第29話 エルサレム攻防戦
ハッティンの戦いの後、約二ヶ月後に開始されたエルサレム攻防戦は、イスラム側の巨大な投石機による夜間攻撃で幕を開けた。
城の前面遠くに広がる篝火の数が、地表を埋め尽くさんばかりの攻撃陣の膨大さを物語っている。
火だるまとなって飛んでくる岩石は、エルサレムの市街、城壁などところかまわず破壊の限りを尽くしたかに見えたが、実際には見た目の派手さの割にはさほどの効果はなく死傷者も数える程度でしかなかった。
だが、いつ果てるともわからない戦いの幕開けの恐怖感を、城側の住人らに植えつけるには十分以上のものではあったし、継続的に行われた投石器による攻撃は、じわじわとエルサレムの防御力を削っていくには全く効果がなかったというわけではない。
「まあこの程度であっさり落ちてもらってはつまらんよね」
次々と命令を下すサラディーンの横で、舞姫がつぶやく。
「サラディーンのおっちゃん、しばらくお手並み拝見するよ」
「よかろう。マイの出番はないかもしれんがな」
「それならそれで苦労が無くていいことだ。でもバリアンと爺があっさりと、なんの手立てもなく降伏するとも思えんけどね」
投石機による攻撃が明け方まで続き、そしてエルサレム要塞を囲むイスラム側の軍団の全貌が明らかになると、城壁から目にした光景に防御側全ての兵士、住民が息を飲んだ。
まさに人間と攻城兵器で大地が埋め尽くされていたからだ。
「推定、およそ二十万人・・・・・・」
部下の報告にバリアンは黙って頷いた。
バリアンも宮下も敵軍の規模と攻城兵器の種類、その他の武器についてはすでに予想していたことだったが、実際にこの規模の軍を目の当たりにしては驚愕を禁じえなかった。
「口でいうのは簡単ですが、二十万人というのは恐ろしい数ですな」
「おれもこんな光景をみるのは今後二度とないかもしれん。すごいとしか言い様がない」
バリアンは副官として新たに任命した男と、さも他人ごとのように語り合った。
「副官。準備はできたか?」
「全て。いつでもおまかせを・・・・・・」
副官兼作戦参謀長として任命された宮下の言葉を受け、バリアンはすぐさま命令を下した。
「では、始めようか。百年の後も語り継がれるであろう戦いを・・・・・・」
歴史的な戦いの幕開けは、派手なイスラム帝国側の攻撃から始まったが、この攻防戦の緒戦はほぼ防御側の優位に推移した。
イスラム軍の手の内を知るエルサレム側は、万全とは言いがたかったが、それなりの準備を終わらせていたからだ。
正門及びその他の大小出入り口は完全閉鎖。城内の地表に出ている可燃物一切の地下への撤去。石壁の補強は言うまでもなく、大幅に縮小した戦闘員の補充のために城内の戦える男子は全て交代要員として組み込んだ。また医療班の編成、食料班、武器等の修理担当を非戦闘員である女子供たちすら動員し、総力戦体制を短期間ながらにもつくり上げることに成功していたのである。
徐々に城壁に向かって進軍する攻撃軍に対し、城内の投石器(トレビュシェット)が唸りを上げ、無数の矢が防備の薄いイスラム兵士を戦闘不能に陥れた。
城壁を登るための梯子が何本も架けられたがその多くは、撃退された。
定石通りに投入されたイスラム側の数台の巨大攻城兵器は外壁に取り付くや否や、巧妙に仕掛けられた罠によってそれらは転倒させられるか、油によって燃やされ全てが破壊されてしまった。城壁からの侵入のため待機していたイスラム兵士の損害は四ケタに達した。
攻撃側の損害は守備側のそれを圧倒していたが、損害を顧みないイスラム兵の波状攻撃は城側にも徐々に損害を増やしていく・・・・・・
日中の激戦に加え、夜間の投石機による攻撃が守備側の疲労を日に日に累積していく。
攻撃側には交代の予備兵が続々と投入されたが、むろん守備側には初めから予備兵などいない。
「この戦いは初めから一ヶ月が限界だと踏んで準備を進めてきた」
バリアンの顔にも疲労の色は濃く、負傷した腕の傷の癒える暇もない。
「その間に敵に想像以上の出血を強いて和平の時期を探る・・・・・・という戦略ですな」
「そうだ。その作戦はここまでは大いに成功したとも言える」
「サラディーンがそれでも戦を続けると言ったら、どうなされるおつもりでしょう?」
宮下の言葉にバリアンは笑って答える。
「その時はその時。この首を差し出して”ごめんなさい”だ」
「姫さまもご無事ではおられますまい、その時は・・・・・・」
「・・・・・・」
「私にお任せいただけますかな? この爺めに・・・・・・」
「どうするというのだ?」
十日以上に及んだ籠城戦も、もはや落とし所の探りあいの様相を呈してきたのは否めない。
全滅か、徹底抗戦か・・・・・・ はたまた他に落とし所はあるのか・・・・・・ 末端の兵士のみならず非戦闘員ですら戦いの行方と己と家族の命、財産の保全が果たしてできるのかどうかが暗黙の議論の的だったのだ。
宮下は、己の持つ裏ルートを通じてサラディーン軍に客将として迎えられている舞姫と極秘に接触を図った。
一方、時を同じくして舞姫は、サラディーンの幕舎にてアル・タヌイーンとサラディーンに打開策を上申するよう命じられていた。
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