ジュード視点(二度目の人生)

二度目の出会い

 今日はヴァージル公爵家が主催する園遊会だ。

 公爵家から招待された貴族たちの多くは子どもを連れてきている。男子は俺の側近候補として、女子は婚約者候補として売り込むためだ。

 つまり、広大な庭園に咲く花を純粋に愛でる者はほとんどいない。

 いつも男女問わず話しかけてくるのは、俺がヴァージル公爵家の嫡男だからだ。将来の社交界を見据えて、筆頭公爵家の跡取り息子に取り入ろうと考えることは、別に不思議なことではない。

 とはいえ、見え透いたお世辞に付き合うのも、まったく疲れないと言えば嘘になる。


(この中から信頼に値する相手を見つけるというのは、なかなかに骨が折れそうだ)


 貴族は、本音を隠して相手の本心を探る生き物だ。それは当然、彼らの子どもにも当てはまる。思ったことをそのまま口に出すのは幼子がすることだ。

 友人作りでさえ、親の爵位や派閥によって決められている。当然、親や使用人が待ったをかける相手とは仲を深めることはできない。

 大人の社交界のルールよりはゆるいとはいっても、子どもにも派閥は自然とできてくる。

 親のために子どもが情報収集の手伝いをすることも珍しくない。社交歴の長い大人より、子どものほうが口が軽いからだ。

 俺が巧妙に会話を誘導するだけで、知りたい情報はだいたい手に入る。

 だから好きでもない令嬢と婚約する意味を見いだせない。わざわざ他の家に頼らなくても、自分の力で大抵のことはできるとわかっていたからだ。跡継ぎだって養子を取れば済む話だ。


(だが俺も八歳だ。筆頭公爵家の跡継ぎが俺しかいない以上、そろそろ父上が婚約者を紹介してきてもおかしくない)


 公爵家当主が決めた婚約なら、俺はその決定に従うよりほかない。

 とはいえ、もし本当に自分に婚約者ができたらと思うと気鬱だ。貴族令嬢にはいい思い出がないため、はっきり言って泣かせる自信しかない。


「ジュード」

「はい、父上。……どうかなさいましたか?」


 屋敷の廊下の窓辺から招待客を見下ろしていたら、焦った様子の父上が声をかけてきた。

 俺と同じ鳶色の瞳だが、俺と母上とは違う焦げ茶色の髪を後ろでくくったヴァージル公爵は、珍しく慌てているようだった。


「ウォルトン伯爵家のエステリーゼ嬢が見つからないらしい。まだ五歳の女の子だ。屋敷の外に出た様子はないから、おそらく迷子になっているのだろう。ウォルトン伯もあまり大事にはしたくないと言っているし、挨拶回りしながらでいいからお前も探してくれないか」

「わかりました」


 幸い屋敷の中には入っていないようなので、内心ではすぐに見つかるだろうと踏んでいた。だが、どこを探しても行方不明の令嬢は見つからなかった。


(ふむ……あと探していない場所は、人が隠れるような茂みだが……)


 挨拶回りはひとまず後回しにし、俺は人の少ないエリアを中心に歩いて回った。

 すると、一人の女の子を見つけた。

 身を低くして、微動だにしない。もしや具合が悪いのかと思ったが、しばらくして彼女は茂みから顔をちょこんと覗かせて園遊会の様子を必死に観察し始めた。

 その素振りを見るからに、どうやら体に異変はなさそうだ。

 そのことに安堵しつつ、彼女を観察する。背丈は俺と同じか、俺より少し高いぐらいか。長い髪の後ろにあるリボンは年相応の大きさで、もしかしたら招待客の親族がお茶会に憧れてこっそり紛れて来たのかもしれない。よくある話だ。

 五歳の令嬢なら、もう少し身長は低いはずなので、行方不明の令嬢は彼女ではないだろう。


(しかし、すごい集中力だな。一体、そこまで集中して何を探しているのだ?)


 いつまで経っても俺に気づかない彼女に焦れて、気づけば自分から声をかけていた。


「……こんなところで、何をしている?」


 誰かに見られているとは露ほども思わなかったのだろう。

 彼女はびくりと体を大きく震わせ、ゆっくりと振り向いた。俺の姿を映し出す檸檬色の瞳には、怯えがはっきりと見て取れた。

 相手を見下ろして声をかけるのは威圧的だったかもしれないと自分の行いを恥じ、芝生に片膝をつく。目線を合わせ、できるだけ優しく問いかけた。


「皆のところへは行かないのか?」


 初めて見る顔だが、整った顔立ちをしているし、デザインは質素だがドレス生地はいいものを使っている。やはり、どこかの貴族の娘と見て間違いないだろう。


「あ……えっと……」

「…………?」


 目を白黒させて必死に言葉を探す様子は、こちらが申し訳なくなるほど狼狽していた。


(ひょっとして……人と話すのが苦手なタイプか? だからこんな茂みで隠れていたのか?)


 令嬢は誰もが皆、噂話が好きなタイプばかりではない。

 小心者で自分から声をかけられない令嬢や、会話が不得手で微笑だけを浮かべて滅多に喋らない令嬢も少数だがいる。彼女もそうした珍しいタイプなのかもしれない。


「か……かくれんぼをしておりますの」

「かくれんぼ?」

「誰にも見つからないよう、隠れていますの。だから、ここで見たことは誰にも言わないでくださいませ」


 ふるふると震えながら両手を組んで必死に懇願する姿を見て、俺は目を丸くした。


(な、なんだ、この可愛い生き物は……?)


 今にも泣きそうな顔は、泣き真似をして同情を買おうとした令嬢とも違う。切実とした思いが伝わってくる真剣な目をしている。

 その表情だけで本当に困っていることが、ありありと伝わってきた。

 同時に、俺の中にあった貴族令嬢の概念が覆された瞬間だった。


(貴族令嬢はドレスや装飾品を自慢するばかりで正直、愛想笑いする価値もないと思っていたが……彼女はどの令嬢とも違う気がする。それに、これほど怯えているんだ。相当の理由があるに違いない。となると、彼女がここにいることは黙っておくのがいいだろうな)


 俺は目の前のか弱い令嬢を守らねば、という謎の使命感に燃えていた。


「……事情はよくわからないが、そこまで言われたら内緒にするしかあるまい。ところで、エステリーゼという名の令嬢を知らないか?」


 彼女は早く解放されたいのか、顔を背けながらもきっぱりと言い放つ。


「いえ、存じませんわ」

「……そうか。邪魔したな」


 同年代の令嬢の輪に入ることもなく、一流シェフが張り切った軽食やスイーツにも手をつけないことからも、よほどの事情があるのだろう。

 行方不明の令嬢も解散する時間になれば自分から姿を現すだろうし、五歳の令嬢なら、自分の家のように遊び感覚で姿を消した可能性も高い。

 そうと決まれば善は急げだ。俺は早速、父上に報告に向かった。

 執事と何かを相談していた父上は俺に気づくと、すぐに話を切り上げてこちらに駆け寄ってきた。


「ああ、ジュード。彼女は見つかったか?」

「……いえ、見当たりませんでした」

「そうか。まぁ、日暮れ前には見つかるだろう。……どうした?」


 この気持ちをうまく言葉できず、俺はとっさに父上の袖をつかんでいた。父上は俺の幼稚な行動を叱るでもなく、心底不思議そうな顔で俺と視線を合わせた。


「お願いが……ございます」

「うん? お前が改まってお願いなんて珍しいな。内容にもよるが、とりあえず言ってみなさい」

「その、先ほど婚約を申し込みたい令嬢と会いました。どうか彼女との婚約の許可をいただけないでしょうか」

「………………」


 父上は絶句したようで、石像のように固まってしまった。

 だが、その反応も無理もない。俺は散々、これまでのお茶会で数々の令嬢に暴言を吐くか、わざと怒らせるか、泣かせるかしてこなかった問題児だった。

 けれども、さすがは筆頭公爵家の当主だ。父上は数秒後には当主にふさわしい、凜々しい顔つきに戻っていた。そして、少し申し訳なさそうに眉尻を下げて言った。


「実はお前の婚約者はもう決めてある。だから今日は顔合わせをした後、この園遊会で婚約を大々的にお披露目する予定なのだ。もう先方とは話をつけてある。……ちなみにジュードが見初めた令嬢の名は?」

「……すみません。名前までは知りません。ですが、貴族令嬢であるのは間違いないはずです。彼女の身元はこれから調べる予定です」

「名前もわからないのでは判断のしようがないな。残念だが――」


 父上の言葉の先を読み、俺は焦って言葉を被せるようにして言い募る。


「その婚約の話、どうにかしてなかったことにできませんか? 先ほどの口ぶりでは、まだ公式には発表されていないのですよね。でしたら、父上なら水面下で婚約を白紙に戻すことも可能でしょう。お願いします! できれば、俺は彼女を将来の妻にしたいと考えています」

「妻? 妻と言ったか? 気は確かか?」

「失礼ですね。俺は本気です。最初は結婚相手など、誰でも同じだと思っていましたが、今は違います。結婚するなら彼女がいいです」


 俺の本気さが伝わったのだろう。

 父上が考える素振りで顎に手をやり、ううむ、と唸った。


「だが……名前も知らない令嬢なのだろう? もし見つからなかった場合、どうする気だ?」

「そのときは当初の予定通り、父上が決めた令嬢と婚約します。ですから、どうか俺に猶予をくれませんか。必ず探し当てます。そして婚約の話を受けてもらえるよう説得します」


 今まで貴族令嬢を毛嫌いしていた俺の変わりように、さすがの父上も面食らったようだ。

 しばらくの間を置いて、大きなため息が続いた。


「…………お前がそこまで言うのだから、よっぽどいい出会いをしたのだな。わかった、婚約の話は私に任せなさい。その代わり、いい報告を期待しているぞ?」

「もちろんです。くだんの令嬢が見つかった暁には、すぐにご報告します」

「ならば、この話はいったんしまいだ。公爵令息として社交に励んできなさい。皆、お前が来るのを待っているぞ」

「はい」


 くるりと踵を返し、俺は園遊会の人の輪に加わる。

 今までは苦だった社交だって立派にこなしてみせる。先ほどの彼女だって、今もどこかでこの会場を影ながら見守っているはずだ。みっともない真似は見せられない。

 それに彼女に婚約の話を了承してもらわねばならない。ならば、早急に実績作りが必要だ。まずは人脈を作ることから始め、公爵令息として紳士的な振る舞いも身に付けなければ。

 俺が変われば、その噂はいつか彼女の耳にも届くだろう。


(彼女の婚約者にふさわしい立派な男にならねば。他の貴族令嬢にも紳士的に接しなければ、きっと見向きもされない。彼女から婚約したいと思われるような男になるんだ……!)

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