いつ見限られてもおかしくないのに

 誤解は早く解いたほうがいい。しかし、その誤解の解き方がわからない。

 後からあの発言は嘘だと言っても、すんなり信じてもらえるだろうか。いや、あれほどはっきり言い切ったのだ。下手に取り繕うとすればするほど、嘘こそが真実だと思われる気がする。


(……完全に手詰まりだ。俺はこれからどうすれば……)

 

 懺悔の時間は日に日に増えていく一方だ。

 結局、彼女とはあれきり会うことのないまま、俺は領地に戻った。

 父上の代理として領地の視察をこなしながらも、頭に占めるのはエステリーゼのことばかり。

 大人になった今も婚約者をけなす悪癖は一向に直る気配もなく、気づけば彼女に苦言を呈するか、嫌味しか言えない愚かな男と成り果てていた。

 身に付いた習慣はなかなか抜けず、またもエステリーゼを怒らせてしまった。


(我ながら不器用すぎる……思っていることと違うことを言ってしまうなんて)


 自分で自分を殴りたくなる。

 直接口で伝えられずとも手紙を認めてみては、というキールの助言もあり、俺は領地の自室で机に向かっていた。

 だが、いざ手紙を書こうと銀製のペン先にインクを浸すも、最初の一文字すら書けなかった。

 悩んでいる間に、ぽとりと羊皮紙にインクが染みを作る。


(季節の挨拶ぐらいはあってもいいだろうか……いや、まずは先に謝罪から始めるべきでは……? とはいえ、どう話を切り出せばいいのだ……?)


 物思いに沈んでいく中で、この状況を打破できるような一言が思いつかない。

 領地運営の仕事は難なくできるのに、婚約者のことだけはどう頑張ろうとしても挫折の連続だった。我ながら失態を重ねている有様は無様としか言いようがない。

 気分を変えようと、ペンを机に置いて立ち上がる。窓を開けて外の空気を吸い込んだ。

 まもなく陽が沈む。空は藍色に染まりつつあり、秋の冷たさを含んだ風がそよそよとカーテンを揺らしていた。

 同じく領地に戻っているエステリーゼはどうしているだろうか。


(会いたいとさえ言えない男のことなんて、きっと思い出すこともないだろうな……)


 案外会えなくて清々しているかもしれない。それだけのことをしでかしたのだ。

 婚約者となってから積み重ねてきた年月の溝は、本当にいつか埋まることはあるのだろうか。けれど、その問いに答える者などいない。

 夕食を呼びに来たキールに呼びかけられるまで、俺は過去の自分の行いを反芻しては落ち込むのを繰り返していた。


 ◆◇◆


 社交シーズンが始まり、俺はエステリーゼとともに王家主催の舞踏会に出席していた。その年の最初の舞踏会ということもあり、普段は領地にこもっている貴族も含めて数多くの紳士淑女が話に花を咲かせていた。

 王家や高位貴族主催の舞踏会に出席するとなると、毎回ドレスや装飾品を新調しなくてはならないため、お金が裕福でない貴族はこの舞踏会だけ参加する例も珍しくない。

 しかし招待客が多ければ、当然挨拶回りをする貴族の数も比例して多くなる。

 ずっと横で無理に微笑んでいたからだろう。いつもより彼女の疲労が色濃く見える。俺はエステリーゼと仲の良いランファート子爵令嬢に彼女を預け、婚約者抜きで挨拶回りをこなしていく。

 だがその日は不運が続き、途中で元老院長官の昔話に付き合わされることになった。しかも最終的に王太子殿下に絡まれて、エステリーゼを迎えに行くのが遅くなった。

 挨拶回りも終わり、足早に彼女がいた方向に足を向けると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。近くにいた周囲の貴族もひそひそと囁きつつ、ある一定方向に視線を向けている。


「俺のダンスの誘いを断るというのか!?」

「ちょっ……痛いってば!」


 騒ぎの渦中には、エステリーゼと見知らぬ若い男がいた。

 苦しげに眉根を寄せた彼女の顔を見て、一瞬で頭に血が上る。大股で近づき、その汚らわしい腕をつかんだ。


「今すぐ、その手を離してもらおうか」


 そのまま腕をひねりあげ、男から解放されたエステリーゼを後ろにかばう。

 すると、男は酒が入って気が大きくなっているのか、鼻息が荒い声で罵ってきた。


「だ、誰だ貴様! 俺は今、こいつと話を……」

「こいつ……?」

「……ひっ」


 俺の剣幕に押されてか、男が押し黙る。

 その隙を逃さず、よく通る声で周囲に知らしめるように宣言した。


「俺の顔を知らないようだから名乗らせてもらおう。俺の名はジュード・ヴァージル。そして、お前が罵倒していたのは俺の婚約者だ」

「ヴァージル……って、あの筆頭公爵家の!?」

「そうだ。俺の婚約者に不満があるなら、俺が聞こう。彼女はヴァージル公爵夫人になる女性だからな。まさかそれを知らなかったわけではあるまい?」

「……すっ……すみませんでした!」


 一目散に逃げる男の背中を見つめ、俺は嘆息した。

 エステリーゼの後ろには我が公爵家がついているというのに、浅慮の男がいたものだ。彼女に牙を剥くことは公爵家に喧嘩をふっかけるも同義である。


(まさか、そんなこともわからない男がいるとはな……)


 見たことのない顔だったから、今日の舞踏会が初めての社交なのだろう。広く知られた俺の顔を知らないことからも、お金で爵位を買い取った新興貴族かもしれない。

 男の姿が視界から完全に消えたのを見届け、エステリーゼに振り返る。

 彼女は不満そうな顔をしていた。だが、珍しくその視線がさまよっている。


「……お礼なんて言わないわよ」

「ふん、礼など不要だ」

「いつも思うけど、その態度はどうにかならないわけ?」

「これが自然体だ!」

「あっそう」


 エステリーゼはそれきり興味をなくしたように、くるりと踵を返してしまった。俺を一度も振り返ることなく、そのまま「化粧室に行ってくるわ」と静かに去っていく。


(変な男に絡まれてさぞ怖かっただろうに、どうしてもっと優しい言葉をかけられないんだ……!? せめて、もっと違う言葉があっただろう……!)


 ルカならば、女性の心に寄り添った言葉をかけながら、不安を取り除くことなんて造作もないはずだ。けれども俺はルカではない。そんな芸当ができていれば、とうの昔にやっている。


(くそ……っ、この悪癖もどんどん悪化している。このままでは彼女は別の男を選ぶ日も近いかもしれない)


 巷では貴族が婚約破棄する娯楽小説が飛ぶように売れていると聞く。その小説の中では、男性からではなく、女性から婚約破棄を告げる話もあるらしい。要するに親に決められた婚約者ではなく、自分だけを愛する男と幸せになるために、女性から男を見捨てるのだ。

 普通の令嬢であれば、お姫様扱いする紳士的な男に惹かれる。まかり間違っても、自分を罵倒するような男に嫁ぎたいなどと思うはずがない。

 しかし、いきなり自分を変えることは存外難しい。

 どんどん美しくなっていくエステリーゼを見ていると、いつか他の男に奪われるのではないかという変な焦りと不安が強くなってしまう。

 現状、彼女の好感度は極めて低い。いや、マイナスに振り切れていると言ってもいい。

 政略結婚とはいえ、いつ見限られてもおかしくはないのだ。

 エステリーゼの父親であるウォルトン伯だって、愛娘が婚約者に不当な扱いを受けているのを知ったら婚約解消に踏み切るかもしれない。

 こんな口の悪い男は、早々に見限られても文句は言えない。


(もしも、彼女が俺以外の男を選んだら…………)


 祝福できるだろうか。いや、できるはずがない。

 だが現状、俺ではエステリーゼを幸せにすることはできないだろう。彼女の幸せを本当に望むのであれば他の男に委ねるほうがいい。


(俺が変わらなくては。彼女に振り向いてもらうために)


 下ばかり見ていては、らちが明かない。

 過去が変えられないのなら、未来を変えるしかない。

 自分の言動や態度を思い出すだけで嵐のような後悔が押し寄せてくるが、横から彼女を他の男にかっさらわれるなんて冗談じゃない。そんなのは、ただの悪夢だ。

 その悪夢を現実にするわけにはいかない。


(……もう恥ずかしがっている場合じゃない。しっかり目を合わせて、彼女と真摯に向き合う。そして話を聞いてもらうしかない。すぐには信じてもらえなくても、俺は諦めない)


 彼女の未来の夫は自分だ。その座だけは誰にも明け渡すつもりはない。

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