頑張れば頑張るほど、婚約者との溝は深まる

 後日、父上の計らいにより婚約者との仲を深めるという名目で、ヴァージル公爵家のガゼボで二人だけのお茶会を行うことになった。

 だが給仕役のメイドが辞した後、それまで朗らかな笑みを浮かべていたエステリーゼは真顔になった。お互い口を開かず、ただただ重い沈黙が続く。


(ど……どうすればいい? 彼女はまだ怒っているよな。婚約の話も嫌がっていると耳にしているし、絶対に目を合わそうとしないことから考えても、これは絶対嫌われている。まずい。この状況はとてもまずいぞ)


 メイドとのやり取りから察するに、エステリーゼは社交的な性格だ。その彼女がこれほど露骨に態度に出すということは、尋常でないほど俺は嫌われているということだ。


(なんていうことだ……。これはただ謝っただけでは、きっと許してはもらえない。今さら、俺がどのくらい君を可愛いと思っているかを語ったところで、聡い彼女ならば『親から言わされただけ』だと受け取るだろう)


 いくら謝罪の言葉を重ねても、すべてが無意味に思えた。

 彼女は間違っていることは間違いだと正すことができる人間だ。貴族社会は序列を重んじる。けれど周囲が口を閉ざす場面でもエステリーゼならば、一人だけでも否と言うだろう。

 なぜなら彼女は俺を公爵家の息子ではなく、ただのジュードとして真っ向から反抗してくるような稀有な令嬢なのだから。

 普通なら異性に対して意見する令嬢は疎まれるだろうが、俺はそんな彼女もとても好ましく思う。

 とはいえ、嫌われてしまった相手に好いてもらうには、どうしたらいいのだろう。

 こんなの初めての経験だ。

 そもそも初対面の印象が最悪すぎた。あの印象を払拭するのは容易なことではない。


(くっ……早く何か喋らなければ! このままでは一言も発せないままお茶会が終わってしまう。それだけは何としてでも避けねば……)


 高級茶葉を使用した芳しい香りを堪能する余裕などなく、俺は一気に紅茶を飲み干した。我ながら優雅さのかけらもない振る舞いだ。けれど、こうでもしないとせっかく振り絞った勇気がしぼんでしまう。

 すぅっと息を吸い込み、俺はティーカップをソーサーごと大理石のテーブルに戻した。


「君はお茶会の場で、話題を提供することもできないのか。少しは他の令嬢を見習ったらどうだ? 君も貴族の一員ならば、嫌いな相手でも会話ぐらいはやってのけるべきだと思うが」


 言い終わってから間違いに気づいたが、すでに後の祭りだ。

 媚びるだけの令嬢相手ならともかく、先ほどの言葉は婚約者にかける言葉では断じてない。


(嘘だろう……? 俺はなんでこんなにも素直になれないんだ?)


 自分自身に問いかけるが、当然答えなど返ってくるわけがない。

 呆然となる俺に、エステリーゼは檸檬色の瞳を細めてこちらを見つめてくる。


「まぁ。あなた、嫌われている自覚はあるのね。だったら、先に言うべき言葉があるのではなくて?」

「……それを言うなら、君こそ俺に何か言うべきではないか?」

「なんですって?」

「人を人と思わない言動をする令嬢なんて君以外にはいないだろう。子ども同士とはいえ、貴族社会で生きていくなら、本音と建前は使い分けるべきだ。俺相手だからよかったものの、一歩間違えれば君の家族が困ることになっていたぞ」


 まずは謝罪が先だ。そう頭ではわかっていても、エステリーゼと二人だけのお茶会という状況に心拍数は速くなる一方で、伝えようと思っていた言葉が思い出せない。


(なぜだ。俺の口は余計な言葉はすらすら出てくるくせに、どうして肝心な言葉が出てこないんだ!? これでは余計嫌われるに決まっている!)


 内心動揺して慌てふためく俺に、追い打ちをかけるように凍てつく声が返ってきた。


「へぇ、そう。つまり、今日はわざわざ説教をするために呼びつけたのね? それなら時間の無駄だったわ。あなたに言われなくても、貴族のマナーは知っているもの。先にひどいことを言ったのはあなたじゃない。だったらまず、先に謝るべきはあなたよ。……わたくし、気分がすぐれません。これで失礼させていただきます!」


 捨て台詞とともに、エステリーゼは早足でその場を後にした。

 一度もこちらを振り返ることもなく馬車に乗り込む後ろ姿を見て、彼女の怒りをひしひしと感じた。結局、俺は何も弁解もできずに去っていく馬車を無言で見送ることしかできなかった。


 ◆◇◆


 彼女と婚約して早五年。

 その後もエステリーゼと会う機会は何度もあったが、毎回俺は後悔するような言動ばかり繰り返していた。その愚かな行動は、もはや不器用という言葉で片付けられる程度を超えている。

 そのため、婚約者との関係は改善するどころか、悪化の一途を辿っている。巷で俺は「婚約者に冷たい男」と囁かれているらしい。当然の結果だ。

 かつて公爵家の婚約者という地位を求めて群がってきた令嬢が疎ましく、横柄な態度を取り続けていたことが裏目に出て、今も婚約者にひどい言葉を浴びせているのだから。

 公爵家の厳しいマナー教育の成果もあり、俺は他の令嬢には微笑んで紳士的に振る舞うことも自然にできるようになっていた。最初こそぎこちなかったものの、淑女に対する気遣いやエスコートもだいぶ板についてきた。

 けれど、その貴族らしい振る舞いは、エステリーゼの前で発揮されることはなかった。

 エステリーゼを前にすると緊張で息が詰まり、とっさに出てくるのは彼女をけなす言葉ばかりだった。これまで幾度となく謝罪しようとしたが、彼女の冷ややかな視線を向けられると、喉が詰まって何も言えなくなる。その繰り返しだった。


 ある日、婚約者として一緒に招かれたパーティーで、彼女が纏っていたのはチュールを重ねた黄色のドレスだった。胸元には金色の刺繍がされた鳶色のリボンがあり、俺の色彩を取り入れてくれたのだとすぐにわかった。

 俺は生まれて初めて、薄い金髪と鳶色の瞳であったことを天空神に感謝した。

 エステリーゼの顔は渋々着せられたことがありありと出ていたが、渋々でもその色を纏ってくれたことが何より嬉しかった。

 内心の喜びをどう言葉で伝えようかと頭をフル回転させているところに、彼女が感想を求めるようにジッとこちらを睨んでいることに気づく。


(……これ以上の失態は命取りだ。褒めるなら慎重に言葉を選ばねば……)


 そのドレス、本当によく似合っている。俺の色を着てくれて心から嬉しい、と。

 だが口から出たのはまったく違う言葉だった。


「馬子にも衣装だな」

「…………悪かったわね!」


 いくら焦って言葉選びを間違えたと言っても、これはない。案の定、エステリーゼは真っ赤になって駆け出してしまった。

 俺はまたしても失敗をしたのだ。

 呆然と突っ立っている俺の元に、父上とウォルトン伯が「……恋する相手に素直になれないのは男の性だ。まだ時間はある。頑張りなさい」と労ってくれたことが唯一の救いだった。

 そして婚約者の好感度はマイナスに振り切れたまま、エステリーゼを彼女の屋敷まで送り届けた帰りの馬車で俺はため息をついた。


「ジュード様。仲良くなられたいのなら、本日のような態度はお控えください」


 従僕のキールの苦言に、俺は刺々しく言葉を返す。


「それができていれば苦労はしていない」

「……さようでございますね」


 キールは俺の二歳年上で、兄弟のように育った。そのため、お互い直接口に出さなくても相手が何を思っているか、おおよそ察することができる。

 基本的にキールはいつも物静かに俺のそばに控えている。その彼があえて口に出したということは、それほど俺の態度が悪かったという証左だろう。


「他のご令嬢にするように、エステリーゼ様にも優しい言葉をかければ、きっとジュード様にも心を開いてくださいますよ」

「そんなこと、わかっている!」

「…………」

「……すまない。言い過ぎた。不甲斐ない自分が許せなくて、君に八つ当たりしてしまった。君は俺を心配してくれているだけだとわかっているのに」

「いえ。いつか、わかり合える日が来るといいですね」


 本当にそんな日が来るのだろうか。

 彼女と穏やかに過ごす時間なんて、ただの幻想ではないだろうか。


(俺が変わらない限り、おそらくエステリーゼが俺に笑顔を向けてくる日は来ないだろう)


 今日こそは、と毎回決意するも成功した試しがない。

 他の令嬢には優しく接することができても、いざエステリーゼを前にすると緊張が上回って紳士らしく振る舞えない。

 愛想よく微笑めばいいのに、なぜ彼女には小馬鹿にした笑みしか向けられないのか。


(どうして俺は……こんなにもだめな男なんだ)


 意識すればするほど空回りしてしまい、結果的に皮肉ばかりを口にしてしまう。

 これまでひどい態度を取ってきた自覚はあるだけに、本音を打ち明けたとしても、すぐに彼女が心を開くとは到底思えない。

 おそらく俺が褒め言葉を言ったところで、彼女には社交辞令にしか聞こえないだろう。あっさりと聞き流されるのが目に見えている。どんなに美辞麗句を並べ立てたところで、彼女の心には何も響かない。

 そのぐらい、彼女には嫌われてしまっているのだから。


(いい加減、この悪癖も直さないといけないのに……なぜひどくなる一方なんだ!?)


 もしや婚約者に素直になれない呪いでもかかっているのだろうか。

 いや、違う。この口の悪さは、恋心を持て余した男の照れ隠しにすぎない。毎回婚約者の機嫌を損ねているため、これを照れ隠しと表現するには、たちが悪すぎるが。

 その日、寝る前の一人反省会は深夜まで続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る