逆行令嬢は元婚約者の素顔を知る
仲室日月奈
エステリーゼ視点
本編
「お嬢様……っ!!」
焦った声とともに、メイドのマリアが横から抱きつく。守るように頭を抱え込まれ、エステリーゼはされるがままに身を小さくした。
しかし、最悪な事態は回避できなかったようで、脱輪した馬車が傾いていく。
下は切り立った崖だ。落ちたら最後、助からないだろう。
馬のいななきが悲痛な叫びのように続くが、どうにもできない。
(ああ……わたくし、ここで死ぬのね。でも、このまま王都に行っても、待っているのは不幸せな結婚生活……なら、どちらでも同じようなものだわ)
この馬車は、結婚式に花嫁として参加するため、領地から王都に向かっていた。
ひとたび口を開けば、悪態をつく婚約者にはうんざりしていた。所詮は親同士が決めた政略結婚。そこに愛など芽生えるはずもない。
お互いが嫌っているのは明白な事実。仮面夫婦になるのは火を見るより明らかだった。
(あいつはきっと……悲しみもしない)
どうせ、この婚約が白紙になって喜ぶに決まっている。
マリアに抱え込まれた中で、エステリーゼは皮肉げに口元を歪ませた。
ギリギリの角度で均衡を保っていた馬車はとうとうバランスを崩し、気づいたときには浮遊感が襲い――そのまま真下に落下した。
◆◇◆
カラカラと車輪が回る音と、不規則に揺れる振動の中で、エステリーゼは目を開いた。
「お嬢様、お目覚めですか?」
「……マリア?」
「はい。よくお眠りでしたね。ヴァージル邸には、もうすぐ着きますよ」
「…………え?」
横にマリアが座っているのは、さっきまでの記憶と同じだ。
しかし、決定的に違うのは目の前の男の存在だった。
「エステル。ヴァージル公爵は気さくな方だ。緊張せずともよいぞ」
自分を愛称で呼ぶのは家族ぐらいだ。
エステリーゼと同じ深緑の髪に、水色の瞳。垂れた目元は優しい光を宿し、うたた寝から起きた愛娘を仕方がないというように見つめた。
(……え? どういうこと?)
混乱した頭の中で、自分の手を顔の前にかざす。
そこには記憶にあるものよりも、一回りも小さい手があった。ぷにぷにの小さすぎる手。まるで、婚約した日に戻ったかのような――。
「お嬢様? どうかされましたか?」
頻繁に手を裏返しているエステリーゼに、マリアが不思議そうに尋ねる。
振り向けば、栗毛の髪に茶色の瞳の、よく見知った姿があった。けれど、その顔は記憶にあるものより、いくぶん若い。視線を前に戻すと、娘の反応を訝しんだ父親が首を傾げてこちらを見ている。
(お父様も若い……つまり、これって時間が巻き戻っている? 本当に?)
エステリーゼは檸檬色の瞳を見開き、おそるおそる口を開けた。
「あの、お父様。……わたくしに、婚約者なんておりませんよね?」
「なんだ。お前も話を聞いていたのか。お前の婚約者は今日紹介する予定だ。楽しみにしておくがいい」
「…………」
一体、これは何の悪夢だ。
死ぬ覚悟はとうにできている。だから、夢であるなら、早く覚めてほしい。
現実が受け入れられないエステリーゼの願いも虚しく、馬車が停まる。先に降りた父親に抱きかかえられて外に出ると、記憶と同じく、重厚な門が待ち構えていた。
そこはエステリーゼの婚約者、ジュード・ヴァージルが住む邸宅に違いなかった。
息を呑む自分を緊張から動けないと判断した父親がひょいと担ぎ上げ、すたすたと進んでいく。立派に整えられた庭園を横目に、エステリーゼは声にならない悲鳴を上げた。
(あいつと出会う日に戻っているなんて、何の冗談よ!? あの最悪な出会いをやり直せと……? 嫌よ、そんなの!)
目に浮かぶのは、自分を嘲り笑う婚約者の顔。
会った早々、「なんだ、この似合っていないドレスは。もっとマシなデザインがあっただろうに」とだめ出しをしてきた挙げ句、「こいつが俺の婚約者? 父上、俺はこんな生意気そうな女と結婚するなんてごめんです」と言い放った。
リボンを控えめにした清楚なドレスは上等な生地を使ったものだし、少々釣り目なのはお互い様だ。
いくら三歳年上だとはいえ、こちらは五歳の娘。とても初対面で言う台詞ではない暴言の数々に、エステリーゼも「誰がこんなちんちくりんと結婚なんかするものですか! わたくしはもっと素敵な殿方と結婚いたします!」と宣言した。
背が低いのを気にしていたらしいジュードは顔を真っ赤にして、エステリーゼと激しく罵り合った。そばで見ていた両家の親は喧嘩をなだめるのに苦労していた。
だがしかし、婚約の話は立ち消えることなく、そのまま続行という形になった。お互いが成長すれば関係修復はできると見込んでの話だったが、結局、結婚目前まで犬猿の仲なのは変わらなかった。
園遊会に招待されているのはエステリーゼだけではなかったようで、見知った顔があちこちにあった。
「お、お父様……わたくし、お友達にご挨拶をしてきますわ」
「ん? そうか、あとで顔合わせがあるから、すぐに戻ってくるのだぞ」
「はい」
父親にそっと芝生の上に下ろされて、エステリーゼは従順なふりをして頷いた。そしてマリアと父親の視線がそれた一瞬を狙い、脱兎のごとく逃げ出した。
(顔合わせなんて冗談じゃないわ!)
向かう先は自分を覆い隠す茂みの中。木陰で身を小さくし、葉の隙間から周囲の様子を窺う。上級貴族の令息や令嬢が輪になって談笑している。
(さすが筆頭公爵家主催の園遊会……そうそうたる顔ぶれね)
ただ、いずれも子供時代の姿に変わっていたが。懐かしむ気持ちよりも、この異常事態を浮き彫りにするだけだった。
未来の親友の顔も見つけたが、今出て行けば、父親に発見されて確実に顔合わせの場に連行される。彼女と話したい気持ちをグッとこらえ、問題の元婚約者の背中を探す。
しかし、まだ屋敷の中にいるのか、その姿は見つからない。一体どこに……と視線をめぐらせていると、不意に真後ろから声がかかった。
「……こんなところで、何をしている?」
薄い金髪に鳶色の瞳。さらさらのストレートは、肩につかない長さで切りそろえられている。目元は少々つり上がっているが、他の顔立ちは無駄なく整っている。
(で、出た……!)
彼こそ、エステリーゼの元婚約者、ジュード・ヴァージルだ。筆頭公爵家の嫡男にして未来の公爵である。婚約者以外には完璧貴公子の顔を被るくせに、エステリーゼには辛辣な言葉を向けてくる、性格がねじ曲がっている男。
一生わかり合うことなんて不可能な、エステリーゼの敵だ。
「皆のところへ行かないのか……?」
続く言葉は労りに満ちている。どうやってこの場を切り抜けようと頭をフル回転させ、エステリーゼは怯えつつも口を開いた。
「い、いえ。ちょっと、かくれんぼをしておりますの……」
「かくれんぼ?」
「そうです。誰にも見つからないよう、隠れていますの。だから、ここで見たことは誰にも言わないでくださいませ」
必死に追いすがると、哀れに思ったのか、ジュードが頷いた。
「よくわからないが、そこまで言われたら内緒にするしかあるまい。ところで、エステリーゼという令嬢を知らないか?」
「……いえ、存じませんわ。わたくしは、ずっとここにいましたので……」
「そうか……では邪魔したな」
ジュードは腰を上げ、皆の輪に戻っていった。そのそばには顔を真っ青にした父親がいたが、ジュードが何かを言って取りなしている。
そのまま身を隠し、低木の下で座り込んで小鳥たちと触れあっていると、さっきまでいたはずの面々が主催者に断って帰っていくのが見えた。
お開きの時間になったのだろう。これ幸いと忍び足でマリアのもとに戻る。
「お、お嬢様……一体、今までどちらへ!?」
「かくれんぼをしていたのよ」
「と、とにかく旦那様に急ぎお知らせしなければ……!」
荷物のように横抱きにされて、庭園の隅のベンチに座り込んでいた父親のもとに連行される。目が合うと、父親はガタッと立ち上がり、涙を浮かべて娘を抱きしめた。
「ああもう、二度と会えないかと思ったぞ」
「も、申し訳ございません。……あの、婚約の話はどうなりました?」
顔合わせをすっぽかした娘に、向こうは呆れただろう。その目論見は当たっていたようで、父親は見るからに落胆した。
「残念なことだが……、先方のご子息が他のご令嬢を見初められたそうだよ。だから、この話はなかったことになった。すまない、他にもっといい縁談を……」
「いいえ、お父様。わたくし、自分の伴侶となる方は自分の目で見て決めたいです。ですが、その前に……一人前のレディーになれるよう、淑女教育にもこれまで以上に励みたいと思います。だから婚約者は当分の間、不要ですわ」
大事なことなので、目にグッと力を入れて力説する。
その熱意が伝わったのか、父親は成長した娘に感激したように「うんうん、それがいいね」と同意してくれた。
◆◇◆
婚約者のいない生活は、なんと素晴らしい日々なのだろう。
義務感で付き合わされていた行事にも出席しなくていいし、何よりあの嫌みを聞かなくて済む。それだけで毎日が光り輝いているようだった。
偉人たちの名前を覚える歴史の授業の眠気だって耐えてみせる。
――そう思っていたのに。
王家が主催するお茶会に参加した帰り道、行く先を塞ぐように見覚えのある男の子が腕組みをして立っていた。見間違えるはずがない。元婚約者の姿に目を剥く。
(なんでここに!? 婚約は白紙になったはずよね!?)
あわてて後ろを振り返るが、誰もいない。さっきまで楽しく談笑していた令嬢たちはすでにいなかった。残っているのはエステリーゼ、ただひとり。
ジュードは大股で進み、ふと足を止める。手を伸ばせば届く距離で、硬直するエステリーゼをジッと見つめた。同年代より少し身長が高めの自分と同じ目線で、言葉が紡がれる。
「……やっと、見つけた。君の名前を教えてほしい」
「な、名乗るほどの者ではございません」
プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも言葉を返すと、ふっと笑う気配がした。
記憶の中にいる彼は、いつも高圧的な態度だった。目が合うと口げんかばかりしていた自分を前にして、その雰囲気が和らいでいることに驚きを隠せない。
「君は当家の園遊会に来ていた。ということは子爵家以上の家柄の娘だろう。ヴァージル公爵家の人間と仲良くすることは、君の家にとってもプラスになることのはずだが?」
「…………」
「あの日、招待したリストの中で、挨拶を交わさなかった相手が一人だけいる」
「…………」
「エステリーゼ・ウォルトン。それが君の名前じゃないか?」
万事休す。エステリーゼは蚊の鳴くような声で、質問を投げかけた。
「……最初からご存じだったのですか?」
「いや。君の名前を知ったのは、君が帰った後だ。もともと、あの日は俺たちの顔合わせをする予定だった。そして、君と俺の婚約をお披露目する手筈だったと聞いた」
そうだ。本来ならドレスをけなすことから始まった言葉の応酬で険悪な雰囲気になり、文字通り、最悪の出会いをするはずだったのだ。
しかしながら、違う形で出会った自分たちの関係は、そこまで悪くなっていない。
(あれ……? そういえば、どうして今、罵ってこないんだろう?)
自分のことが見るのも嫌だったから、あんなに突っかかってきたはずなのに。
考えこむエステリーゼに、言葉を選ぶような間を置いて話が続く。
「もしかして……と考えていたが、君は婚約したくないから、あそこにいたのか?」
「……さようでございます」
今さら、嘘をついても仕方がない。
だが、ジュードはなおも食い下がった。
「それは、どうして?」
「……わたくしの口からは申し上げられません」
すがるような瞳を向けられて、エステリーゼは戸惑った。まさか本心を暴露するわけにはいかないだろう。今も混乱はしているが、言っていいことと悪いことの分別ぐらいはついている。
無言を貫いて目を伏せていると、変声期を終えていないジュードの高い声が聞こえた。
「エステリーゼ。俺は君に婚約を申し込みたい。だめだろうか?」
「…………」
「なぜ逃げる!? 俺の何がいけないというんだ」
全速力で迎えの馬車を探しながら、エステリーゼは混乱の極みに達していた。
(意味がわからない! 婚約は白紙になったじゃないの。わたくしはそれに満足しているのに、なんでまたこいつと婚約しないといけないの!?)
一向に覚めない夢は、さらに自分に悪夢を押しつけようというのか。
そんなの無慈悲すぎる。
◆◇◆
王宮での逃走劇から数日後。
呼んでもいない客がやってきて、応接間に通された。従僕を一人だけ連れて。
「一体、当家にどういったご用件でしょうか?」
内心の動揺を悟られまいと、エステリーゼは社交用の笑みをはりつけ、小首を傾げてみせた。マリアが客人と自分のところにティーカップを置く。焼き菓子を載せた小皿を中央に置き、部屋の隅で控える。
ジュードはソファの後ろに控えていた従僕に目配せしながら、正面に座るエステリーゼに頭を下げた。
「先日は怖がらせたようですまなかった……。お詫びにこれを受け取ってほしい」
従僕からマリアに花束が受け渡され、マリアから自分の手元に渡る。
ピンクのチューリップが数本並んでリボンで結んである。
「これは……花ですか?」
「花以外の何物でもないだろう。……いや、こういう言い方がいけないんだな。俺は……あの園遊会の日、草陰に身を隠す君を見て、君を守りたいと思った。怖がらせたいわけじゃないんだ。ただ、話がしたい」
どういう風の吹き回しだろう。
死ぬ前までだって、婚約者からのプレゼントは何一つなかったというのに。
初めての贈り物に嬉しさよりも困惑が上回る。
「…………婚約はしませんよ?」
「ぐ。そ、それは追々考える。今は友人で構わない。だから、俺から逃げないでくれ」
手元の瑞々しい花とジュードを見比べ、エステリーゼは瞬く。
(追いかけてきたときは怖かったけど……お詫びって、そんなことができる人間だったの?)
驚きとともに、なぜか笑いがこみ上げてきた。
「ふふ……ふふっ」
「何がおかしい?」
不服そうな声に、エステリーゼは口元をゆるめた。
だって、おかしいではないか。あの威張り散らしていた男が、手土産とともにわざわざ頭を下げに来るなんて、誰が予想できたというのか。
(友人かぁ……友人としてなら、新しい関係を築けるのかも)
婚約は断固お断りだが、友人であれば、そこまで警戒しなくてもいいのではないか。
自分たちは、もしかしたらやり直せるのかもしれない。
あのいがみ合うだけの関係から。
◆◇◆
友人になってからというもの、月に一度、ジュードが訪問してくるようになった。
毎回、花やお菓子、書籍などを選んで持ってきてくれる。そして、エステリーゼの好みのものがあると、それはそれは嬉しそうに笑って。
そんな関係が十二年間、続いた。
「エステリーゼ、どうか俺の求婚を受けてくれ。頼む!」
「ひ、ひゃああああっ」
「俺の何が不服か、教えてくれ。君好みに生まれ変わってみせるから!」
帰宅途中に背後から大声をかけられて、迷惑に思うなというほうが無理な注文だ。
とっくに求婚の話は忘れていたと思っていたのに、ここ最近になってエステリーゼの行くところに突然出没し、熱心に迫ってくる。
王立学園の前でも待ち伏せすることも珍しくなくなってきて、今や学園中の噂になっている。本当に可及的速やかにやめていただきたい。
エステリーゼはため息をついて、冷たい声で突き放す。
「別に変わってもらわなくてもいいです。ジュードには他のご令嬢がお似合いです。だからこんな小娘のことなど、一刻も早く忘れてください」
「俺は! 他の誰でもなく! 君がいいんだ!」
「そ、そんなことを大声で叫ばないでください……! わ、わたくしは……婚約はいたしません!」
その先にあるのは、幸せばかりじゃない。それは断言できる。
どこで頭をぶつけたのかは知らないが、ジュードはジュードに他ならない。
今でこそ、別人に変わったように見えるが、素に戻った彼はきっと記憶と同じものであろうことは想像に難くない。
家族になったそのとき、今の貴公子然とした仮面が剥がれるに違いない。
(わたくしは……幸せな結婚生活がいいの! ジュード以外の人と恋をして、そして新たな人生を歩むんだから!)
パタパタと走り、学園の中庭に出る。
放課後のそこは閑散としており、お昼休みにはお弁当を広げる学生でにぎわう場所は今は静寂に包まれていた。
だが後ろからバタバタと足音が近づいてきて、エステリーゼの腕をつかんだ。
キッと振り向くと、そこには意気消沈したジュードの顔があった。
「エステリーゼは……俺のことが嫌いか?」
「嫌いか好きかといったら、好きではありません。ですから、この手を離してくださいませ」
「嫌だ。そうすれば、君は離れてしまうだろう」
「しつこい男は嫌われるんですよ。いい加減、目を覚ましてください。わたくしのような小娘を追いかけ回していて、恥ずかしいと思わないのですか?」
次期公爵になることが決まっているジュードのもとには、数多くの縁談が持ち込まれていると聞く。
(よりどりみどりでしょうに、どうしてわたくしに固執するのかしら?)
長い人生を共に歩く妻の座は、自分である必要はない。
そのはずなのに、この男はどうしてだか、他の縁談をすべて断っている。
ジュードはつかんでいた手の拘束をゆるめ、エステリーゼは少し距離を取った。その反応に傷ついたように、ジュードが目を伏せた。
「…………仕方ないだろう。俺が君を諦めてしまえば、他の男が君の夫になる。そんなのは耐えられない」
「どれだけわがままなのですか」
「君だけだ。こんなに振り回されるのは。俺は……君の笑顔をずっと近くで見たいんだ」
「――――」
「俺はあの笑顔を見たとき、恋に落ちた。君以外の女性には興味がない。俺は女性を褒めることが苦手だ。ドレスで着飾った君を綺麗だと思っていても、それを口にするのはなかなかに勇気が要る。そんな情けない俺だが、君だけは手放したくない。どうか俺を選んでくれ、エステリーゼ」
元婚約者改め、友人となったジュードとは何度か踊ったことがある。
とても言いにくそうな顔で言葉少なにドレスを褒めてくれたことを思い出し、あれはそういうことだったのかと腑に落ちた。
「…………あなたは恥ずかしがり屋だったの?」
わざとオブラートに包まずに尋ねると、ジュードはうっと声を詰まらせた。
「自分でも不器用な性格だとは重々承知している。昔はそれで他の令嬢にいらぬ言葉を投げかけて泣かせてしまったこともある。幼い頃の俺は思ってもない言葉をぽんぽん投げて、相手を傷つけることしかできなかった。……でも、そんな俺の前に現れたのが君だ。君は泣きそうな顔で身体を小さくして震えていた」
「…………」
「父上が女性には優しくしろといった意味が、ようやくわかった。くだらない矜恃で他者を傷つけていた自分がひどく情けなくなった。だから、君には心から優しくしたいと思ったんだ。……情けないだろう、俺は。君がいなければ、そんな感情にすら気づかなかった」
そのとき、ジュードの顔が、記憶が巻き戻る前の顔と被さる。
(え、嘘でしょ? これが本当のあなたなの……?)
自分はずっと知らずにいたのか。彼の本音を。
もっと早く気づけていたら、あの憎しみあうだけの関係は変わっていただろうか。
(ううん……それは無理ね。だって出会いが最悪だったもの。どんな素晴らしい思い出があったって、あの印象が上書きされることはない)
けれど、今は違う。
思い出とは異なった出会い方をして、前とは違う関係を築けている。
それだけは確かだ。
「…………ジュードは、わたくしのことが好き?」
ぽつりとつぶやくと、間髪を容れずに言葉が返ってくる。
「好きだとも。妖精の森に迷い込んだような美しい緑の髪は口づけしたいくらいだし、きらきらと輝く檸檬色の瞳も好きだ。そして何より、贈った花を愛おしそうに見つめる姿がたまらない。君は姿形だけでなく、性根も優しい女性だ。ぜひ公爵夫人として迎えたい」
彼は変わった。友人として付き合う中で、好きなことや苦手なことも、たくさん知った。
思いもよらなかった本音を知った今、エステリーゼの気持ちは定まった。
「もし……わたくしを愚弄するような台詞を吐いたら、離縁させていただきますが、それでも構いませんか?」
「そんなことはしない。鏡の前で君を褒める練習をたくさんしてきた。俺は毎日だって君に愛を囁くと誓おう」
「…………」
「エステリーゼ?」
不安そうに自分の名前を呼ぶ、愛しい声。
エステリーゼは目元を和らげて、目の前の彼を見上げた。
「……エステルとお呼びください。未来の旦那様」
「…………え……。そ、それって……」
「求婚のお話、謹んでお受けします」
彼が待ち望んでいたであろう言葉を告げると、自分の足が地面から浮いた。
エステリーゼを抱き上げたまま、その場をくるくると回り、ジュードが子供のようにはしゃいでいた。
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