ジュード視点(一度目の人生)

最初の出会い

 俺の名前はジュード・ヴァージル。年齢は八歳。筆頭公爵家の嫡男である。

 将来有望なヴァージル公爵家の一人息子として生を受けた。だが生まれながら病弱だったせいで、六歳までは領地で長いこと闘病生活を送っていた。同年代と外で遊ぶこともなかったため、体の線も年下の女の子よりも細い。

 幸いなことに医師の尽力もあって、長年患っていた病気はすでに完治している。

 完治後も一年間は基礎体力をつけるため、領地では主に体力トレーニングに励んだ。ある程度、体力がつくと王都でも指折りという家庭教師の指導のもと、勉学や貴族の社交マナーを徹底的に詰め込まれた。

 そして王都にやってきた俺は、格差社会を目の当たりにした。

 貴族の子どもは、父親の爵位で順位が決まる。一般教養として知ってはいたが、想像よりもずっと身分の差は大きかった。仲良くなりたいと思った子でも、敵対する派閥の子どもなら、その望みは叶わない。自分の友人でさえ親の選別のもとに決められる。

 自然と同じ派閥の子どもが身を寄せ合い、身分に応じたグループの輪ができあがっていた。

 厳しいマナー教育を耐え抜いてきた上位貴族と下級貴族では、身に纏う服や、連れている使用人の質もまるで違う。子どもを見るだけで、その親が潤沢な資産を持っているかは容易に判断がついた。


 そして、俺の周囲には常に人が集まっていた。


 筆頭公爵家嫡男である俺がかしずくのは王族ぐらいだ。どの家も、ヴァージル公爵家の息子と仲良くしておいて損はない。

 その理屈はわからなくはないが、俺の機嫌を損ねないように媚びへつらう周囲の対応も飽き飽きしていた。全員、俺自身に興味があるわけじゃない。彼らが必要としているのは、俺の肩書きだ。

 親に言いくるめられて来たのだろうとわかる持ち上げ方に、いい加減うんざりしていた。特に毎回呼びもせずに群がってくる令嬢たちには辟易していた。


 父上が「女性には優しくしろ」と言っていたが、優しくすればするほど、彼女たちはつけあがった。俺のいないところで、あることないことを言う会話をたまたま耳にしたときは、心底わかり合えないと思った。

 彼女たちが望むのは、俺の婚約者という地位だ。未来の公爵夫人になるために、表では愛想を振り向く一方、裏では自分より格下のライバルを蹴落とそうと悪知恵を働かす。従順なふりをして本性を隠す女狐たちの仮面を剥がすため、俺は彼女らをわざと煽った。

 怒らせば相手は簡単に本性を現す。泣き真似で同情を引く女には興味などない。

 俺が心から望む女性など、この貴族社会にいるわけがないのだから。

 けれど、数々の令嬢たちを泣かせてきた経験が、未来の俺を苦しめる要因になるとは露ほども思わなかった。


 その日はヴァージル公爵家主催の園遊会が開かれていた。

 名家の令息や令嬢が続々と集まる中、父上に引き合わされた先で俺は衝撃を受けた。

 なぜなら、そこには妖精かと見紛うかと思う女の子がいたのだ。

 つり目がちな大きな瞳は檸檬色できらきらと輝き、澄んだ色をしている。小さな唇はぷっくり艶やかで、深い森のような深緑の髪はゆるやかに波打っていて、とても愛らしい。

 何より、知的な顔には、他の令嬢のような俺に取り入ろうとする色はない。だからだろうか。彼女を見つめているだけで妙に胸がざわつく。

 女の子を見て、可愛いと思ったのは生まれて初めてだ。


「ほら、先ほど話しただろう? お前の婚約者だよ」


 父上に促されて、俺は深呼吸をした。

 しかし瞬きをいくら繰り返しても、目の前の妖精は変わらずたたずんでいた。まるで、夢ではないのだと俺に教えるように。

 これが現実なのだとすると、初対面の印象は大事だ。

 逆に言えば、最初の印象が悪ければ、いい関係は築けない。


(しかし……せっかく綺麗な顔をしているのに、服が似合っていないなんてもったいない。ヴァージル公爵家お抱えの針子に作らせて、もっと華やかなドレスを着せたいな)


 他の令嬢はリボンやフリルがたくさんついたドレスなのに、彼女は飾り気がほとんどない清楚なドレスだった。

 生地は上等なものを使っているのだろうが、デザインが残念でならない。俺の婚約者ならば尚のこと、ヴァージル公爵家の総力を挙げて、この世で一番美しいドレスを着せたい。


「ジュード、どうした? あまりにも可愛くて見とれてしまったかな?」


 なかなか発言をしない息子に、父上がからかうように言う。

 それがいけなかった。

 焦った俺は、早く何か言わなければと頭の中がぐるぐるして、気づけば暴言を吐いていた。しかもすっかり板についた皮肉な笑みとともに。


「なんだ、この似合っていないドレスは。もっとマシなデザインがあっただろうに」


 違う。そうじゃない。一体何を言っているんだ、俺は。

 まずは謝罪だ。君を愚弄するつもりは一切ない。そのことを真摯に伝え、彼女の許しを得なくては。そして改めて、彼女の美しさを褒め称えるのだ。

 彼女の婚約者として恥じない男に生まれ変わらねば、彼女の横に立つ資格はない。

 そのとき、唐突にあることに気がついた。


(ちょっと待て。彼女が俺の婚約者? だめだ、今は心の準備ができていない。せめて婚約はこの動悸が治まってから……とにかく今はまだ早い!)


 葛藤する自分の心を落ち着かせるため、ふっと軽く息を吐く。

 彼女はこんなにも美しく可憐な花なのです。いきなり婚約を結ぶよりも、まずはもっと互いの仲を深めることが先でしょう、と父上に進言するつもりだった。

 けれど、俺の失言のせいで固まったままの彼女を見て、頭が真っ白になった。


「こいつが俺の婚約者? 父上、俺はこんな生意気そうな女と結婚するなんてごめんです」


 いくら動揺しているからとはいえ、この言葉選びは最悪だった。

 言葉は刃物だ。目に見えないものだからこそ、余計に言葉は慎重に選ばなければならない。心の傷は一生消えないこともあるのだから。

 しかし、一度口に出してしまった言葉は取り消せない。謝罪をしたところで、なかったことにはならない。しまったと思っても、弁解するいい言葉がひとつも思いつかない。


(どうして俺は本音を素直に言えないんだ! ただ『可愛いね、妖精のようだと思った』と伝えればよかっただけなのに……!)


 どこの世界に、公衆の面前でけなされて喜ぶ令嬢がいるのか。

 これはもうだめだ。そう覚悟した俺に投げかけられたのは、彼女の怒りの声だった。


「誰がこんなちんちくりんと結婚なんかするものですか!」

「なっ……」


 長い闘病生活のせいで、俺の身長は同年代より低い。一番気にしていたコンプレックスを刺激されて、俺はつい怒鳴り返してしまった。


「身長のことを口にするなんて失礼だぞ!」

「先に失礼なことを仰ったのはあなたでしょう!?」

「ぐ……」


 俺が言い返せないのをいいことに、彼女はくるりと振り返って彼女の父親に高らかに宣言した。


「お父様! わたくしはもっと素敵な殿方と結婚いたします!」

「なんだと!?」


 思わず言い返してしまった後で、やってしまった、と後悔するが時すでに遅し。

 彼女は大げさなぐらいため息をついて、片手を腰に当てて言い放つ。その檸檬色の瞳には嫌悪感がありありと表れていた。


「あなたのような意地の悪い男と結婚するなんて、死んでもお断りよ。だいたいね、あれが初対面の女の子に言う台詞? お世辞のひとつも言えないなんて、それでも公爵家の息子なの? 他人を批判することしかできない人なんて家畜以下よ!」

「おい、せめて人間として扱え……! お前は俺を誰だと思っている!?」

「あーやだやだ。父親の爵位が高いからって、格下の貴族はすべて自分の思い通りになるとでも思っているの? えらいのはあなたじゃなくて、あなたのお父様でしょ? それなのに、自分がすごい人だと思い込むのはどうかと思うわ」


 面と向かって侮辱されるなんて初めての経験だ。

 しかし、彼女の指摘は正論だ。先ほどの俺は権力を笠に着て、彼女を見下そうとしていた。そんな幼稚な真似、ヴァージル公爵家の息子がしてはならない。

 二の句が継げない俺に代わって、ウォルトン伯が助け船を出した。


「はいはい。そこまで。……少し落ち着こうか、エステル」

「お父様……わかりました」


 ウォルトン伯に両肩を押さえられて正気に戻ったらしい彼女は、すぐに怒りを収めた。その様子を確かめ、父上が俺にも声をかける。


「ジュードも黙っていなさい。公爵家の一員という自覚があるなら、わかるね?」

「……はい」


 有無を言わさない口調に俺は従うよりほかなかった。

 さっきのことは、どう考えてもこちらが悪い。すべては俺の口の悪さが原因だった。


 ◆◇◆


 園遊会がお開きになってから、俺は父上の執務室に呼び出された。

 用件はわかっている。十中八九、エステリーゼの件だろう。


(最悪、この婚約の話は白紙に戻される。そうなれば、エステリーゼの婚約者は俺ではない別の男になる。そんなのは死んでも嫌だ……!)


 彼女は他の令嬢とは違う。俺の肩書きに興味はないのか、彼女は俺を筆頭公爵家嫡男として色眼鏡で見ることはしなかった。だからこそ興味を引かれた。

 それに俺に口答えする令嬢など、世界中を探しても彼女ぐらいだろう。


「あー……ジュード。今日のことなんだが……」

「はい。父上。俺も反省しています。どうか婚約の話はこのまま進めてください」

「…………」


 真剣さを伝えるために、しっかりと腰を九十度に折って懇願した。

 けれど、なかなか返事は来ない。訝しげに顔を上げると、目を丸くした父上がこちらを見ていた。


「父上?」

「あ、いや。それほどまでに気に入ったのかと驚いてしまって……」

「俺の妻はエステリーゼ以外、考えられません。今日は失態を犯しましたが、絶対に挽回してみせます。どうかチャンスをください」


 よどみなく答えると、父上は呆気に取れられていたが、すぐに父親の威厳を取り戻した。厳粛な顔で息子の願いを聞き届けた。


「……わかった。ウォルトン伯には私から根回しをしておこう」

「ありがとうございます。ご期待に添えるよう、全力を尽くします」

「いや、まずは力を抜いて、ほどほどに頑張りなさい。あまり男が必死に追いすがっては逃げられるぞ」

「それは困ります。少しずつ歩み寄ってから仲を深めます」

「うむ、それならばよい」


 婚約続行の言質が取れて、俺は心から安堵した。

 今日はつい売り言葉に買い言葉で反論してしまったが、次からは改めなくてはならない。


(だが最悪な印象を拭い去るにはどうすればいいか……。これは家庭教師のどの課題よりも難問だな……)


 何としてでも、彼女に好きになってもらいたい。

 この想いを素直に伝えるにはどうしたらいいだろう。それから俺の悩みは尽きなかった。

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