた彼女の名前を言い当てる方法もよくありませんでした。現に、彼女は名を知られていたことに怯えていたでしょう」
「言われてみれば……俺に名を知られたくないようだったな」
「……ジュード様がなさったことは、自分より弱い相手を追い詰めるという紳士らしからぬ行いでした。であれば、まずは怖がらせたことを謝るべきです」
「なるほど……謝ればいいのだな!」
「あと、贈り物も必要ですね」
すかさず言い返され、俺の頭には疑問符がたくさん浮かんでいた。
「謝るだけではだめなのか……? まだ親しくもないのに贈り物をするのか?」
「さようでございます。女性に会う際は手ぶらではいけません。花でもお菓子でも、なんでもいいのです。エステリーゼ様が喜ぶものをご自身で考えて用意なさってください」
キールは簡単に言うが、俺は女性の好みがまったくわからない。
今まで興味がなかったのだから当然だ。それに俺のセンスと彼女の好みが違う場合、取り返しのつかない状況になるのではないだろうか。
「本当に俺が選ぶのか? そういったことはキールのほうが適任だろう?」
一度ならず二度までも、俺は失言したらしい。
キールが満面の笑みを向けた。同じ笑顔でも、俺にはわかる。これはブラックの笑顔だ。自然と背筋がピンと伸びる。怒り心頭か心底呆れ果てたかはわからないが、なんにせよ彼の機嫌を損ねたことだけは間違いようもなかった。
「…………確認しますが、本当にエステリーゼ様に好かれたいのですよね?」
「も、もちろんだ」
「手間を惜しんでは望む結果は得られませんよ。手抜きはすぐにバレるものです。ちゃんと相手のことを考えて悩んだ贈り物なら、忌避されることはないでしょう」
「そ、そうか……? 俺からいきなりプレゼントされても、逆に怖がらせるだけの気もするが」
知人でもないのに、急に異性からプレゼントをされても困惑するだけだろう。
俺の指摘にキールは黙考し、数秒後、答えが出た。
「では、生花にしましょう。形として残らないものなら相手を困らせる可能性も少ないですし、基本的にお花を贈られて嫌がる女性もいないでしょう」
「そういうものか……? 俺には何をすればいいのか悪いのか、まるでわからないが」
「それはこれから学べばよいのです。まだ時間はたくさんあります」
「わかった。心から謝罪して、婚約を承諾してもらえばよいのだな!」
やはり、キールがいると頼もしい。
自分だけでは解決できなかった難問も彼と力を合わせれば、よりよい結果が得られる。現に今、どん底だった気分もかなり軽くなった。
(彼女好みのプレゼントを用意し、一生懸命に謝れば、彼女だって邪険にはしないだろう。婚約だって前向きに検討してくれるかもしれない)
しかしながら、まるで心を読んだようなタイミングで、キールが苦言を呈する。
「……ジュード様、婚約の話は時期尚早です。親同士が婚約に納得していても、エステリーゼ様が嫌がっている以上、無理に迫るのはよくありません」
「だ、だが、それなら一体いつ婚約できるんだ?」
エステリーゼの婚約者はまだいない。
つまり早く予約しておかないと、婚約者の座を別の男に奪われる可能性がある。
内心焦る俺に、キールは優しく諭す。
「焦りは禁物です。エステリーゼ様と仲良くなりたいのでしょう? でしたら少しずつ仲を深めていくしかありません」
「その方法だと婚約できるのはいつになるか、わからないぞ……? すでに俺は二度も逃げられている。ならば婚約という形で関係を明確にすれば……」
両手で必死に説明するが、キールは首を横に振るばかりだった。
無言で見つめると、仕方がないといった様子で答えが返ってくる。
「婚約していなくても、好かれる方法はいくらでもあります。今、無理に婚約すれば彼女の心証は最悪なものになるでしょう。そのまま形だけの夫婦になっても構わないのなら、無理にお止めはしませんが」
「…………それは困る。俺はエステリーゼに好かれたい」
もしヴァージル公爵家から圧力をかけ、無理やり婚約の話を通した場合、彼女の心は手に入らない。いくら俺でも、そのぐらいの判別はできる。だからそれは奥の手だ。
キールは不可解そうな顔で、思案するように顎に手をやった。
「何が原因かはわかりませんが、彼女の中には逃げるだけの理由があるのでしょう。でしたら、ゆっくりと彼女の信頼を勝ち取り、徐々に好意を持っていただくしかありません」
「ゆっくりと……つまり何年かかるかわからない、ということか?」
「ええ、そうです。ジュード様、そのお覚悟はありますか?」
「…………」
キールが言いたいことはわかる。
つまり、エステリーゼとの婚約はすぐには叶わないということだ。これだけ逃げられ続けているのだから、すんなり彼女の気持ちが俺に向くとは思えない。
(しかし、普通会ったことのない男をあそこまで警戒するものだろうか……?)
俺に名を明かせなかった理由は、この婚約を避けるためだった。
当然、俺のよくない噂についても知っていたのだろう。そうでなければ、顔合わせもしたことがない俺を避ける理由がない。
(自業自得だとわかっているが、どうしても彼女だけは諦めたくない)
なぜ俺がここまで彼女に執着するのか、自分でもよくわからない。ただ、彼女を簡単に諦めてはいけない衝動に駆られるのだ。
俺に媚びない令嬢は初めてだから、物珍しさも多少あったかもしれない。
けれどそれ以上の、うまく言葉にできないが、彼女を自分のそばに留めておきたい気持ちが抑えられなかった。顔会わせでは避けられ、二度目は目の前から逃げられてるのに。
現状、両思いになる可能性は限りなく低い。だが諦めたらそこでおしまいだ。
だったら、やることは決まっている。
「………………わかった。キールの言うとおりにしよう。何年かけてでも絶対、俺は彼女に振り向いてもらえるような男になる!」
「その意気です。私も微力ながらお手伝いいたします」
「頼む。俺一人ではきっと、ますます遠ざけられるだけの結果になっていたに違いない。よかったら、これからも頼らせてほしい」
「……身に余るお言葉です。これからも誠心誠意、お仕えいたします」
「ああ。キールが誇らしいと感じるような主人になれるよう、俺も努力を怠らないことを誓おう」
キールだけじゃない。
将来、ヴァージル公爵家を背負う者として、俺には家族や領民を守る責務がある。
領地での闘病生活が長かったせいか、領民にはたくさん世話になった。領地で採れた葡萄をお見舞いに持ってきてくれたし、葡萄畑に遊びに行けば快く出迎えてくれた。
一時は長く生きられないのではと言われていたのに、俺の主治医はさじを投げることもなく、外国の医者にも頼って尽力してくれた。
同年代と比べたら背も低いし、体の線だって細い。女みたいだと揶揄されたこともある。
病は完治して体力も多少ついてきたが、主治医の見立てでは彼らの背に追いつくのは数年はかかる見込みだ。「成長期よ早く来い」が俺の呪文だ。
(今までの恩を返すためにも立派な領主にならねば……)
無事に成人して爵位を継ぐ際は、彼らが誇れるような主人にならなくてはならない。
そして、そのとき隣に彼女がいてくれたらこれ以上の幸せはない。
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